鞠躬尽力、死して後已まん

「ルキウスッ!!」

誰かの絶叫が響いた。
直後、ルキウスの前に飛び出し彼を庇ったその人の身体から、鮮血が溢れる。

状況が理解出来なかったルキウスは、頽れるその姿――教皇を見て、は、と息を止めた。
同じく目の前の光景を信じられずに見ていたカイウスは、血に塗れた剣を落とす。

「きょ……教皇様!? どうして……!!」

「ル……ルキウス……無事か……?」

口から血を流しながら尋ねる教皇に、青ざめた顔で震えるルキウスは何度も頷いた。
ゴーレムを倒した仲間達も、呆然としているカイウスの傍に集まる。

「ど……どういうことだ? 教皇は生命の法の為に、ルキウス達を利用していたんじゃ……」

「利用……? 私が、ルキウスをか……? まさか、その様なことは決して……」

カイウスの言葉にそう返した教皇は、暫しの黙考のあと目を見開く。

「いや……そうだ、私は……確かに私は……な、なんという事を……!」

混乱している様子の教皇とカイウス達を他所に、溢れる血を手で押し留めようとしているルキウスがどこか安心したように呟く。

「教皇様、元に戻られたのですね……」

「元に戻った……? どういうことだ?」

「教皇様は最初の生命の法が失敗した時、現れたスポットに乗っ取られたんだ。思考も身体も全て侵されて……」

「そんな……! じゃあ、突然リカンツ狩りなんて始めたのはそのせいなの……!?」

「そんなことより、誰かこの怪我を治してくれ……! このままじゃ……!」

恥も外聞も捨ててそう懇願するルキウスに、もう彼らに敵対する意思はないと悟ったルビアが承諾したが、教皇が震える手でそれを制する。

「よい……私は、己のしてきた事の報いを受けるべきだ……こんな老いぼれの命一つで、罪なき者の命を数多奪った罪が濯げるとも思えぬが……」

「何を言うのです! 貴方が居なくなればボクは……! ボクはどうすればいいのですか!?」

泣きじゃくるルキウスの背を撫でながら、教皇はカイウスを見た。
その胸に輝くペイシェントと、カイウスの顔を慈しむように見る。

「お前はカイウスだな……? 立派に育ったものだ……ああ、メリッサにも見せてやれれば……」

「め、メリッサ……!? なんでその名前を……」

「誰だ? どこかで聞いた名だが……」

ティルキスの問いに、カイウスは視線を教皇に向けたまま「母さんの名前だ」と答える。

「何で母さんの名前を知ってるんだ……お前はオレの……ルキウスの何なんだよ!?」

「メリッサは私の妻だ……つまり……私は、お前とルキウスの父親だ……今となっては、そう名乗る資格があるのかも分からぬが……」

「そっ……そんな、まさか…………!」

「……そうか、だからカイウスにはザンクトゥが無かったのだな」

衝撃を受けるカイウスの後ろで、フォレストが腑に落ちた様子で言った。

以前ラムラスは、カイウスの母メリッサはレイモーンの王族――つまりレイモーンの民であると言っていた。
対して、今父を名乗ったこの教皇は純粋なヒトだ。その二人の間に生まれたのがカイウス達だと言うのなら、彼らはヒトとレイモーンの民のハーフだという事になる。レイモーンの民の特性が発現しないことも十分有り得るだろう。

カイウスも、驚きこそすれ納得は出来たのか、悲しげな顔で教皇の傍に膝を着く。

「カイウス……お前にも苦労をかけたな。だが……良き親に育てられたようだ……」

「はい。立派な父さんでした。でも……貴方とも、もっと早くに会いたかった……!」

「すまぬ……私は、メリッサを失った悲しみに耐えられず……彼女を蘇らせたい一心で、生命の法などという悪魔の術に手を出してしまった……その結果がこれだ。心優しいルキウスに同族を狩らせ……生き別れたお前を探すこともせず、ひたすらに生命の法の成就だけを追い求める幽鬼と化していた……14年前のあの時、生命の法に手を出す前に……クベールの忠告に耳を傾けていれば……」

「クベール? それは獣人戦争時代の宰相の事ですか?」

百年も前の偉人と会話などできる筈がない、という疑念をアーリアから向けられた教皇は、喀血しながら経緯を語る。

曰く、彼がクベールと出会ったのは14年前――ちょうどジャンナ事件の折だった。
当時、話し合いを申し入れてきたレイモーンの民を彼は歓迎していた。あの日のトールスと同じく、ヒトとレイモーンの民の共存が叶うと信じていたのだ。種族のいがみ合いによって妻を亡くした彼にとって、それだけが小さな希望だった。

だが、そんな願いを乗せた会議は失敗に終わった。
秘密裏に行われるはずだった会合は国王に知られ、乗り込んできた近衛騎士達によって、フォレスト達8人のレイモーンの民は、目的を果たせぬまま逃亡を余儀なくされた。

