鞠躬尽力、死して後已まん

無理矢理に飲ませ続けたライフボトルが、あれで多少は効果があったのか、はたまたルビアやアーリアの懸命な治療のお陰か、レフォードの命は何とか繋ぎ止める事が出来た。

ただ、それは本当に生きている状態を維持しているだけ≠セった。
心臓は動いている。呼吸も出来ている。しかし目を覚まさない。呼びかけても何の反応も無い。

待っていればそのうち起きるのではないかと、教会に運び込まれたレフォードの傍でフォレストは待ち続けたが、1週間経っても容態は変わらなかった。

「……仮にこのままずっと目が覚めないと、どうなる?」

「非常に残念ですが、そのまま亡くなられるケースが殆どです。早ければ半年、保っても数年です」

医師とのその会話を聞いて、場に居合わせたルビアは泣いていた。
他のメンバーも、泣きこそしなかったが、当然晴れやかな表情ではなく。フォレストは「後は自分に任せてくれ」と言って皆を帰らせた。

(……目を覚ましたくないのかもしれんな)

体の状態からすれば、いつ起きても不思議では無い。
それでも目を覚まさないのは、本人にその意思がないからだと医師は言っていた。

レフォードは死にたがっているのかもしれない。
身に覚えがあった。14年前、センシビアで全く同じことをフォレストも考えたことがある。

罪悪感と、自分のせいで誰かが不幸になる、そんな状況から逃げたかった。
レフォードも今同じように、この世界から逃げようとしているのかもしれない。

ならば無理に命を繋ぎ止めようとしている己の行いは、彼を苦しめるだけなのだろうか。

フォレストは病衣を着せられているレフォードの首を掌で包んだ。
力を込めれば簡単に折れるだろう。そうすれば彼の地獄は終わる。

フォレストはその姿勢のまま暫く固まっていた。
悩んで、悩んで、結局何もせずに手を離す。

今彼の意識はどこに在るのだろう。何を見て、何を思っているのだろう。
自分のことをほんの少しでも考えてくれているだろうか。

いつまでも傍で待ち続けている訳にもいかず、さらに1週間が経ってから、フォレストはトールス達と共に立ち上げたレイモーン評議会の活動を始めた。
残っているスポットの掃討、破壊された街の復興など、やる事は幾らでもある。

だがそれでも、フォレストは活動の合間を縫って、毎日欠かさずレフォードの様子を見に通った。
彼が目を覚ました時に、自分が来ていたことを知って貰えるよう、毎日生花を一本持って行くようにもした。

そんなことを続けても、あまり意味は無いようにも思えるが。
自分がこれを止めた瞬間にレフォードが死んでしまうような気がして、フォレストは願掛けのような気持ちで花を届け続けた。







暗闇の中に一輪の花が咲いている。

レフォードはそれを忌々しげに見ていた。
何も無い世界でその花の周りだけが光に照らされている。

何であんなものがある?
目を背けて見ないようにしても、香りが存在を主張してくる。鬱陶しい。

最初見た時はすぐに踏み潰した。
どうしてそんな事をしたのか自分でもよく分からなかったが、この暗闇の中に美しい物が在るのが無性に嫌だった。

それでも花はすぐにまた咲いた。
何度潰しても潰しても、違う花が咲き続ける。

しつこい。いい加減に消えてくれ。
レフォードが花が見えなくなるよう遠くまで走った。パシャパシャと足元で赤黒い水が跳ねる。

自分が殺してきた者達の血だ。花の匂いが錆びた臭いに変わっていく。
地面には骸が広がっていた。腐った血肉の塊の中に残った眼球が、じっとこちらを見ている。

暫く走って、レフォードは後ろを振り返った。
流石にこの距離なら花は見えないが、光がまだ残っている。

このまま走っていけば、光すらも完全に見えなくなるだろう。そうすれば終わる。

だがレフォードはそれ以上進まなかった。
震えて動かない脚を見て嘲笑う。

この期に及んでまだ生きたいのか。
あれだけの罪を犯したのに、まだ自分の命が惜しいのか。どれだけ浅ましいんだ。

どうせ戻っても、こことはまた別の地獄が待っているだけだ。悪に堕ちた自分に居場所など無い。
ならもうここに居た方がいいじゃないか。諦めて死を受け入れれば楽になれる。

だから、早くその光を消してくれ。
帰る道を残さないでくれ。

レフォードが光が消えるのを待った。
だがどれだけ経っても光は消えず、花はずっと咲き続けた。







瞼の裏に光を感じる。
肌に爽やかな風を感じる。
風に乗る花の香りがする。

レフォードは薄く目を開いた。
眩しい。世界が白い。上手く動かせない手で、近くの窓に掛かるカーテンを閉める。
窓辺には花瓶が置かれており、花が一本だけ生けられていた。

あの光と花の正体はこれか。自分などの為に手折られて可哀想に。
指先で花弁を弄びながら、レフォードは自分が奪ってきた命のことを思った。

間違った復讐の為に殺された人々。
その人々の帰りを待つ家族達。

親を失った子の中には、自分のようにヒトへの復讐に走る者も出てくるだろう。
フォレスト達が必死に築き上げようとしてきた、ヒトとレイモーンの民の融和が、また一歩遠のいてしまう。

