鞠躬尽力、死して後已まん
漸く人心地がついて、皆は半壊した城の床に座り込んで休んでいた。そんな中、事が終わるなり部屋を出て行ったフォレストが、戻ってきて尋ねる。
「誰か、レフォードが何処へ行ったか知らないか?」
戦いに集中していた為に気付いたのは終わってからだったが、部屋の近くに居たはずのレフォードは、いつの間にかいなくなっていた。
一緒に戦っていたカイウス達も揃って首を横に振る中、ルキウスが「そう言えば」と切り出す。
「ここに来る途中にすれ違ったよ。声をかけても反応が無くて気になったけど……先に国王の方を何とかしなければと思って、追いかけはしなかったんだ。だから、その後の事は知らなくて……」
「そうか。ならば私は少し近辺を見て回ってくる。ティルキス様、この場はお任せします」
「俺も手伝うか?」
「いえ。扉を閉じたとは言え、まだスポットの残党が残っている可能性があります。戦う余力が残っているのは、私とティルキス様とカイウスだけでしょうから、カイウスと共にここで襲撃に備えて頂いた方が、アーリア達も安心出来るかと」
「……まぁ、それもそうだな。分かった」
フォレストは一礼して、足早に城の外へ。
周囲の熱を奪っていたのであろう、生命の法を止めた影響だろうか。吹き荒れていた吹雪は止み、夕暮れの空には晴れ間が覗いていた。
雲間から光が差し込む様子も、雪が陽に照らされて輝く様も、全てが美しい。これから先の未来はきっと明るいだろうと、そんな希望を抱かせてくれる光景だった。
だが、その景色の中にレフォードは居ない。
フォレストは焦っていた。レフォードが今どんな心境で居るのか想像すればするほど、動く足は速さを増した。
今の自分が追いかけても、また彼を怖がらせてしまうだけなのかもしれないが。しかし、だからこそ追いかけなければとも思った。
今の彼を救える者が居るとするならば、それはきっと、レイモーンの民である自分だけなのだろうから。
フォレストがレフォードを探して駆け回っている最中、レフォードもまた別の場所で、息を切らし走っていた。
城を出てからもうどれくらい走ってきたのか分からない。
時間も、場所も、何もかもが曖昧なまま、ただひたすらに足を動かす。
陽は傾き、世界は闇に包まれようとしていた。
いつの間にか地面は砂地に変わっていた。砂に足を取られて転びそうになりながら、それでも地平線に沈みそうになっている光を必死に追いかける。
向かうべき場所などない。ただ後ろから迫っている闇から逃げたかった。
その闇は、いつか明ける夜の闇とは違う。一生解けることのない永遠の暗闇。
以前ここで襲ってきたレイモーンの亡霊が出てくるのでは無いかと思ったが、何故か今回は出てこなかった。
それでも、レフォードは自分の後ろから彼らが追いかけてきているような気がしていた。
誰か助けてくれと叫びたかった。けれど助けを求められる相手が居ない。
絶対的な味方だった筈の父と母でさえ、今回ばかりは救いの手を差し伸べてはくれない。
当然だ。自分は二人の誇り、生き様に泥を塗ったのだ。
彼らが命を懸けて守ろうとしたものを、自分は14年もの間壊し続けてきたのだ。両親を殺した真の黒幕に仕え、操り人形のようになっていた。
両親はきっと、自分達の子供が真実を暴き、悪を倒し、この世界の人々を救うことを望んでいた筈だ。
その願いに気付かず、敵の口車に乗せられて、レイモーンの民を罵り命を奪い続ける自分を、どんな気持ちで天から見ていたのだろう。どれほど失望したことだろう。
何故疑わなかったのか。
まだ幼かったから?
教会に植え付けられたレイモーンの民への先入観があったから?
