0.いつかの彼の話
ナイレンが親衛隊を去ってからも、当然ながらアルノルドがやるべき仕事はこれまでと何も変わらなかった。強いて言えば一人減った分、その穴を埋める為にスケジュールが更に過酷なものになったが、下町に行く必要がなくなり移動の時間が浮いたので、感じる忙しさは以前とさして違いは無かった。
アルノルドの生活サイクルは親衛隊に入って間もない頃に逆戻りし、彼は任務以外の時間をまた一人で過ごすようになった。心の中ではシゾンタニアに行ける機会を窺っていたのだが、彼の活動の場は見事にそこから離れた場所ばかりだった。
まるで誰かが二人を引き合わせまいとしているかの様に思えて、アルノルドは苛立ちを募らせていった。
それはナイレンも同じ事で、二人は遠く離れた場所で、その感情の捌け口に揃って紫煙を燻らせていた。
「アルノルド、最近ちゃんと休んでます?」
そんな訳でアレクセイに不満を抱くようになり始めていたアルノルドは、心配そうに顔を覗き込んでくる少女に、習得したばかりの愛想笑いを返す。
「ええ、それなりには」
「ここに居る間だけでもゆっくりしていって下さいね。――そうだ、先日頂いた紅茶が疲労回復に良いんだそうです、せっかくだから今日のお茶はそれにしましょう!」
名をエステリーゼ・シデス・ヒュラッセインと言うこの可愛らしい少女は、今は亡き先代皇帝の遠縁であり、評議会側が推薦している次期皇帝候補の一人だ。
勝手な事――例えばアレクセイの野望を邪魔するような――をしないよう保護という名目で城に閉じ込められている可哀想なこのお姫様は、そんな苦労を微塵も感じさせない柔らかい笑みをアルノルドに向ける。
彼女とこうして話すようになったのはつい最近の事だ。それを命じたアレクセイ曰くは、随分と前にあった城内への賊の侵入事件に対する安全対策として、万が一の際の姫の身の安全の為にアルノルドを付けているという事らしい。
が、実際は外への興味が尽きない彼女がこっそり城を抜け出したりしないよう監視しておく為なのだろう。
エステリーゼがアレクセイのそんな思惑に気付いているかどうかは知らないが、彼女は「お友達が増えて嬉しいです」とそれを全く嫌がることも無く受け入れている。
「フレンって知ってます? 彼もよくここに遊びに来てくれるんですよ。アルノルドに似て仕事熱心で、とっても優しいんです」
それは全く似てないんじゃないかと心中で返しつつ、同じ親衛隊の騎士の名前すら未だに覚えていないアルノルドは、聞いた事がないと頭を振った。
さして興味も無いのだが、エステリーゼが機嫌良く紹介を始めたので、侍女が運んできた紅茶を啜りながら清聴する。
「なんでも入団式で幼馴染と偶然再会したそうなんです、以来喧嘩してばっかりだって言ってました。私の前ではいつも穏やかだから、喧嘩している所は想像つきませんけど、あのフレンを怒らせる人ってどんな人なのかちょっと気になります」
完璧な所作でお茶を楽しむその姿は流石お姫様といったところだ。エステリーゼの相手をするにあたり失礼がないようにと叩き込まれた礼儀作法をなぞるだけの自分とは次元が違うなぁと思いつつ、アルノルドは適当な相槌を打つ。
「来月から暫くの間任務で帝都を離れるみたいで、少し寂しいです。行き先はシゾンタニアっていう所らしいんですけど……」
――シゾンタニア。
まさかここでその名前を聞くとは思っていなかったアルノルドは、危うく高価なカップを落とすところだった。
確かどこかに本があったはず、と言いながら席を立って本棚に向かったエステリーゼは、大量に収められた書物の中から目当ての物を引っ張り出してくる。
「やっぱりありました! 町の風景が可愛らしくてとっても素敵なんです、ほら見てください」
席に戻ったエステリーゼは、本を開いてアルノルドに向けた。
そこに載っているのは、色とりどりの屋根を持つレンガ調の家々。
「近くに湖もあるそうなんです、まるで絵本の中みたい。私もいつか機会があれば実物を見てみたいです……」
うっとりとした様子でその町並みを眺めるエステリーゼに、アルノルドも頷く。
尤も、それは彼女とは別の理由でだったが、アルノルドに限っては後日、その機会に恵まれる事になった。
