00.Beginning
翌朝。まだ少し怠さの残る体を起こして出勤の支度をしていると、遅れて起きてきたマリンがぐぅとお腹を鳴らした。
「またあのケーキたべたい……」
少し遠慮がちに言うマリンに、まあ当然こうなるよな、と思いつつ、シユウはマリンの前に屈む。
「俺も食べさせてあげたいけど、ずっとタダで食べさせてあげる訳にはいかないんだ。他のお客さんはお金を払ってくれてるから、マリンちゃん達だけ特別扱いは出来ない」
「……でも、マリンも父ちゃんも、おかねもってない……マリンにできることならなんでもします、おねがいします」
「本当に健気だなぁ。よし、じゃあ今日は俺と一緒においで」
「おい、マリンに何させる気だよ!?」
黙って成り行きを見ていたバレットが慌てた様子で言った。
出かける前にマリンの髪を梳かしてあげようと、櫛を手に持ったシユウは嘆息。
「何ですかその言い方。貴方の目には俺が人買いにでも見えてるんですか?」
「ああ見える。昨日も言っただろ、お前はそういう感じだって」
「親切にして貰った相手に、よくそこまで言えますね」
「親切だからだよ! 何か企んでるんじゃねぇかと思うだろ!」
「別に企んでませんよ。ちょっとモンティさんに相談してみようと思っただけです」
「モンティ? 誰だよ」
「セブンスヘブンのオーナーですよ。あの人の言葉がなければ、俺は貴方を追い払うつもりだったんですからね。感謝した方がいいですよ」
モンティに押し付けるような真似はしたくなかったが、バレットがマリンを連れたまま働ける場所となると、現状セブンスヘブンしか浮かばない。
二人のことを心配していた彼のことだ、駄目元で相談するくらいは許してくれるだろう。
「これで良し。マリンちゃん髪すごく綺麗だね。ちょっと梳かしただけでサラサラだ」
「ありがとう! えっと……」
「?」
「名前だろ。マリン、そいつはシユウってんだ」
「シユウ、ありがとう!」
と、屈託のない笑顔で言われて、シユウも思わず表情筋を緩める。
「どういたしまして」
「……お前、マリンとオレとで態度が違い過ぎねぇか?」
「当たり前でしょう。貴方は可愛い兎と獰猛な熊に同じように接するんですか?」
「誰がクマだよ!!」
そんなやり取りをしつつ外に出ると、何やら若い女性と話し込んでいるマーレと鉢合わせた。
シユウの部屋から出てきたバレットとマリンを見て、マーレが物言いたげな顔をする。
己が先日の忠告に背くような真似をしているせいだろう。
心配をかけて申し訳ないなと思いつつ、シユウは初対面の女性と互いに会釈し合う。
「マーレさんの娘さんですか?」
「そこで孫かって聞かないところは褒めてあげるよ。この子はティファ。残念ながら娘でも孫でもないが、まあちょっとした顔馴染みでね。ところで、あんたは今から店に行くんだろう? ついでにこの子も案内してくれないかい」
「案内って、店に連れて行けばいいんですか? 構いませんけど、マーレさんは?」
「あたしゃ今からちょっと用事があってね。それが終わるまで、この子にはこの辺りで待ってて貰わなきゃいけないんだ」
「成程。ってことはお客さんですね。歓迎しますよ」
「えっと……?」
「あ、急に言われても分かりませんよね。俺、セブンスヘブンのバーテンダーなんです。名前はシユウ。宜しくお願いしますね」
「ああ! こちらこそ、宜しくお願いします」
恐らく歳は18辺りだろう。マリンと同じサラサラの黒髪だが、長さはおかっぱのマリンよりも長い。人目を惹くスタイルと顔立ちの良さは、スラムで生きていくには少々適さないように思える。
だがそこは何か特別な事情があるのだろう。
シユウはそんなティファも連れてセブンスヘブンへ向かった。
先んじて開店準備に勤しんでいたモンティは、連れ立って来たシユウ達に目を瞬かせる。
シユウは手短に経緯を説明し、納得したモンティはバレットとマリンを連れて店の地下に消えた。
実際に見たことは無いが、下はモンティの居住スペースになっているらしい。どうするつもりだろうと思いつつ、シユウは残ったティファをカウンター席に案内する。
