鞠躬尽力、死して後已まん
「ルキウス、大丈夫か?」戦闘が終わってから暫く。
心配そうな顔で見守るカイウスに、ごしごしと服の袖で目元を拭ったルキウスは頷いた。
「泣いてる場合じゃない。早くロミーを追わないと……」
「でも、ロミーは何処へ行ったの?」
「黒幕が国王だって言うんなら、アール山に向かったんじゃないか? そこでまた生命の法を行うつもりだろうよ」
「ロミーは生命の法が完成したと言っていたけれど……完成するとどうなるの? 死者を甦らせるって話は嘘だったようだけれど……」
「ボクにも分からない……けれど、恐らく良いものではないだろうね」
ルキウスは煤けた教皇の瞼を指先で下ろして、黙祷を捧げた後立ち上がる。
「ボクはロミーを止めに行く。傍に居たのに、企みに気付けなかったのはボクの責任だ」
「オレも行く! これ以上、あいつの好きになんてさせるか! 生命の法がろくでもないものだって言うんなら、絶対にオレが止めてやる……!」
「あたしだってそうよ! ここに居る全員が同じ気持ちだと思うわ」
「そうね。アール山に行くのなら、その麓にあるアデルハビッツにも寄ってみてはどうかしら。教皇様はそこにクベールが居ると仰っていたし……生命の法について、なにか聞けるかも」
「だがクベールってのは百年も前の人間の筈だろ? 本当に今も実在するのか?」
「どのみち決戦の前に準備は必要でしょう。町で聞き込みをする程度なら、それほど時間もかからずに済むかと。ただ……私はサンサから向かう方法であれば分かりますが、ここからだとかなりの距離があります」
「それなら、ボグナム方面から向かうルートはどうですか? サンサを経由するよりも早い筈です」
そんな行き方があったのかと感心するフォレストに、アーリアは少し寂しそうな顔で答える。
「アデルハビッツは、私と……アルバートの故郷なんです」
「……そうか。なら、案内は任せていいか?」
「ええ。まずは北の門を目指しましょう」
アーリアの先導で、一行は教会を出てジャンナの市街地へ。
街と教会を繋ぐ長い通路を走っていくと、その先に見えたのはスポットの群れ。
「!? なっ……なんだ!?」
どこから湧いて出たのか、街はスポットで埋め尽くされていた。
あちこちで火の手が上がり、炙り出された住民達がスポットに狩られていく。
その中を、獣人化したレイモーンの民達が駆け回っていた。
彼らはスポットを倒しながら、住民を安全な場所へと逃がしている。その内の一人が、カイウス達に気付いて駆け寄ってきた。
「フォレスト! 無事だったか!」
「トールス!? 何故ここに……」
「勘違いするなよ、何もお前との約束を破りに来た訳じゃない。ただ、ジャンナがスポットの大群に襲撃されてるって話を聞いてな。こういう時、教会の連中はレイモーンの民に罪を擦り付けようとするだろう? だから先手を打っておこうと思っただけだ」
「素直に助けに来たって言えばいいのに……」
「何か言ったか?」
「なんでもないわ! でも、これだけの数のレイモーンの民をどうやって集めたの?」
「半分はラウルスに集まっていた同郷の仲間達だ。もう半分は……見覚えはないか?」
「? …………あっ! もしかして、前に教会の地下に捕まってた人達か!?」
「その通り! 言っただろう、レイモーンの民は必ず借りを返すと!」
カイウスの言葉に答えたのは、近くを通りがかった別のレイモーンの民だった。
トールスを襲おうとしていたスポットを殴り倒して、止まることなくそのまま次のスポットに向かっていく。
「そういう訳だ。それより、お前達の方は? 教皇との決着はついたのか?」
「ああ。だがまだ終わっていない。教皇も利用されていただけだったのだ。元凶は別に居る」
「そうか。ならばさっさとケリをつけて来い。ここは俺達が何とかする」
