00.Beginning
だが開店から暫く。昨日と同じぐらいの時間に、また同じ男がやって来た。見た瞬間、シユウは思わず「いらっしゃいませ」の途中で固まる。
事態に気付いたモンティが、代わりに注文を取りに来た。
男は昨日と同じ珈琲とジュースを頼み、昨日と同じテラス席に座る。
「…………モンティさん」
「いや、まあ、お前の気持ちも分かる。だが客は客だ。せめて飲み終わるまでは様子を見よう」
シユウは深呼吸で怒りを抑えて、これはマリンの為にやっているのだと言い聞かせながら注文の品を運んだ。
やはり昨日と同じく、マリンは可愛らしくぺこりと頭を下げ、男は何も言わない。
危うく舌打ちを零しそうになりながら、シユウは店の中に引っ込んだ。
それから後の展開も昨日と同じ。やはり男が来てから明らかに客が減っている。
窓越しに男を睨みながら、落ち着きなく店内を彷徨くシユウを見て、モンティは苦笑しつつ「一緒に珈琲でもどうだ」と声をかける。
「男だけならともかく、小さい子が居るからなぁ。追い払うのは簡単だが、その後あの二人は何処へ行く? うっかり魔物の居るところにでも入ったら、あの子はどうなる?」
「それは分かりますけど、これじゃこの店潰れますよ。俺、この店凄く気に入ってるんです。無くなって欲しくない」
「それは俺も同じだが、でもなぁ……」
渋るモンティに、シユウは珈琲を飲み干して席を立った。
「ちょっと様子を見てきます」と言って、テラスに居る男の下へ。
「空いているグラスがあればお下げしますよ」
「まだ飲んでる」
そう言って、男は手に持ったグラスを振った。
中には、氷が溶けてかなり薄まっていそうなアイスコーヒーが1/3ほど残っている。
せっかくの美味しい珈琲がこれでは台無しだ。
モンティがこの店にかける情熱や愛情が、この男の時間稼ぎの為に浪費されていく。
だがマリンを心配するモンティの気持ちも無碍には出来ない。
葛藤するシユウに、その心を知らない男は「なんか文句でもあんのか」と睨みを利かせる。
その一睨みで、ついにシユウの堪忍袋の緒が切れた。
「文句無いと思ってるんですかね……」
「あ? 何だって?」
シユウは一度店内に戻り、モンティに一時間ほど休憩を貰えないかと頼んだ。
了承を貰うと、テラス席に戻って男を立たせる。
「ちょっと来て下さい」
「は? 何だよ、まだ飲んでんだろ!」
「いいから、黙って、ついて来い。――マリンちゃんもおいで。ジュース持ったままでいいから」
男には凄んで、マリンには優しく言って、シユウは二人を天望荘に連れて行った。
少しだけ生活感の出てきている自宅の中に、困惑している男を押し込める。
「そこにシャワーあるんで、あんたと、それからマリンちゃんも綺麗にしてあげて下さい。服も洗うんで、脱いだやつ貰えます?」
「はあ? 何だそりゃ、なんで急にそんな――――」
「あんたのその風体と臭いのせいで他の客が来ないからですよ! 気付いてないんですか?」
男はその指摘に、え? という顔をした。
本当に気付いていなかったらしい。シユウは絶句しながら部屋を出る。
「なんだい、騒がしいね。何か揉め事かい?」
「マーレさん……すみません。セブンスヘブンの客にちょっと、面倒なのが居て」
シユウは男とマリンのことを手短に説明した。
マーレは「だからって連れて来てどうするんだい」と呆れる。
「あたしもあんまり他人のことは言えないけどね、お節介は程々にしとかないと。あんまり優しくし過ぎると、つけ込まれるよ。あんたは特に、今は他人の面倒見る余裕なんて無いだろうに」
「でも他に方法も無かったんですよ。モンティさんは追い払うなって言いますし。だからってあのまま放置してたら一生他の客が来ないでしょう。だから臭いと見た目だけでも何とかしようと思って……俺だって好きでやってる訳じゃないですよ」
「しょうがないねぇ。でも、今回限りにしておきなよ」
「そのつもりです」
部屋に戻ると、シャワールームの近くに二人分の衣服が放られていた。
シユウはそれを拾いつつ、シャワー中の男に扉越しに問う。
「着替えの服とかあります?」
「んなもん無ぇよ」
「ですよね」
自分の服を貸そうにも、男もマリンも当然サイズが合わない。となるとコレを洗って乾かすしかない。
扉の前にバスタオルを何枚か置いて、シユウは服を手に外へ出た。
アパートの屋上に設置してある共用の洗濯機に服を放り込み、洗い終わったそれをこれまた共用の物干し竿に吊るして戻る。
「服干してるんで、乾くまでバスタオルで我慢して貰えます?」
「あぁ!? それじゃ俺はともかく、マリンが風邪引くだろ!」
「そう言われても……」
そんな都合良く子供服は手に入らない、とは思いつつ、確かにマリンをタオル一枚で数時間放置するのは良心が咎めた。
シユウは何かないだろうかと、まだほとんど服の入っていない洋服棚を開けて、休みの日に着ているパーカーを取り出した。
外を出歩くのは無理だろうが、部屋の中で一時的に過ごす程度ならこれでもいいだろうと、バスタオルの横に畳んで置く。
