00.Beginning

それから暫くの間は、賑やかで穏やかな日々が続いた。

シユウは朝起きて店に行き、モンティと一緒に開店準備をする。マリンの起床に合わせてバレットも店に顔を出す。一週間に一度はティファがマーレと一緒にやって来る。

最初は客として席に座っていたティファは、そのうち自然と店の仕事を手伝うようになっていた。彼女の存在は口コミで広がり、彼女目当ての男性客が殺到するようになった。

目が回るような忙しさだったが、閑古鳥が鳴いているよりはマシだろう。客が入れば売上も伸びる。上がった分はバレットやティファに渡された。

「お前さんの取り分ももう少し増やしたらどうだ?」とモンティに言われたが、よりお金を必要としているのは自分よりも二人の方だろうとシユウは断った。

「俺はお金よりもっと良いものを貰ってますから」

「と言うと?」

「居心地の良い居場所です」

モンティは成程と嬉しそうに笑って賛同した。
誰もがこの時間が続くことを願っていたが、残念なことにそれは数ヶ月ほどで終わりを迎えた。

きっかけは、ある日の開店準備中にモンティが倒れた事だった。
心臓を抑えて苦しそうに呻くモンティに最初に気付いたのはシユウだった。

慌ててバレットやマーレにも知らせて病院へ運んだが、容態は思ったよりも悪く、仕事を続けるのは難しいとの事だった。

「付き添いはあたしがやるから、あんた達は店の方を頼むよ。ティファが来たら宜しく言っといてくれ」

マーレにそう言われて、傍に居ても出来ることの無いシユウはバレット共々素直に従った。
モンティが居ないことに気付いた常連客にも彼が倒れたことを説明すると、翌日からは見舞いの品や手紙を持ってくるようになった。

この店がどれだけ愛されているか、モンティがこの店をどれだけ大切にしてきたのかを改めて感じながら、シユウは朝から晩まで休みなく働き続けた。
モンティが無事に帰ってきてくれることを願ってはいたが、冷静な頭はそれが難しいことを理解していた。もしマーレから連絡が来るとすれば、それはきっと嫌な報せだろう。そうなればこの店はどうなってしまうのか。

天望荘の部屋には電話は置かれていないので、シユウは連絡が来た時にすぐ対応出来るよう、セブンスヘブンの店内で寝泊まりするようになった。
後片付けとその日の精算、翌日の仕込みなど、店が閉まっている間もやる事は山積みだった。遅くまで明かりの付いている上階に気付いて、マリンを寝かしつけたバレットが上ってくる。

