00.Beginning

それから数日後。
マーレに連れられて、シユウは天望荘から歩いて数分の場所にある酒場、セブンスヘブンを訪れていた。

オーナー兼店長の老人は名をモンティと言うらしい。シユウが先日のことを謝ると、相手は「気にするな」と朗らかに笑った。

「それより、マーレから聞いたよ。バーテンダーをやってたらしいじゃないか。うちで働く気は無いか?」

「俺で良ければ、喜んで」

「助かる。これでまたカクテルの提供が出来るな」

「モンティさんはお作りにならないんですか?」

「昔は作ってたさ。でも、肘を痛めてシェークが出来なくなったんだ」

モンティは使い古されたシェーカーと小さなノートを取り出して、それをシユウに手渡した。
ノートの中には、カクテルのレシピがびっしりと書き記されている。

「これは……凄いですね」

「だろう? カクテルは俺の人生みたいなもんだ。試しにどれか一つ作ってみてくれないか? お前さんの腕前がどんなもんか知りたい」

シユウは承諾し、レシピと店にある材料を確認して、店の名を冠したカクテルを作った。
金色に輝く液体をグラスに注いで差し出すと、モンティがそれを一口。

「うん、美味い。これなら安心して任せられるな。いつから入れる?」

「いつでも。今からでもいいですよ」

「素晴らしい」

モンティは店の営業時間と、カクテル以外に提供しているメニュー、その他掃除や接客などの仕事内容をざっと説明してくれた。
給料は売上の六割と聞いて、シユウがギョッとする。

「六割は多すぎます。そんなには貰えませんよ」

「遠慮するな。詳しいことは知らんが、金に困ってるんだろう?」

確かに金は無いが、その言い方は語弊がある気がする。
ただ説明しろと言われても困るので、シユウは訂正しなかった。




そうして、七番街スラムでの新しい生活が始まった。

これまでの店と違い、セブンスヘブンは時間によって提供する商品や客層が変わる。
昼はランチタイム、その後暫くはティータイムで、夜がバータイムだ。

シユウは殆どの業務を手際良くこなした。
忙しくはあったが、辛さとは無縁だった。
セブンスヘブンは居心地が良い。常に背筋を伸ばして過ごすような八番街のバーとも、下品なウォール・マーケットとも違う。
適度に緩く雑然としていて、どこか温かみのようなものを感じる。

空気の匂いこそ違うものの、その雰囲気は故郷を思い出させた。
かつて面倒を見ていた少女は今頃どうしているだろうかと思いを馳せつつ、ピークタイムが過ぎたところでテラスの掃除をしに表へ出ると、無人だと思っていた席に大男が座っていた。シユウはその風体に思わず顔を顰める。

皺だらけの汚れた服、ボサボサの髪、穴の空いた靴、風に乗って流れてくる悪臭。
どう見ても浮浪者だ。片腕が無く、サングラスを掛けているせいで、悪印象に拍車がかかる。
しかも幼い子供まで連れている。女の子だ。男の地肌は黒いが、こちらは白い肌。

シユウは直感的に思った。これは、何か犯罪的なことが起きているのではないだろうかと。
だとしたら見過ごせない。シユウは荒事になっても対処出来るよう、軽くウォーミングアップをしてから声をかける。

「いらっしゃいませ。ご注文は?」

男はサングラスをズラして、値踏みするようにこちらを見た。
それから素っ気なく「メニューは」と尋ねる。

一応注文する気はあるのだろうか。
訝しみつつシユウがメニュー表を渡すと、男は上から下まで確認してから、

「珈琲とジュース」

と、これまた素っ気なく告げる。

「珈琲はアイスとホットがありますけど」

「あー……アイスでいい」

「砂糖とミルクはお付けしますか?」

「だぁ、いちいち面倒くせぇな! どっちでもいい!」

男が突然声を張り上げたせいで、近くにいた通行人が静かに退散した。
女の子は慣れているのか気にした様子はなく、
シユウはそれらを見ながら淡々と続ける。

「なら一応お持ちしますね。他は? ケーキやクッキーなんかもありますけど」

「ケーキ!?」

男が答える前に、女の子が目を輝かせて言った。
男はメニュー表を見て苦い顔をする。

「高ぇな……」

「その分美味しいですよ。どうします?」

「……いや、珈琲とジュースだけでいい」

それを聞いて、女の子は分かりやすく落ち込んでしまった。
俯く小さな頭に、男が手を載せる。

「ごめんなマリン。ジュースで我慢してくれ」

「……うん」

そのやり取りを見て、シユウは男への警戒を緩めた。
誘拐という訳では無さそうだ。親子なのかもしれないが、それにしては似ていない。

店内に戻ると、モンティに声をかけられた。
先の男の声を聞いて、トラブルかと心配して窓から様子を窺っていたらしい。

シユウは事件性は無さそうだということを伝えつつ、珈琲とジュースの用意をして再び外へ。
女の子、マリンは丁寧に礼を述べてから、ストローを咥えて飲み始めた。もう機嫌は直ったらしい。

一方、男の方は特に何も言わず、「用が済んだならとっとと立ち去れ」と言わんばかりに睨み付けてきた。
シユウは思った。絶対に親子じゃない。この男からこんな素敵な女の子が産まれる筈は無い。

まあ何にせよ、騒ぎを起こさないのなら放っておいていいかと、シユウはそれ以上関わることをやめて、空いた席の掃除を始めた。
店内に戻ってグラスを磨き、珈琲豆を補充し、持ち帰り用のクッキーを袋に詰める。

暫くそうして時間を潰していたが、一時間ほど経ってから異変に気付いた。

「……なんか、急に暇になりましたね?」

ピークタイムを過ぎているとはいえ、いつもならこの時間帯でもある程度客が入るのだが、今は閉店後のようにガランとしていた。
モンティは「まあそういう日もある」とのんびり休憩していたが、シユウは気になって店の外へ。

原因はすぐに分かった。
テラス席に、あの男がまだ居座っている。道行く人々はそれを避けるように、店の前を足早に通り過ぎていく。

シユウは顔を引き攣らせながら、モンティの所へ駆け戻って一言。

「モンティさん、あの男追い払っていいですか? 営業妨害です」

「まあまあ。何か事情があるんだろう。ちゃんと注文もしてくれたんだ、追い払う程じゃない。あんな小さな女の子まで居るんだ」

「いやでも……」

「お前さんだって、マーレに助けられて今ここに居るんだろう? こんなスラムで生きていくには、お互いに助け合わないとな」

それを言われると反論も出来ず、シユウは「わかりました」と大人しく引き下がるしかなかった。

が、その後も男は居座り続け、一番客の多いバータイムでさえ客はろくに入らず、結局そのまま閉店時間を迎える。

「優しくな」とモンティに釘を刺されたシユウは、怒りを抑えて男に声をかける。

「お客様、申し訳ありませんが閉店のお時間です」

ここでゴネてくれれば実力行使に出られるなとも思ったが、男はマリンを連れてあっさりと帰って行った。逆に質が悪い。

とは言え、これで問題は片付いたわけだ。今日のマイナスは明日取り返せばいい。
そう思って、翌日はやる気十分で早めに出勤した。
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