03.心内にあれば色外に現る
夜半。すすり泣く声がして、フォレストは目を覚ました。声は腕の中に居るレフォードから聞こえる。
またか。この男はよく泣くなと思いながら、どうかしたのか、また怖い夢でも見たのかと問いかける。
レフォードは答えなかった。
言いたくないのか、喋ることが出来ないのか、立てた膝に埋めている顔をあげようともしない。
まあいいか。そのうち落ち着くだろう。
フォレストはそう思って再び目を閉じた。背中越しにそれを悟ったレフォードは、身を捩ってフォレストの方を向く。
このままずっと傍に居て欲しい。
けれど自分には、彼を繋ぎとめられるだけのものが何も無い。
今のこの関係は、ヒトとレイモーンの民の友好を願うフォレストの夢の上に成り立っているだけだ。
彼はこの先もっと多くのヒトと関わりを持つようになるのだろう。自分はその内の一人。夢を叶える為の足掛かり、ただの通過点に過ぎない。
自分の中にある幼いままの心が泣き喚いていた。その涙が瞳から流れ出て止まらない。
泣いたところでどうにかなるわけでも無いのに。両親が死んだ時も、家で独りで泣いていることしか出来なかった。あの頃から少しも成長していないのだと実感して嫌になる。
異端審問官としての自分は、この弱くて惨めな子供のままの自分を隠す為のただの仮面だ。
どれだけ身体を鍛えたところで、心は強くはならない。
この人が欲しい。自分のモノにしたい。
「……何か言いたいことがあるのなら言ってくれ」
視線に気づいたフォレストは、泣き顔を見られるのが嫌なのだろうかと考えて、目を伏せたまま言った。
レフォードは鼻を啜りながら答える。
「……貴方が欲しい」
聞いた瞬間、フォレストは目を開いて、何やら焦った様子で勢いよく顔を上げた。
が、後ろは壁なので、石壁に後頭部をぶつけてしまう。
「〜〜〜〜ッ!!」
「だ、大丈夫か?」
「……頭は大丈夫だ。大丈夫だが……驚いた」
フォレストは患部を摩りながら、まじまじとレフォードを見た。
「念の為に確認しておきたいのだが……今の言葉、どういう意味で言ったんだ?」
「? そのままの意味だが」
「そのままとは?」
「質問の意味がわからない。そのままはそのままだ。言葉通りの意味だ。逆にお前は何だと思ったんだ」
分かっていない様子のレフォードに、フォレストは「これを言ってもいいものか」と少し悩んでから、
「今の言い方だと、抱いて欲しいと言っているように聞こえる」
結局そのまま伝えた。
一瞬ポカンとしたレフォードは、フォレストの言葉を反芻して、みるみる赤くなっていく。
「だ――――だ、抱い……そっ、そんなわけがあるか!! 急に僕がお前にそんなことを言うわけが無いだろう!? 何をどう考えればそんなっ……」
「いや、今のは他の誰が聞いても同じ意味に受け取ると思うが……そういう意味でないのなら、どういう意味だったのだ?」
「だからそのままの意味だっ!! お前が僕のものになってくれればいいのにと思っただけだ!!」
「それはそれで凄い発言だな」
フォレストは一杯一杯になっているレフォードの背を撫でながら言った。
レフォードは想像してしまった淫らなイメージを頭から振り落とす。
「ともあれ、そういう話なら……悪いが俺は誰のものになるつもりも無い。だから、お前のその要望には応えられん」
「…………そうだろうな」
「そもそも、どうして急にそんな考えになった? 俺を独占したいのか?」
「そうじゃない。ただ……」
「ただ?」
「……いつかお前と離れる日が来るのが嫌になったんだ」
随分と小さな声だったが、フォレストの耳はしっかりとその言葉を拾った。
「離れたくないのなら、一緒に居ればいいのではないか?」
「だがお前は、そのうちティルキスとセンシビアに帰るんだろう」
「それはその通りだが……」
「……どうにもならない事は分かってる。諦める為に言ってみただけだ」
レフォードは眦に残っていた涙をゴシゴシと拭って、フォレストの腕とマントの中から這い出る。
「何処へ行く?」
「一人で寝る。起こして悪かったな」
「一人で大丈夫なのか? 幽霊は?」
「今は居ない。……どちらにしろ、いつか居なくなる相手を、これ以上当てにするつもりは無い」