「とりあえず、何か飲みますか? 一杯分は俺がご馳走しますから、お好きなのをどうぞ」
「そんな、悪いです。ちゃんと払います」
「気にしないで下さい。マーレさんにはお世話になってるので、そのお客さんならこれくらいはしないと。お金が有り余ってるって事なら、話は別ですけど」
「そういう訳じゃないですけど、でも……」
「気になります?」
「気になります」
確かに、ティファのような子からすれば、初対面の男に奢られるというのは、後で何か見返りを要求されるのでは、という警戒の対象になるのかもしれない。
ならば無理に押し付けるのも迷惑かと、シユウは大人しく引き下がる。
ティファはメニュー表を興味深げに眺めたあと、カクテルを模したノンアルコールのドリンクを一つ頼んだ。
せめておもてなしくらいはしようと、シユウはパフォーマンスを混じえたシェークを披露する。
「え、凄い! それ、いつもやってるんですか?」
「いえ、こっちの店に来てからは初めてやりました」
「こっちの店? 前は別の場所でバーテンダーを?」
――しまった、自分で墓穴を掘ってしまった。
六番街で働いていた時の話は避けたいシユウは、「まあそんなところです」と言葉を濁した。
幸いなことに、丁度良いタイミングでモンティも戻って来る。
「話は聞いたぞ。お前さんの家に泊めてたそうだな? もっと早くに相談してくれれば良いものを、一人で抱え込んで……」
「すみません。ご迷惑かと思って」
「そんなに気を遣うな。あの二人はこっちで引き受けるさ。下の部屋を貸す代わりに、セブンスヘブンの仕事を手伝って貰う事になった。お前さんも色々教えてやってくれ」
「それは構いませんけど……あの人に勤まるんですかね?」
「それはやらせてみないとなぁ。ところで、そっちの嬢ちゃんは?」
そっちの、と示されたのはティファだった。
彼女は先程振舞ったカクテル風のドリンクを堪能している。
「お前さんの恋人か?」
「「まさか!」」
シユウの声に、マリンを連れて戻ってきたバレットの声が重なった。
実際違うので、否定されたこと自体は問題ない、が。
「どうして貴方が答えるんですか」
「いやだって、お前はアレだろ。男が好きなんだろ?」
何でもない事のようにバレットが言って、ティファとモンティが「え?」という顔でシユウの方を向いた。
シユウは一瞬呆けた後、「はい?」と聞き返す。
「何だよ違ぇのか?」
「違いますけど……何でそう思――って」
まさか、昨夜のアレのせいでそう思われたのか?
ティファとモンティに聞かれたくは無いので、シユウはバレットの腕を引いて一度店の外に出る。
「誤解があるようなんで言っておきますけど、昨夜のアレは後遺症みたいなもんで、俺にそういう趣味がある訳じゃありませんからね」
「何だそりゃ。男に抱かれたがる後遺症って何だよ?」
「それは……色々あったんですよ。とにかく、勝手な決めつけで変なこと言わないで下さい」
「へいへい」
全くこの人は、と不満を垂れながら店内に戻ったシユウを、ティファとモンティが興味津々といった様子で見る。
「あの、誤解ですから」
「別に隠すことも無いだろう。男が好きで何が悪い? なぁ?」
「え? あ、はい! 私もそう思います」
「いや本当に違うんです……」
これは、誤解を解くのに時間がかかりそうだ。
彼が撒いた種だろうに、素知らぬ顔でマリンと戯れるバレットを、シユウは忌々しげに見た。
それから夕方まで、シユウはモンティに言われた通り、セブンスヘブンの仕事内容を一通りバレットに教えた。
然し結果は悲惨なものだった。給仕を任せれば、その強面のせいで客が逃げ、調理を任せれば、貴重な食材がゴミ箱に消える。
挙句の果てには、文句を付けた客に怒鳴り始める始末。シユウは盛大に溜息を吐いた。
「こういうのは向いてねぇって、見りゃ分かんだろ!」
「じゃあ何なら出来るんですか」
「そりゃあお前、アレだよ。力仕事とか?」
「残念ながら、セブンスヘブンに力が要る仕事はそうそう無いですよ」
「じゃあどうすりゃいいんだよ!」
「それは貴方が考えるんですよ。何でそう思考を放棄してすぐ他人に頼ろうとするんですか。マリンちゃんの方がよっぽど頑張ってますよ」