「失礼致します!」
エステリーゼとのお茶会から一ヶ月。
アルノルドが騎士になってからはついに10年もの歳月が経ったその日、人魔戦争終結記念式典への出席を命じられたアルノルドは、リハーサル前に慌ただしくアレクセイの下へ駆け込んできた金髪の若い騎士に目を丸くした。
早口で己の所属と名を名乗ったその騎士に、ああこの子がエステリーゼ様の言っていた"お友達"かと理解したアルノルドは、彼が式典に出席する予定だったナイレンの代わりに馳せ参じたのだと聞いて肩を落とす。
だが続けて述べられたその理由に、アルノルドの心臓は大きく脈を打った。
「町の近くの森に、エアルの異常により凶暴化した魔物が多数出現しております。フェドロック隊長以下シゾンタニア部隊が応戦し、今何とか持ち堪えている状態です。どうか援軍を」
そう言って手渡された要請書を、アレクセイは読みもせず机に放り投げる。
「式典のリハーサルは?」
「間もなく開始します」
「アレクセイ閣下!」
「援軍は式典が終わり次第派遣する、部隊は現場を保持せよ」
「現場は窮迫しています、住民が危険に晒されます!」
「分を弁えろ! お前は私の命令を、フェドロックに伝えるだけで良い! 」
「なっ……」
流石にこれには、アルノルドも納得がいかなかった。
呆然とするフレンを置いて、部下を引き連れ部屋を後にするアレクセイを、アルノルドは慌てて追いかける。
「アレクセイ団長! 先の決定は承服しかねます、せめて私の小隊だけでも先に――」
「その必要は無い、お前の仕事は式典に参加する事だ。シュヴァーンが別命で来れぬ以上、その代わりを果たせるのはお前しか居ない」
先のフレンにしたのと同じように、見向きもせずその進言を切り捨てたアレクセイに、アルノルドは目を剥いて拳を震わせた。
「……ナイレン隊長がシゾンタニアへ移ったのも、元はと言えばそのご判断によるものでしょう! 貴方は何度あの人を裏切れば気が済むんですか!?」
「貴様、無礼だぞ! 口を慎め!」
アレクセイとの間に割り込んでアルノルドを制する騎士の向こうで、本人は尚もどこ吹く風といった様子で答える。
「裏切る? おかしな事を言う。そう感じたというのなら、それは私に対し勝手な期待や幻想を抱いていただけに過ぎん。私は今も昔も、志を共にする者を裏切るような事をした覚えは無い。……寧ろ裏切られたのは私の方だ」
そう言ってやっとアルノルドを見たアレクセイのその瞳には、失望や侮蔑の色が浮かんでいた。
何故こちらがそんな目で見られなければならないのかと益々憤るアルノルドに、アレクセイは嘆息する。
「君は自分が親衛隊になった所以を忘れてしまった様だな」
「所以? ……貴方がそう命じたからでしょう」
「本当に忘れたのかね。……君にとって、かつての友の存在はその程度だったという訳か」
「何を――」
言いかけて、アルノルドはかつて自分がアレクセイの前で立てた誓いを思い出した。
"生き残った者の責務"
いつの間にかそれを忘れていたという事実に凍り付いてしまったアルノルドに、容赦なくアレクセイは続ける。
「この式典は騎士団の地位と権力を磐石なものにする為に必要なものだ。だが参列すべき騎士が揃いも揃って欠けていれば、それを見た評議会の役員共は"騎士団は未だ団結出来ておらず、突き崩せる隙がある"と捉えるだろう。或いは式典にすら参加出来ぬ程、今の騎士団には余裕が無いと見られるか……。何れにしろ、そうなれば今は大人しい奴らもまた碌でもない妨害を企てかねん。それこそ、クオマレ達を失ったあの悪夢を再び引き起こす事にもなりかねんのだぞ!」
アルノルドは今にも死にそうな顔でパクパクと口を動かしていた。
違う、そんなつもりじゃない。そう伝えたくても言葉が出てこない。
「それでも尚、式典よりもシゾンタニアの救援に行くと言うのならば好きにしろ。志を忘れ、道を違えるような者は、親衛隊にも騎士団にも必要無い」
苛立たしげにそう吐き捨てて、アレクセイはその場を去っていった。
アルノルドはその場に立ち尽くしたまま、小さくなっていく後ろ姿をただ呆然と見送る事しか出来なかった。