言ってから、散々世話になったのにこんな言い方は無いだろうと、レフォードは自己嫌悪に陥った。
こんな時くらい愛想良く、お礼の一つでも言えばいいのに。理想とは程遠い自分の在り方に辟易する。
きっとフォレストが逆の立場なら、こんな子供じみた態度を取ったりはしないのに。
そう思うと余計に惨めになって、止まりかけていた涙で視界がまた滲む。
両親のように。彼のように。誇り高く在りたいのに。
「……すまない、こんな奴で」
去り際に辛うじて言えたのはそれくらいだった。
寝るにしてもどこで寝ようと、外の冷たい空気に体を摩りながら廃墟の中をウロチョロしていると、何故かフォレストが追ってくる。
「忘れ物だ」
そう言ってマントと鎧一式を渡されて、失念していたレフォードは謝辞と共に受け取った。
が、一遍には抱えきれず、取り零してしまった鎧の一部がコロコロと転がっていく。
一体どこまで醜態を晒せば気が済むのかと思いながらそれを拾い直していると、見ていたフォレストがマントを風呂敷代わりに鎧一式を包んで持たせてくれた。
「あ、有難う……」
「どういたしまして」
「…………そ、それじゃあ。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
どうにも締まらないなと思いながら、レフォードは再び寝床を探し始めた。
フォレストも、元居た建物に一人戻る――フリをして、こっそりレフォードの後をついて行く。
本人が一人で寝ると言っているのだから、それは尊重してやりたいが、一度幽霊に襲われて倒れていた手前、一人にするのは心配だった。
(……ずっと傍に、か。居てやれるものなら居てやりたいが……)
或いはセンシビアに一緒に来ないかと誘えれば良かったのかもしれないが、己もティルキスの厚意に甘えている立場だ。勝手に招くようなことは出来ない。
かと言って、レフォードと共にアレウーラで暮らすという選択も、今のフォレストには出来なかった。
アレウーラで生きるには、己はまず過去を清算しなければならない。ティルキスの遠征について来たのは、半分はそれが目的だ。
故にそれらが全て片付くまで、レフォードに明確な答えを返すことは出来ない。
片付くかどうかさえ不確定な状態で、レフォードに「待っていてくれ」と言うのも酷な話だろう。
だから、彼が諦めると言うのなら、それで良い――――とは思うが。
寝床、と言っても雨風を凌げる外壁があるだけだが、それを見つけたレフォードが、そこに座って寒そうに手に息を吹きかけているのを見たフォレストは、ズキズキと胸が痛むのを感じた。
レイモーンの民をあれだけ嫌っていた彼が、漸く心を開いてくれたのに。ハッキリと言葉にして伝えるほど、傍に居る事を望んでくれているのに。
自分はそれに応えてやれない。
風呂敷の役割を果たしていたマントを解いて、それを被ったレフォードは、フォレストに見られていることには気付かないまま、床に横たわってぼんやりと地面を見つめる。
「………………寒いな」
それだけ呟いて、レフォードは身体を丸めて眠った。
人気の無い薄暗い部屋の中、己の体を抱き締めて一人眠っているその光景は、彼の心を映しているかのようにフォレストには見えた。
自分にはティルキスが居る。ティルキスにも、アーリアにも、カイウスとルビアにも、絶望に瀕した時に支えてくれる相手が居る。
レフォードはどうなのだろう。下手をすれば仲間内で一番心の弱い彼には、そういった相手はちゃんと居るのだろうか。
(……いや、居れば、あんな風に俺に甘えては来ないだろうな)
フォレストは足音を殺してレフォードに忍び寄った。
寝顔を覗いてみると、やはりいつもの様に苦痛に歪んでいる。
寝ても醒めても、彼はずっと何かに苛まれている。
(……そう言えば、まともに笑ったところを見た事がないな)
嘲笑や、相手を安心させるための微笑みなら何度か見た覚えがあるが。
心の底から笑っているのを見たことは、思い返してみると一度も無い。
フォレストはそっとレフォードの頭を撫でてみた。
前はこれで幾分様子がマシになっていたが、今日は全く効果が現れない。
それでも、彼の心の痛みが少しでも和らぐことを願って、フォレストは暫くの間レフォードを撫で続けた。