自分一人が裁かれたところで、己の犯した罪と、それが齎した多くの人の不幸が消える訳では無い。折れた花を元に戻すことが出来ないのと同じ。何をしたところで取り返しはつかない。

だからと言って、何もしなくていい訳でも無い。償いはしなければならない。
でも何をすれば償いになるのか分からない。

途方に暮れていたレフォードは、不意に叩かれた扉の音に硬直。
次いでフォレストの声がする。

「レフォード、入るぞ」

今一番会いたくない人だった。
レフォードは「入るな」と叫んだ――つもりだったが、掠れた音が出ただけだった。
長く昏睡状態にあったせいで声が出ない。

慌てるレフォードの気持ちなど知らず、いつもの様に部屋に入ってきたフォレストは、起きているレフォードを見て固まった。

互いに相手を凝視したまま動かず、沈黙が流れた。
先に動いたのはレフォードだった。とにかくこの場から立ち去りたいという一心で、後先考えず窓から飛び降りようとする。

そして、後から動いたフォレストがそれを止めた。
首根っこを掴まれ引き戻されたレフォードは、そのままフォレストの腕に捕えられる。

抱き締める力がいつもより強い。
フォレストの手に花が握られているのを見て、今に至るまでの経緯を理解する。

言いたいことは沢山あるが、とにかく声が出ないのを何とかしなければ。
フォレストの手を取って、掌に指で「水」とだけ書くと、意図が伝わったらしく、相手は一度部屋から出て行った。

目を離すのが怖いのか、驚異的なスピードで戻ってきたフォレストは、水の入ったコップを差し出す。レフォードは何度も噎せながら、時間をかけてその水を飲み干した。

空になったコップを受け取って机に置いたフォレストは、今度は正面からレフォードを抱き締める。

「…………僕が何をしてきたのか知った筈だ」

なのにどうして、そんな風に愛おしげに抱き締めてくるのか。どうして見舞いになど来るのか。

放っておけば良かったのに。あのまま砂漠に捨て置いてくれれば良かったのに。僕は貴方の同胞を沢山殺したのに。貴方の傍に居る資格など無いのに。

一言にそれだけの気持ちを込めて言った。
フォレストは答えず、代わりに抱き締める力が一段と強くなった。

目と鼻の奥が熱い。
泣いてはいけない。この温もりの中に居てはいけない。

今この瞬間にも、自分のせいで苦しみ、突然の孤独に耐えかねて独り泣いている者が居る筈だ。加害者の自分が先に傷を癒すようなことなど、あってはならない。

レフォードはフォレストの腕の中から脱しようとしたが、力の差でビクともしない。
離してくれと言っても無視されてしまう。己の罪が膨らんでいくのを感じる。

「離してくれ。僕は、これ以上悪い奴になりたくない」

もう欠片ほどにしか残っていない、己の善たる部分を守りたかった。
己の罪を赦さず、己に厳しく当たることで、善の際に留まっていられる気がする。

それすらも止めてしまったら、自分はリカンツけだものになってしまう。
だと言うのに、フォレストは尚も離してはくれなかった。

「俺から離れたいのなら、俺を嫌いだと言ってくれ。それ以外の理由では離せない」

「……一緒に居ると貴方まで不幸になる」

「お前から離れる方が不幸だ」

「他のレイモーンの民に見咎められる」

「言わせておけ」

「……………………」

「終わりか?」

「貴方の傍に居ると僕は幸せになってしまう。それでは駄目だ。僕は誰より不幸であるべきだ。受けた痛みを癒すことは罪だ」

フォレストは、レフォードが拒絶する理由を汲み取ろうとして頭を捻る。
そして恐らくは自分自身を罰したいのだろうと結論付けた。

真にレフォードのことを想うのなら、その意志を尊重するのなら、彼の言う通りこの手を離して、処刑台にでも送ってやるべきなのだろう。
だが自分は、レフォードの罪を裁いてやることも、彼を暗闇から救ってやることも出来そうにはない。

自分には何が出来るのか。何をしてやれるのかを、フォレストは懸命に考える。

「お前を癒す目的ではなく、ただ俺がお前に傍に居て欲しいのだが、それでも駄目か? 罰にはならないのだろうが、お前が俺を幸せにすることは、レイモーンの民への償いの1つにはならないか?」

「……貴方にメリットが無さすぎる。こんな人殺しと一緒に居るべきじゃない」

「それは俺も同じだぞ」

「?」

意味を理解出来ない顔で、レフォードはフォレストを見た。
フォレストは「前にも軽く話したが」と前置いて続ける。

「俺もヒトを殺したことがある。一人二人じゃなくそれなりの数だ。お前の復讐のように具体的な理由もなく、ただレイモーンの民の力をヒトに誇示したいというだけで、何人もの人を襲った」