そんなものは言い訳だ。自分はただ、楽な方を選びたかっただけだ。被害者≠ナ居たかっただけだ。
両親を亡くし独りになってしまった悲しみを、この先の不安を、ぶつける場所が欲しかっただけだ。リカンツに殺された≠ニいう話が、そのぶつけ先として丁度良かっただけだ。異端審問官≠ニいう居場所が、自分にとって都合が良かっただけだ。
父と母は、険しくとも正しい選択をしたのに。
自分だって、彼らのように気高く誇り高い人間で在ろうと思っていたのに。
やがて体力が尽きて、レフォードは砂漠の上に転がった。
肺が痛い。うまく呼吸が出来ない。足も手も上手く動かない。全身に鉛が乗っているようだ。
それでも、それに勝る恐怖がレフォードの背を押した。諦め悪く、砂の上を這って進む。
逃げても逃げても、己の犯した罪はどこまでも追ってくる。
「……赦してくれ。僕が悪かった。でも、僕だって騙されていただけなんだ……」
逃げ続けた先に誰かが立っていた。
見上げた先に映ったのは、槍を構えた己の姿。
「赦してくれ=H ふざけるな。お前達がどんな償いをしても、それで犯した罪が消えることなどない。死んだ者はもう二度と戻らないし、遺された者はずっと悲しいままだ。ならばせめて、その怒りを受け止めろ。お前達に殺された人々の痛みを思い知れ……!!」
それはずっと、レイモーンの民に向けてきた自分自身の言葉だった。
――――ああ、そうだ。その通りだ。
ずっとそう思って生きてきた。それが正しいと信じていたのだ。いや、今も信じている。
悪は絶対に裁かれるべきで――その悪は自分だったのだ。
「死ね、
過去の自分が槍を振り下ろした。
夕陽が完全に沈んで、世界が闇に覆われていくのを見ながら、レフォードはそれを受け入れた。
一体どこまで行ったのか。
アール山を降り、アデルハビッツ、ボグナム、各所の門などを見て回ったフォレストは、次いでレイモーンの都へ向かって走っていた。
夜の砂漠は完全な暗闇に包まれていた。月の出ている時はこれほど暗くは無いが、今日は――恐らくはアール山の方から流れてきた――分厚い雲が月光を覆い隠している。
下手に明かりを灯すより、闇に目を慣らした方が広範囲を見渡せると考えて、フォレストはそのまま砂地に足を踏み入れた。
暫く歩いてレイモーンの都に到着すると、家屋の中を含め隅々まで見て回る。
(……ここにも居ないか。となると、あと見ていないのはラウルスと……船に乗ってジャンナに戻っている可能性もあるな)
そんなことを考えながら、もうここには用はないと再び砂漠を横断し始める。
しかし歩き始めて数分後。不意に柔らかい何かに躓いて、フォレストは盛大に転んだ。
「げほっ! ――な、何だ!? 魔物か!?」
転んだ拍子に口に入った砂を吐き出しながら、フォレストは少し距離を取った。
が、今の衝突で被っていた砂が落ちたらしいその何か≠見て、慌てて駆け寄る。
「レフォード!? 何故こんな場所に倒れて……」
困惑しつつも助け起こしてみたが、レフォードはぐったりとしたまま動かなかった。
前にもこんなことがあった。まさかまた幽霊にでも襲われたのかと思いながら軽く揺さぶってみる。しかし以前とは違い、なかなか目を覚まさない。
「……レフォード? おい、しっかりしろ」
見たところ外傷は無い。故にただ気絶しているだけだと思ったのだが、ペチペチと頬を叩いても、抓ってみても、レフォードはまるで人形のように無反応だった。
生気が感じられない。見つけたことで幾分和らいでいた不安感がフォレストの胸中に蘇る。
口元に手を翳してみたが、その呼吸は今にも消えてしまいそうなほどに弱々しい。全身の血が見る間に引いていく。
「レフォード! しっかりしろ! 目を覚ませ!! くそ……っ!」
こんな事ならアーリア達も連れてくるべきだったと悔いながら、何か無いかと懐を探って、指先に触れたライフボトルを引っ張り出す。
蓋を外し、乾いた唇を指で強引にこじ開けて流し込んでみたが、状況は改善しなかった。
口の隙間から零れて地面に落ちた薬液が、砂に吸われて消えていく。
夜の砂漠の冷たい風のせいか、どんどん冷たくなっていくレフォードの体に、フォレストは恐怖を覚えた。
これ以上体温を奪わせまいと、庇うようにその体を抱き締める。
一体どうすれば。ここから1番近い場所はラウルスだが、あそこの住民が異端審問官を助けるのに手を貸してくれるとは思えない。
「……そうだ、確か東の門にこいつの知り合いが居たな。そいつに頼んで……」