フォレストの返事を待たず、トールスは戦う仲間達のところへ駆けて行った。
確かに今はここで足止めを食うわけにはいかないと、一行は彼らの厚意に甘えて街の出口へ向かう。
途中、レフォードが不意に足を止めた。
その視線の先には、燃えている一軒の家がある。
フォレストがどうしたと尋ねても、レフォードは答えなかった。
炎を映して緋色に染まった瞳が、動揺と悲しみに揺らめいているのを見て――フォレストはあれが彼の生家なのだと察する。
なんと声をかけてやればいいのかと悩んでいる間に、レフォードは燃え盛る家から顔を背けて、再び走り出した。
どうしてこの世界は、こんなにも冷たいのだろうか。どうして皆がこんな目に遭うのだろうか。
何処にぶつけることも出来ないそんな悔しさを滲ませながら、フォレストも黙って彼の後に続いた。
そうして、スポットに占拠された王都から逃げ落ちるように、一行は大陸最北端の町アデルハビッツに辿り着いた。
クベールの生存に関しては皆半信半疑だったが、実際に本人と対面出来たことでその疑いは晴れた。
教皇に言われて来たことを伝えると、クベールは自身がペイシェントの力で寿命を超えて生き永らえてきた事と、己の過去について語ってくれた。
かつて滅びに向かうレイモーンの民を救う手段として、旅人から生命の法について教わったこと。
必要なペイシェントを造り出すために、数え切れないほどのレイモーンの民を犠牲にしたこと。
そうまでして実行した生命の法は、彼の望む結果を齎してはくれなかったこと。
民に善き心を取り戻させ、枯れた大地を甦らせると伝えられていたその術は、それらの代わりに黒く小さな扉を生み出した。
そこから溢れ出た闇はレイモーンの民も都も全てを呑み込み、一夜にして全てを消し去った。
「では、あの砂漠化は戦争のせいではなく……貴方が行った生命の法によるものだったと?」
「そうじゃ。そして旅人は、残されたペイシェントを持ち去って消えた……騙されていたのだと気付いた時には、全てが遅かった……」
「そうだったのか……だが、旅人は何故そんな危険な術を貴方に教えたんだ? レイモーンの都を滅ぼして、旅人に何の得が?」
「……聞いてくれば良かろう。その旅人は、儂と同じくペイシェントの力で今も生きておる。奴の正体はアレウーラ八世――当時は五世と名乗っておったがの」
「何だって……!? じゃあ、今の国王は百年も前から生命の法を試し続けてきたっていうのか!?」
「でも、同じ人間がずっと王位に居続けることなんて出来るのかしら? 民衆を欺くだけならともかく、近衛騎士のように王に近しい人達は気付く筈でしょう?」
「……気付いた者は排除してきたのかもしれん。そうすれば、外に情報が漏れることは無くなる」
「……もしかして、フェルンでオレにペイシェントを託したあの近衛騎士も、それで逃げてきたのか……?」
「アール山に移ったのも、姿を見られないようにする為だったのかもな。そう言えば、フォレストは14年前に国王には会ってないのか?」
「はい。城中探し回りましたが、結局見つけられませんでした。国王の間には少年が一人居ただけで……」
「否、それこそが王じゃよ。儂が見た時もその姿じゃった」
「そんな、この国の王様が子供だって言うの!? 無理よ! 生命の法だって、かなり高度なプリセプツなんでしょう? そんな小さな子に扱えるわけ……!」
「疑うのなら、その目で確かめて来るがよい。じゃが戦うつもりなら勧めはせん。奴は強い。これまでにも挑む者は居ったじゃろう。じゃが……」
「……それでも、何もせずに諦めることなんて出来ない。このままじゃ、皆大切なものを奪われるだけだ! クベールさんだって、納得してないんだろ!?」
カイウスの言葉に、クベールは深く重い息を吐いた。