かねてより、レイモーンの都周辺の砂漠は危険地帯だった。
特に夜ともなると、気温の低さや視界の悪さに加えて獰猛な魔物が彷徨くようになる。

かつての若きフォレストと、血気盛んなその仲間達は、その環境を利用してヒトを襲っていた。
狙ったのは密輸を行う隊商に限定していたが、何もそれは悪事を止めようという正義感でやっていたことでは無い。

まず、先の環境のせいで、他の民間人はほぼ寄り付かない。
そして、法に触れることを秘密裏に行っている集団であれば、消息不明になったとて捜索隊が派遣されることも無い。積荷を奪って売り払えば金も得られる。

つまりは殺すのに都合が良かったのだ。
ただそれだけの理由で、何の因縁もない相手を殺して、その勝利に酔い痴れていた。

「俺はレイモーンの民がヒトに蔑まれることが我慢ならなかった――最初のきっかけが何だったのかと問われれば、そう答えるだろう。リカンツという蔑称を甘んじて受け入れることは、レイモーンの民としての誇りを棄てることと同じだと思っていたのだ。我々の方が上であると本気で思っていた……命に上も下も無いのにな」

フォレストは苦笑した。
若気の至りで済ますには重い罪だと、ヒトの存在を認められるようになった今は思う。

「話が長くなったが、つまりはお互い様だということだ。お前は自分のことを大悪党のように語るが、俺も負けてはいないと思うぞ。……正直、この話をするとお前に嫌われる気がしていたのでな。あまり言いたくは無かったのだが」

「…………………………」

「怖くなったか?」

レフォードはぶんぶんと首を横に振ったが、その表情は明らかに強ばっていた。
フォレストは笑って「無理はするな」と気遣う。

「俺のしたことは間違っていたと思う。犯した罪を良いようには言えない。だが、同じ罪人の立場に在るからこそ、今のお前に一つだけ言えることがある。――以前お前はこう言っていたな。絶望した者に必要なのは慰めの言葉ではなく、傍に居てくれる理解者だ≠ニ」

レフォードは少し考えて、「よくそんな事を覚えているな」と感心した。
それはラムラスがロミーに殺された後、精神的に追い詰められていたカイウスを見て、フォレストと交わした言葉だ。

「俺がお前の理解者になれているかどうかは分からないが、この先、同じ道を歩んでいくことは出来ると思う。いつかその罪が裁かれる時が来るのなら、その時は俺も一緒だ」

下を向いていたレフォードの視線がフォレストに向いた。驚きに満ちた顔だった。

フォレストは、砂漠で助けてからつい先程まで、彫刻のように動かなかったレフォードの顔を思い出しながら、「やはり生きて動いている方がずっといいな」と微笑む。

「地獄へ落ちるつもりなら、俺と一緒に落ちてくれ、レフォード」

考え尽くした割には酷い言葉だと、フォレストは自嘲した。

ティルキスであればきっと、もっと希望に満ちた言葉をかけるのだろう。
だが、自分が伝える言葉はこれでいい。他の誰にも言えない事だろうから。

レフォードは百面相で何か――恐らく殆どは抗議の内容――を言いたそうに口をモゴモゴ動かしていたが、最終的に口から出たのは1つだけだった。

「本当に、貴方はそれでいいのか……?」

「俺はそうしたい。お前はどうだ? 俺が嫌いなら、断ってくれてもいいが」

「……嫌いじゃない。嫌いになれたら良かったのに、何度やっても無理だった」

レフォードの目は潤んでいた。涙が零れるまでに、そう時間はかからなかった。
一度溢れ出すと止まらなくなって、レフォードはしゃくりを上げながら答える。

「僕は……僕は、あなたのことが好きだ。本当は離れたくなんて無いんだ。でも、僕は異端審問官で、レイモーンの民の、あなたの仲間の血で汚れているから、傍に居てはいけないと、好きになってはいけないと思っていたのに……あなたが、あなたがずっと優しいから……っ!」

レフォードは堰を切ったように泣いた。
フォレストはその背を撫でて、金の髪に頬を寄せる。

「突き放してくれたら良かったのに……! 貴方は同胞と共に僕を裁くべきなんだ! なのにどうしていつも僕の味方ばかり……!」

「お前を裁く奴は他に幾らでも居る。俺はお前の寄る辺でありたいんだ」

「そんなことをしたって貴方には何の得も無いんだ! 僕は貴方を巻き込みたくないのに、自分を甘やかしたくなんて無いのに、なんでそれが分からないんだ……!」

腹に溜まっていた感情を吐き出し続けるレフォードを、赤子をあやす様にフォレストが宥め続けた。
死んだように静かだった部屋が、2人の声で息を吹き返す。


自分の絶対的な味方など、もう何処にも居ないのだと思っていた。

自分のしてきた事を思えば当然だと思った。
受け入れて独りで死ぬつもりだった。
それで良かったのに。そうなるべきだったのに。


己を縛ってきた義心が、今の行いを強く咎める。
それでも、もうレフォードはフォレストから逃げようとはしなかった。
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