「彼らの逃亡に手を貸した司祭も、国王に直訴しに行ってくれた僧も、なんの因果か惨たらしく殺され、死体となって帰ってきた……強硬派はそれをレイモーンの民の仕業だと断じて、異端審問は激化の一途を辿った……融和の為の会議は、種族の溝を埋めるどころか、取り返しのつかない遺恨となってしまった……それを目の当たりにして、私は絶望した。善きことなど、この世界には何も無いのだと思った。手の施しようが無いのだと……だから国王の甘言に乗って、生命の法などという邪法に縋ってしまった……」

間違っていた――だが、絶望の中、一縷の望みをかけて、確証の無い奇跡に縋った彼のその心の弱さを、誰が責められよう。
悲惨な過去を知って、皆は一様に口を噤む。

「クベールは今も生きておる……生命の法が何なのかを真に知りたければ、アデルハビッツへ向かうといい……」

「……待って下さい。一つだけ聞かせて欲しい。ジャンナ事件が、レイモーンの民の襲撃では無かったと言うのなら……私の両親は一体誰に殺されたと言うのですか?」

カイウス達との会話を尊重し、これまで黙って聞いていたレフォードは、せめてこれだけは聞いておきたいと話に割って入る。
教皇はレフォードの顔を見るなり、ひどく辛そうに表情を歪める。

「レフォード……すまぬ、もっと早くに真実を伝えるべきだった……私が正気を保てていれば……」

「それはいいですから! 答えてください!」

「……お前の母は、私やリロイ司祭と同じく……レイモーンの民との会議に賛同してくれていたのだ……だからあの時……近衛騎士が乗り込んできた時、彼女は抗議のためにたった一人で王城へと向かった……国王の考えがどうであれ、夫であれば、話を聞いてくれるだろうと言って……私もそれを信じ、望みを託した。だが……彼女はそのまま帰らぬ人となった……」

「だから――っ、どうして、どうしてそんなことになったのですか!?」

「それは私にも分からぬのだ……その傷痕から、皆はレイモーンの民の仕業だと思った様だが……」

「我々は殺していない!」

思わずそう叫んだフォレストに、教皇もしっかりと頷いた。

「私もそう思っている……レフォード、本当はお前にもそう伝えたかったのだ……仮に犯人がレイモーンの民だったのだとしても……お前が復讐に手を染める必要は無いと……お前の母はそれを望んでいないと……なのに、私は……! 私がお前にそれを命じたのか……!」

なんという事を、と、教皇は血に塗れた口で己を咎めた。
レフォードは教皇の過ちをどう判じればいいか分からずに頭を振る。

「……母のことは分かりました。では、父は? 乗り込んできた近衛騎士の中に父も居たのですか?」

「ああ……彼個人があの会議を、レイモーンの民をどう思っていたのかは知らぬ……だが、一つ確かに言えることは……近衛騎士を寄越したのも、私に生命の法を教えたのも……全ては国王、アレウーラ八世だという事だ……奴ならば、あの時城で何があったのかも知っていよう……」

「国王か……確かジャンナ事件の後、アール山に居を移したんだったか?」

「ええ、そうよ。表向きには襲撃事件を受けて避難したと言われているけれど……教皇様の今の話からすると、別の理由があるように思えるわね」

ティルキスとアーリアのそのやり取りを聞きながら、レフォードは「ならばさっさとそこへ向かおう」と一人先んじて出ていこうとしたが、教皇が呼び止める。

「もう一つだけ、お前に言っておかなければならない事がある……その父親のことだが……」

「そこまでよ」

レフォードが振り返るより先に、礼拝堂の奥――教会の最上階に続く階段がある通路から現れたロミーの声が、教皇の言葉を遮った。

突然現れた相手に皆が適切なリアクションを取れずに居る中、何故か近衛騎士を従えているロミーは教皇の前に。

「ああ教皇様、そんなに傷だらけになって……お可哀想に。とても見ていられないわ。だから……」

「……!? 待てロミー、何を――――」

部屋の中に雷鳴が轟いた。

教皇のすぐ傍に居たルキウスやカイウスも、その他の誰もが、ロミーがプリセプツを行使するのを止められなかった。

室内は凄まじい光に包まれ、皆の悲鳴が上がる。それらが止んだ頃には、皆あちこちの床に転がっていた。

痛む体を起こしたルキウスは、真っ先に教皇の無事を確かめようとして――――その目に焼け焦げた死体を映す。

「……きょ、教皇、様……あ、ぁああ……っ」

絶望しながら、それでも本能的に彼の傍へ行こうと、床を這って進むルキウスが伸ばした手を、ロミーが容赦なく踏みつける。

「全く情けない。揃いも揃ってリカンツ如きにやられるなんて……異端審問会も所詮はこの程度なのね」

「ロミー……お前……ッ!」

「なぁに? その目は。今のは慈悲よ? これ以上無様な姿を晒さなくて済むように、苦しまなくて済むようにしてあげたのよ」

「ふざけるな……! それに、そのペイシェントは……!」

ロミーが掌で弄んでいるペイシェント。
それはカイウスの持っているものと同じ、かつてはメリッサと揃いで着けていたのだろう、教皇のペンダントだ。

どうするつもりだと問い詰めるルキウスを見下ろしながら、ロミーは愛おしげにペイシェントに口付ける。

「決まっているでしょう? 生命の法に使うのよ。随分と時間がかかってしまったけれど、今回の実験でようやく生命の法は完成したの! ペイシェントを使い果たす前に間に合って良かったわ」