「あんま無理すんなよ。今度はお前が倒れるぞ」

「大丈夫です、多分」

「多分ってところがもうダメだろ」

「せめてマーレさんから連絡が来るまでは頑張りたいんです。俺にはこれくらいしか出来ませんから」

カウンター席で欠伸混じりに売上の記帳を続けるシユウを見て、バレットは徐にキッチンへ向かった。
暫くして、珈琲の入ったカップを持って戻って来る。

「ほらよ」

「え…………」

「何だよ?」

「そんな気遣い、いつ覚えたんですか?」

「お前なぁ……」

「冗談です。有難う御座います」

ペンを置いてカップを手に取り、ふぅふぅと息を吹きかけてから一口啜ったシユウは、すぐさま顔を顰めた。

「……これどうやって淹れたんですか?」

「どうって、普通にお湯注ぐだけだろ」

「まさか挽いた豆をそのままカップに入れたんですか? ドリッパーは?」

「ドリッパーって何だ?」

「………………ちょっと来てください」

シユウはバレットをキッチンに連行し、珈琲の正しい淹れ方を一から教えた。
手順の一つ一つに「それ必要か?」とケチを付けてくるバレットを、完成した珈琲で黙らせる。

「同じ材料で、ここまで違うもんなんだな」

「貴方のは酷すぎますけどね……モンティさんが淹れたやつは、もっと美味しいです」

「へぇ。なら今度飲ませて貰うか」

「……………………」

「んな辛気臭ぇ顔すんなよ。まだどうなるか分かんねぇだろ」

「……そうですね」

シユウは席に戻って、再びペンを動かし始めた。
バレットは正しい手順で珈琲を淹れ直し、シユウに提供した。シユウは黙ってそれを口に運ぶ。

「どうだ?」

「珈琲にはなりましたね」

「何だそりゃ。最初のも珈琲だったろ」

「あれは濁ったお湯です」

辛辣な評価に、バレットはぶつくさ言いながら隣の席に座って、シユウが淹れた珈琲を啜った。

「……俺に付き合わなくていいんですよ?」

「別に付き合ってる訳じゃねぇよ。オレはこれ飲んでるだけだ」

「そうですか」

文字を綴る音、時計の秒針の音、ページを捲る音、珈琲の匂いとカップの立てる音。
モンティと二人で働いていた時もこんな感じだった。時間が緩やかに流れていくのが心地良かった。

そんな過去の情景に思いを馳せている内に、シユウは頬杖をついたまま眠ってしまっていた。
バレットはシユウを担いで地下に戻り、空いたソファーに寝かせる。

「とうちゃん……?」

「おうマリン。悪いな、起こしちまったか?」

「ううん。シユウ、どうしたの?」

「寝てるだけだ、心配すんな」

「そっかぁ。こっちでねかせてあげようよ」

こっち、とマリンが指したのは、いつも親子で使っているベッド。

「そっちはマリンが使うだろ?」

「マリンはソファーでいい。だって、シユウはマリンにじぶんのベッドかしてくれたもん」

「……そうか。マリンがそう言うなら、そうするか」

「うん! でもそーっとだよ。おこしたらだめだよ」

バレットは言われた通り丁重にシユウをベッドに運んだ。
マリンは横たわった体に布団を被せる。

「マリンは優しいなぁ」

「シユウはトクベツだもん」

「とっ!? ……な、なんで特別なんだ?」

「マリンたちのことたすけてくれたから。たべものくれるし、マリンがおしごとてつだったら、いっぱいほめてくれるし、やさしいよ。父ちゃんはシユウのことキライなの?」

「あ〜……キライじゃあねぇんだけどなぁ……父ちゃんにはあんまり優しくねぇんだよなぁ……」

「でも父ちゃんにもごはんくれるよ? ほかのひともね、みんなやさしいの。マリン、ずっとここがいい。ずっといられる?」

「うーん……」

「いられないの!?」

途端に泣きそうになるマリンを見て、バレットは慌てて「大丈夫だ」と返して、これ以上不安を煽らないようにとマリンと一緒に眠った。






マーレから連絡が来たのは、翌日の夜の事だった。
予想していた通り、それは良い報せでは無かった。危篤だと聞いて、シユウはバレットと、少し眠そうなマリンを連れて病院へ向かった。

良いのか悪いのかは分からないが、モンティにはまだ意識があった。バレットはこの期を逃してなるものかと、いつもより早口で部屋を貸して貰ったことへの感謝を述べていた。
それが終わってから、シユウも世話になった事への感謝を伝える。だがバレットのものと比べると、自分の言葉は随分と素っ気なく聞こえた。

シノビとしては感情を律する方が正しいのかもしれないが。何も知らないモンティにとっては、ただの冷たい奴に見えるだろう。
あれだけ世話になったのに、と目を伏せるシユウの名を、モンティがか細い声で呼ぶ。

「……シユウ、俺の店で働いてみてどうだった? 楽しかったか?」

シユウは顔を上げた。
モンティは穏やかな顔をしていた。
シユウは長いようで短かったセブンスヘブンでの日々を思い返しながら答える。

「楽しかったです。貴方のお陰で、本当に」

言葉に気持ちが籠った。
モンティは満足そうに笑う。

「そうか……俺も、お前さん達のお陰で、楽しかっ…………」

それが最期の言葉だった。
モンティはそれきり動かなくなり、朝日が昇る前に静かに息を引き取った。
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