それは百年の歳月の間に積み重なった、色んな想いの籠ったものだ。
「……ならば力を貸そう。王を倒す為に構築したとっておきのプリセプツがある。強力な分、容易く扱えるものではないが……習得する気があるのならば教えてやる」
「是非お願いします!」
「あたしも、それで国王が倒せるなら……!」
「なら、二人が術を教わってる間に、俺達は買い出しでもしておくか」
「そうだな。ルキウスはどうする?」
「ボクも戦いに備えて準備しておきたいプリセプツがあるんだ。クベールさんにも相談したいから、ここに残るよ」
「じゃあここで一旦解散にして、用が済んだら宿に集合ってことでいいか?」
カイウスの提案が採用され、ルビア、アーリア、ルキウス以外の面々は、アデルハビッツの町中に散らばる。
フォレストはずっと不安げな顔で俯いたままのレフォードが気にはなったが、先に今後の話をつけておこうとティルキスを追った。
「ここに居たのか。捜したぞ」
それから一時間後。
ティルキスとの話し合いの後、レフォードを捜し回っていたフォレストは、町外れの湖畔近くに一人座り込んでいるその人を見つけた。
以前ラウルスで戦った際に鎧をトールスに破壊されて以来、ろくな防具も着けずに居たレフォードは、恐らくは町で調達したのだろう新しい鎧に身を包んでいる。
「……出発するのか?」
「いや、まだルビア達の用が済んでいない」
「そうか。なら、悪いが一人にしてくれ」
フォレストの方を向きもせず、レフォードは言った。
フォレストは一瞬動きを止めたが、立ち去ることはせずレフォードと背中合わせに座る。
「黙ってここに居るだけならいいか?」
「…………良くない」
「そうか」
と、言いながらも動こうとしないフォレストに、レフォードは抗議しようと口を開いて――――どうせ何を言っても無駄だろうと、何も言わずに閉じた。
互いにそれ以上の会話は無いまま、暫くの間静寂が続いた。
風の音も、虫の鳴き声も、人の話し声もしない。凍てつくような寒ささえ無ければ、夢の中にでも居るかのようだった。ざわついた心を落ち着かせるには丁度良い。
「……父親のことか?」
沈黙を破ったのはフォレストだった。
結局喋るんじゃないかと思いながら、レフォードが答える。
「それもある。他にも色々……考えることだらけだ」
家も燃えたし、と途方に暮れているレフォードに、フォレストが徐に話し始める。
「ティルキス様にはもう伝えてあるが……国王との戦いが終わっても、俺はセンシビアには帰らず、アレウーラに残ることにした」
「……そうなのか? 急だな」
「ずっと考えてはいたのだがな。教皇の話を聞いて思ったのだ。14年前、あの会談を成功させようと思ってくれていた者が、ヒトの中にも確かに居たというのなら……全ては国王の謀略のせいだったというのなら、まだ融和の道は断たれてはいないのではないかと。だから此処で、トールス達と共に、かつての夢をもう一度追いかけてみようと思う」
とは言え、具体的な活動内容はまだ決めていないのだが、と苦笑しつつ、「上手くいくといいな」と他人事として聞いている様子のレフォードの方を向く。
「とにかくこれで、今後もお前の傍には居られる。住処が無くなったのなら、いっそのこと共に暮らさないか?」
その提案にリアクションが返ってくるまで、やや間があった。
振り向いてフォレストを見たレフォードは複雑な顔。
「……前から気になっていたんだが、お前は僕の両親を殺したのはレイモーンの民では無いと、そう確信しているんだろう? その上で、僕がレイモーンの民に見当違いな復讐をしてきたことについて、何とも思わないのか?」
「何とも、ということは無いぞ。やめて欲しいとは思っている」
「そういう事じゃない。軽蔑とか、嫌悪とか……そういう感情を抱くものだろう、普通は」