「……!? ちょ、ちょっと待って。生命の法って、カイウスのお母様を生き返らせる為に、教皇様がやってただけなんじゃ……」

困惑するルビアの問いに、ロミーは「そんなわけないじゃない」とクスクスと笑い、ルキウスから離れろと斬りかかったカイウスの攻撃をひらりと躱す。

「死んだ人間が生き還るだなんて話はね、この男を利用する為に吐いた真っ赤なウソよ! なのに信じて必死になって、本当に馬鹿なんだから」

「……あ、あなた、どこまで……! どこまで人の心を踏み躙れば気が済むのよ!?」

許せない、と武器を構えたルビアと共に、一行は一斉にロミーに襲いかかった。
が、それらの攻撃はロミーの周囲に居た近衛騎士達に防がれる。

「くそっ、何なんだよこいつら!? 邪魔するな!」

「近衛騎士が、どうして異端審問官と一緒に……」

「察しが悪いわねぇ。生命の法を成就させたがっているのが誰なのか、もう聞かされたでしょう?」

「……そうか、つまりお前も、近衛騎士も、全員国王の手先だって事だな……!?」

そんな会話を聞きながら、身の振りを決めかねていたレフォードも「少なくともロミーにペイシェントを渡すのは良くは無いか」と考え、カイウス達の加勢に入ったが、

「ああ、そうそう。レフォード、さっき教皇様が言おうとしていた事だけど――――貴方の父親は生きているわよ」

ロミーのその言葉で動きを止めた。
その隙を突こうとする近衛騎士の攻撃を、フォレストが受け止めて弾く。

衝撃で、相手の顔を覆い隠していた甲冑が外れて転がった。
レフォードは、背に庇うように立ってくれているフォレストの体越しに、今自分を殺そうとしていた近衛騎士の顔を見た。

「……………………父、上…………?」

「!?」

相手の追撃を受け止めたフォレストは、レフォードの言葉に驚きつつ、彼を抱えて一度後ろに下がる。

「どういう事だ!? あの男はお前の父親なのか!?」

「わ、分からない……分からない……だって、父上は死んだ筈で……」

だが、視覚から入ってくる情報は、あれは確かに父だと言っている。

フォレストも今一度、相対している男をじっと観察した。
齢は五十ほどだろうか。レフォードの親と言われれば確かに、その面影はあるように思う。

そんなフォレストとレフォードの様子を遠巻きに眺めていたロミーは、満足したように酷薄な笑みを浮かべた。

「さあ、もうこんな所に用は無いわ。貴方達ともこれでお別れね? それじゃあ、さようなら」

「待てっ!!」

逃がすものかと、カイウスは剣を振り下ろしたが、ロミーが転移する方が速かった。
ティルキス達と戦っていた近衛騎士達も同じく消えて、騒がしかった礼拝堂に静けさが戻る。

カイウスは悪態を吐きながらも、教皇の遺体に覆い被さって泣いているルキウスの元へ。
消耗して座り込んでいた仲間達も、互いを労りつつ祭壇の前に集まる。

レフォードは、茫然自失の状態でその場に立ち尽くしていた。
フォレストがそれに気付いて、気遣わしげに肩を叩く。

「……大丈夫か?」

「なんで……どうして父上が……ロミーは知っていたのか……? 最初からずっと、僕を騙して……でも、だとしてもどうして……」

生きていたのなら、今までずっと何処に居たのか。連絡も寄越さずに何をしていたのか。何故今ロミーと一緒に居るのか。
ロミーは事件の真相を知っているのか? まさか。彼女は当時まだ赤子だった筈だ。
そもそも父は母と一緒に埋葬されたのでは無かったのか? 教皇が嘘を言っていた――いや、それも操られて言わされていたのか? だが何の為に?

何より――――父が自分を殺そうとするなんて、そんなことは有り得ない。有り得ない筈なのに。

今起きたことの全てが信じられず狼狽えるレフォードに、フォレストが再度呼びかける。

「レフォード、しっかりしろ。お前にとっては大事なことなのだろうが、今はその事について考えるよりも先にすべき事がある」

「わ……わかってる。分かっている。大丈夫、僕は大丈夫だ……」

動揺と不安と得体の知れない恐怖でバクバクと脈打つ鼓動の音を聞きながら、レフォードは自分を落ち着かせるためにそう繰り返した。
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