マリンは小さな体でせっせと床を掃いていた。
テーブルも拭こうと、椅子によじ登ろうとするのをティファが手伝う。
「マリンちゃんのせいで働けないとか言ってましたけど、もっと他に原因あるんじゃないですか? 器用不器用はさておき、客に愛想良く振る舞うくらいなら、やろうと思えば出来るでしょうに」
「だーっ! うるせぇうるせぇ! お前は小姑かってんだ!」
「そうやってすぐ耳塞ぐのも良くないですよ」
「けっ! お前にゃオレの苦労は分からねぇよ。そのツラに産んでくれた父ちゃん母ちゃんに精々感謝するんだな」
「まるで俺が見た目で得してるみたいな言い方ですね」
「実際そうだろ。顔が良くて口が上手くて手先も器用となりゃ、こういった店では重宝されるだろうよ。でもな、これがもしコレルだったら、オレとお前の立場は逆転してるぜ」
「そうですか。でも残念ながら、此処はコレルじゃ無いですよ」
「んなこたぁ分かってんだよ! ちったぁオレの気持ちも考えろって言ってんだ!」
「貴方の気持ちを考えたところで、今のこの状況が良くなる訳じゃないでしょう。甘えたこと言ってないで、メニューの一つでも覚えたらどうですか?」
「か〜っ! 可愛くねぇ〜!!」
そうこうしている内に、何処かへ行っていたマーレが帰ってきた。
手招きされたティファがパタパタと駆け寄る。
「待たせたね」
「いえ。どうでしたか?」
「あんたが探していることが伝わるように手配はしたよ。確実に伝わる筈だ。保証するよ。でもね、その後のことは連中次第。無理強いは出来ないからね」
ティファは礼を言って頭を下げた。
マーレは喉が渇いたと空いているカウンター席に座る。シユウはメニュー表を渡しながら、
「ティファさんはどなたか捜してるんですか?」
「ああ。ちょっとお友達をね」
「シユウさんは知りませんか? ジェシーと、ビッグスとウェッジって人なんですけど」
マーレの隣に座り直したティファに問われて、シユウはミッドガルに来てから出逢った人々の名前を振り返ってみる。が、特にそれらしき人は出てこない。
すると近くで聞いていたらしいバレットも話に入って来た。
「おい、今ジェシーって言ったか?」
「はい。知ってますか?」
「同じ奴かは知らねぇが、オレも捜してんだ。オレが知ってる方のジェシーはアバランチの――」
「ちょっと!」
バレットの言葉を遮るマーレの喝が飛んだ。
何故怒られたのか分からないらしいバレットは目を丸くする。
「何だよ?」
「何だよ? じゃないよ! その事を知ってるのは一部の人間だけなんだ。……この子は知らないんだよ」
この子、というのが自分の事だと気づいたシユウは、どうやら聞いてはいけないことを聞いてしまったらしいと悟る。
「そりゃすまねぇな。でも別に問題ねぇだろ? こいつも神羅にゃ借りがあるらしいからよ。どっちかってーとアバランチの味方だろ」
「それはそうですけど、マーレさんが言ってるのは、他人の秘密を吹聴するなって事だと思いますよ。それが繊細な話題なら特に。今のは聞かなかったことにします」
「助かるよ。今はアバランチ狩りのせいであちこちピリピリしてるからね。ジェシーがアバランチだって話が広まったら、神羅の連中が嬉々として潰しに来るだろうさ。あんたも、次その事を人前で口にしたら容赦しないよ」
「わーったよ」
「とにかくティファ、そういう訳だから、また来週にでも来とくれ。連中に動きがあったらその時に知らせるよ」
「分かりました。毎週水曜が休みなので、また一週間後に来ます」
駅まで送ると言って、マーレはティファと共に店を後にした。
バレットはともかく、ティファがアバランチを捜している理由は何だろうか。彼女も神羅と何か因縁があるのだろうか。或いは、友人が偶然アバランチだったというだけなのかもしれないが。
「……それにしても、あんな子まで週6で働いてるのに……」
「……おい、何だよその目は。オレだって好きでフラフラしてる訳じゃねーんだぞ!」
「はいはい」
一緒に働くのがティファであればどれだけ良かったか。
シユウはそんな事を考えながら、黙々とバータイムの営業準備を始めた。