「お前がなんの理由も事情もなくやっていたのなら、そう思っていただろうな」
「理由や事情があれば、命を奪うことが許されるのか? 僕は……父上や母上を殺したやつに何か背景があったのだとしても……許すことなど出来ない」
きっと己が殺してきたレイモーンの民の中にも、同じように思っている者が大勢居るのだろう。
それでも、自分だって被害者なのだから。先に手を出して来たのはレイモーンの民の方なのだからと、そんな言い訳で自分を正当化してきた。
だがそれが人違いだったと言うのなら。
自分はただの人殺しだ。
「……例え真実がどんなものでも、俺の気持ちは変わらん。どんな奴にでも、一人ぐらいは味方が居てもいいだろう?」
レフォードの隣に座り直したフォレストは、自責の念に潰されそうになっているレフォードの頭を撫でた。
レフォードはふるふると頭を振る。
「僕はそんなの許さない。悪は裁かれるべきだ。味方をするのならそいつも一緒に裁いてやる――そういう考え方で生きてきたんだ。自分が悪の側になった時だけ都合よく曲げるなんて……」
「まあお前の考えがどうであれ、俺は勝手に付き纏うが」
「…………どうしていつもそう強引なんだ」
「お前がいつも強情だからだ」
「……………………」
「それより、ずっとここに居ては冷えるだろう。続きは宿で話さないか?」
「僕はここに居る。ここの方が落ち着く」
と、寒さで赤くなっている鼻を啜りながら答えるレフォードに、フォレストは苦笑しながら一度町へ戻った。
暫くして、二人分のマグカップを手にやって来る。
「ほら」と湯気の立っているそれを差し出されて、レフォードはきょとんとする。
「何だこれは?」
「ジンジャーティーだ。暖かい場所へ移るのが嫌なら、せめてこれを飲め」
そのままでは風邪を引くと注意されて、躊躇いがちに受け取ったレフォードは、匂いを嗅いでから一口だけ啜った。
一瞬熱さに顔を顰める様を見て、フォレストが笑う。
ジンジャーの独特な風味と、蜂蜜の甘みが口の中に広がって、体の内側から少しづつ暖まっていくのを感じる。
張り詰めていた心までもが溶かされていくようで、レフォードの目には涙が滲んだ。
「……あまり優しくしないでくれ」
「お前が自分に優しく出来るのであればな」
「罪人に優しくする必要は無いだろう」
「お前はそう考えるのだな。俺は優しくしたいと思うかどうか≠ナ判断しているが」
「……………………」
「飲むなら冷めない内に飲んだ方がいいぞ」
確かにせっかく用意してくれたものを台無しにするのは勿体ないと、レフォードは素直に二口目を啜った。
「……有難う。美味しい。あったかい」
言いたいことはあるが、一旦それらを横に置いて礼を述べたレフォードに、フォレストは「どういたしまして」と柔らかい笑みを浮かべた。
レフォードは涙と湯気で濡れた瞳にそれを映す。
フォレストと居ると、心の淀みが澄んでいく。このジンジャーティーと同じように、凍った心を溶かすような心地の良い温もりを感じる。
けれどそれと同時に、自分が底なしの沼の上に立っていることを思い出すのだ。
彼にしがみついたままでは、彼までこの泥の沼に引き摺り込んでしまうかもしれない。
けれど手を離して、独りで沼に沈む度胸もない。
(……救いようもなく身勝手だな、本当に)
フォレストはカップに視線を落としているレフォードが、今何を考えているのだろうかと思いを巡らせた。
「……もし、この先に待っている真実がどんなものだったとしても、俺がお前の傍に居る。だから……大丈夫だ、何とかなる」
そして、悩んだ末にそんな言葉をかけた。
かつて「その場凌ぎの慰めでしかない」と切り捨てたその言葉が、絶望に浸る己の心を確かに軽くしてくれたのを感じて、レフォードは自嘲混じりの笑みを零した。