『無駄だ』
突然、どこからともなく人の声がした。
いつからそこに居たのか、多くのレイモーンの民――正しくはその幽体が、周囲を囲んでいる。
「貴方がたはレイモーンの都の……まさか、レフォードを襲ったのは――」
『誤解だ。我々は何もしていない。その男は自滅したのだ。己でかけた呪いに殺されたのだろう』
「……呪い?」
『そうだ。ヒトにも、レイモーンの民にもある呪いだ。誓い≠ニも呼ぶ。それは死に瀕した時に立ち上がる力にもなるが、己を縛る鎖にもなる。込めた思いが強ければ強いほど、締め付ける力も強くなる……その男にとって、罪なき者を傷付けない≠ニいう誓いは、余程大切なものだったのだろう』
「…………!!」
『元より、罪なき我が同胞を殺めていたのだ。始めからその誓いを破っていたに等しいが、今更それに気付くとは。国王に唆されたクベールといい、いつの時代にも愚か者は居るのだな』
レイモーンの亡霊達の言葉には、呆れと達観が滲んでいた。
確かに、100年前も今も、この世界に生きる人々は進歩していないのかもしれない。同じ過ちを続けてきたのかもしれない。彼らほどでは無いが、自分もそんな世界を見てきた。
だが――フォレストは2本目のライフボトルを取り出しながら、滅びた同胞に訴えかける。
「一度でも間違えた者は皆死ななければならないのか? やり直す機会を与えてはいけないのか?」
『一度間違えた者は二度同じことをする。人はそう簡単には変わらぬ』
「貴方がたがそう思う気持ちは分かる。私も、ヒトに対してはずっとそう思っていた。だが、変わることを信じて手を差し伸べてくれる者も居る。私はそのヒトに命を救われて、今ここに居る。だから……私も同じようにヒトを信じ、ヒトを赦したい」
2本目のライフボトルも、僅かに乾きを潤しただけだった。
無駄なことだと諭されても、フォレストはやめようとしない。
『お前が赦しても、その男は己を赦さないだろう。自ら命を絶ったのは、その男のせめてもの矜恃だ。命を救っても、感謝などされぬぞ』
「……そうだとしても、そういう男だからこそ、死なせたく無いのだ。こいつは罪を犯した。被害者にとっては赦されざる悪なのかもしれない。だがそれだけでは無いことを私は知っている。こいつはただ、間違えてしまっただけで――――」
その先は言葉にならなかった。
色んな感情が溢れて、フォレストの頬を涙が伝う。
レフォードは、ティルキスと出逢う前の自分だ。
好きだという言葉で誤魔化し続けた、彼を見捨てなかった理由は、端的に言えばそんな身勝手な自己投影によるものだ。
ティルキスが居なければ、自分はとっくに処刑されていたか、今もセンシビアの山奥で獣同然の日々を過ごしていたことだろう。
絶望の中、己の過ちを呪いながら、命が尽きるその時をただ待つだけの、空虚な人生を送っていたのだろう。
だが自分はティルキスに救われた。
彼は見ず知らずの自分を信じ、やり直す機会を与えてくれた。
たった一人と出逢っただけで、自分の考えや人生は驚くほどに変わるのだ。そんな経験が出来た己は幸運だったと思う。
ヤスカの近くでレフォードと戦った時、彼もかつての自分と同じだと思った。
頑なに己の考えを曲げようとせず、他人の言葉を聞き入れようとしない。ヒトとレイモーンの民の融和など有り得ないと思い込んでいる。あまりにもソックリだと思った。
だから変えてやりたかった。
ティルキスが自分にしてくれた事を、今度は自分がレフォードにしてやりたいと思った。
疑る心を乗り越え、手を取り合えた時の感動を伝えたかった。この喜びをヒトと分かち合いたかった。
争いや裏切りに満ちたこの世界にも、まだ希望は残っているのだということを、共に信じてくれる誰かが欲しかった。
笑い方を忘れても、また笑える日が来るのだと教えてやりたかった。
「レフォード……お前は、この14年の間ずっと苦しかったのだろう。だがお前から全てを奪った悪は漸く斃れたのだ。これからは、お前の好きなことをすれば良い。好きな場所へ行って、好きな物を食べて、楽しいことをして過ごすのだ。そうすれば、きっとまた笑えるようになる。時間はかかるかもしれないが、いつかはきっと……だから頼む、目を開けてくれ。こんな寂しい場所で、独りで死なないでくれ…………」
フォレストは暫くの間、その場でレフォードを抱き締めて泣いていた。
やがてそれが無意味な行いだと悟ると、レフォードを抱えて、ティルキス達の待つアール山へと戻って行った。