「俺はそろそろ仕事に戻るんで、あとは自分で何とかして下さい。夜には戻りますから、それまでは部屋から出ないで下さいね。幾らスラムでも、裸で彷徨いてたら捕まりますよ」
一方的にそれだけ伝えて、シユウはさっさとセブンスヘブンへ戻った。
男が居なくなったお陰で、店は普段の賑わいを取り戻した。頭痛の種が無くなって、シユウは上機嫌で接客をこなす。
そうして無事一日の営業を終え、天望荘に戻ったシユウは、先に屋上から乾いた衣服を回収して部屋に戻った。
ドアを開けるなり、タオルを腰に巻いた上半身裸の男に出迎えられて、驚き数歩後ろへ下がる。
「やっと戻ったか! 服は!?」
「持ってきましたけど、なんで上裸なんですか?」
「なんでって、服が無ぇからだろ」
「バスタオル羽織るなりすればいいでしょう。体拭く分と、余分にもう何枚か置いておいた筈ですけど」
「床がビショビショになっちまったからよ、それ拭くのに使った」
何故シャワールームの中で先に体を拭くという事をしないのか。
シユウはその小言を盛大な溜息として吐き出す。
「…………まぁいいですけど。マリンちゃんは?」
「それが寝ちまってよ。悪いと思ったんだが、ベッド使わせて貰ってる」
その言葉の通り、パーカーを羽織ったマリンがベッドの上ですやすやと寝息を立てていた。
その姿を見て、シユウがふと思い至る。
「これまでは何処で寝ていたんですか?」
「特に決まってねぇ。寝袋があるからそれで適当に……」
「寝袋!? こんな小さな子を連れて野宿してるんですか!?」
「だから金が無ぇんだよ! しょうがねぇだろ!」
「ん〜……」
マリンが唸って、シユウと男は揃って口を手で押さえた。
起こしてはいないことを確認して、揃ってホッと息を吐く。
「……何とかした方がいいですよ」
「出来るもんならそうしてる。でも仕事しようにも子連れじゃ上手くいかねぇんだよ。どっかにマリンを預けられりゃいいんだが、その為の金もねぇ。手詰まりだ」
「う〜ん……」
真剣に悩むシユウに、男は綺麗になった服に着替えながら尋ねる。
「名前は?」
「はい?」
「お前の名前だよ」
「ああ……シユウですけど」
「そうか。俺はバレット。バレット・ウォーレスだ。こっちは娘のマリン」
本当に親子だったのか、という感想はさておき、シユウは急にどうしたのかと問う。
「いや、ここまでして貰って、名乗りもしねぇのはどうかと思ってよ」
「なんだ、それくらいの常識はあるんですね」
「あぁ!? ヒトがせっかく――――」
「しーっ。マリンちゃんが起きますって」
その忠告で、ボルテージが上がりかけたバレットは即座にクールダウンして閉口。
「……ならいちいちイヤミなこと言うなよ」
「嫌味を言おうとしたんじゃなく、心の声が漏れただけです」
「だからそれもイヤミだろ」
「ともかく、そういう事なら今日はここに泊まって下さい」
その申し出に、バレットはケーキの話を聞いた時のマリンよろしく目を輝かせた。
「い、いいのか?」
「寝てるマリンちゃんを起こして、外で寝袋で寝ろ、なんて流石に言えませんよ」
「有難うよ〜! 恩に着るぜ!」
「言っておきますけど、今日だけですからね。ここに住み着くのはやめて下さいよ」
「おうよ!」
返事は良いが、本当に分かっているのだろうか。
シユウは疑いつつ、自分もさっさとシャワーを浴びて寝ようとベストを抜いたが、シャツのボタンに手を掛けたところで止まる。
「…………あの、すみませんけど、後ろ向いてて貰えますか?」
「あん? 何でだよ」
「いや……何か気になるので」
まさか子連れの父親がウォール・マーケットの連中と同じことを考えるとは思わないが、それでも例の一件のせいで裸を見られることに抵抗を覚えるようになったシユウは、ごにょごにょと言葉を濁して言った。
その背景を知らないバレットは怪訝な顔をする。
「お前まさか女か?」
「そんなわけ無いでしょう」
「だったら何も気にする必要ねぇだろ」
「…………俺の裸見たいんですか?」
「はぁ!? 何でそうなるんだよ! 誰が――――」
「だから声大きいですって」
マリンを指して言うと、バレットは再び閉口した。
そして、「わーったよ」と言ってシユウに背を向ける。
シユウは安心して服を脱ぎ、シャワールームに入った。
が、出る時になってはたと気付く。
(……バスタオル用意するの忘れた)
シャワールームの中で拭いて着替えればいいと思っていたシユウは、タオルも着替えも引き出しの中だと気付いて固まった。
扉を開けてコソコソと外を覗くと、壁を背もたれに床でぐぅぐぅと寝ているバレットが見えた。
ほっとしながら、忍び足で引き出しからタオルや下着を引っ張り出して、いつもより素早く着替えを済ませたが、こうして一人で緊張していることに虚しさを感じて嘆息する。
これはいつかちゃんと治るのだろうか。
先を憂いながら、シユウもシーツ代わりにタオルを床に敷いて、その上で眠った。