0.いつかの彼の話

アルノルドが親衛隊の一員になって、早くも五年が過ぎた。

「は〜、疲れた……」

十数人の部下を率いて、異常繁殖した魔物の討伐に出向いていたアルノルドは、王城に帰ってくるなりそう独りごちた。

彼に任される仕事は年々増えていた。その仕事の殆どはかつてシュヴァーンがやっていた物だと言う事にもアルノルドは気付いていた。それらが民の名声を集め、騎士団の地位を高くし、評議会と渡り合う為のパフォーマンスも兼ねた出陣だと言う事にも。

そこにはかつてアレクセイの補佐官達が語った情熱のようなものは感じられなかった。何かと騎士団の邪魔をしてくる評議会を牽制する事が不必要だとは言わないが、些かそちらに比重が傾き過ぎているように感じる。

まあこれも仕事だと自分を無理矢理納得させて本部に帰還したアルノルドは、さっさと部屋に戻って次の仕事まで少しでも身体を休ませようと身を翻し――

「聞いたか? ナイレンの奴、営倉入りになったってさ」

どこからか聞こえてきたそんな囁きに足を止めた。

「馬鹿だよなぁ、閣下に楯突くなんて」

「だがまぁ無理もないんじゃないか? 妻と娘が居たんだろう」

「それでもあの状況じゃ仕方ないだろう。それとも何だ、閣下の判断が間違ってたって言うのか?」

「いや、そうじゃ無いけど――って、な、何だ……?」

気付けば、アルノルドは話していた騎士の傍に立っていた。
日頃自分からは滅多に近寄ってこない相手に睨まれて、騎士二人は揃ってたじろぐ。

「その話、詳しく聞かせろ」

凄みを利かせてくるアルノルドに、騎士達は困惑した表情で目を見合わせて、渋々といった様子で語り始めた。

「下町で魔導器が暴走して爆発する騒ぎがあったんだよ。ナイレンの家がその近くだったみたいで、奥さんと娘さんが亡くなったんだ」

――一瞬、何を言われたのか、アルノルドは理解出来なかった。

「は……、何、亡くなった……?」

「被害に遭ったのはその二人だけじゃ無いけどな。最初に魔導器の様子がおかしいって通報があって、手隙の騎士が様子を見に行ったんだ。ナイレンも行きたがったみたいだが、親衛隊がわざわざ出向くほどの事じゃないって止められてな。報告では単なる故障だろうって言われてたみたいだし」

「でも思ったよりヤバい状態だったみたいでさ。応援を出すかって話にもなったんだけど……、その、現場が下町っていうのもあってな、無闇に騎士を送り込むより魔導器の専門家に任せた方がいいだろうって事になって……でも結局間に合わなかったんだ」

「結果としてその近くに住んでた人達は、現場に居た騎士諸共死んじまったらしい。もし俺達まで行ってたらと思うとゾッとするよ、閣下のお陰で命拾いしたな」

「でもナイレンは納得いかなかったみたいでな。自分達が行っていれば助けられたかもしれないのにって閣下に抗議しに行って……今に至るって感じだ」

悪い冗談であって欲しいとアルノルドは思った。信じたくは無かった。

顔面蒼白になりながら、アルノルドはフラフラと本部を出ていった。覚束無い足取りがやがて駆け足になり、ここ数年何度も通った道を走って下町に向かう。

下町は騒然となっていた。現場の後始末をしている騎士を掻き分けて、見慣れた家の姿を探す。
だが、そこにあった筈の家は瓦礫に埋もれてしまっていた。一家と親交があったのだろう、下町の住民がそれを見て涙している。

ふと、黒い瓦礫の中に光るものを見つけて、アルノルドは目を凝らした。
それは下町にある物としては珍しい、小綺麗なブローチだった。全体的に煤けており、亀裂が入った部分は欠けてしまっている。

アルノルドは見覚えのあるそれを暫く眺めていたが、他の騎士に邪魔だと押し退けられ、その場から追い出されてしまった。






「すまん、心配かけたな」

数日後、牢から出てきたナイレンは、憔悴しきった様子で、それでも笑いながらアルノルドにそう告げた。

それを見ただけで胸が張り裂けそうになったアルノルドは、何を謝る事があるのかと返すだけで精一杯だった。
こんな時にかけるべき言葉が何も浮かんでこない自分が憎らしくて、溢れそうになる涙を堪える為に唇を噛んで耐える。

「実はな、異動になったんだ。まあ半分は俺の希望だったんだが……、これから先、閣下について行けそうに無くてなぁ」

中庭を臨むベンチに腰掛け、晴れ渡る空を仰ぎながら、ナイレンは諦観したように言った。その声音には、疲れ果て擦り切れた彼の心情が滲んでいるように感じる。

「これまではな、俺なりに閣下の理念に共感して賛同してたんだ。それを傍で支えられる親衛隊って立場を誇りにすら思ってた。でも……今回の事で気付いたんだ、閣下と俺じゃあ見えてるものが全然違うって事に」

アルノルドは黙ってそれを聞いていた。ナイレンはそれに構わず、独白のように喋り続ける。

「閣下の目には俺達騎士も、民も写っちゃいない。あの人が見てるのは遥か遠い先にある理想の未来だけだ。あの人にとって重要なのは結果であって、そこに至る過程はどうだっていいんだろうよ。どんな犠牲が出ようと、そんなのは取るに足らない些末な事なんだ」

「…………」

「それが正しいのか間違ってるのかは俺にはわからん。上に立つ人間ってのは、それぐらいでないとやっていけないのかもしれん。ただ……俺はそうはなれない。この先また同じような事があった時、俺はその命令に従えない。そんな奴が閣下の傍に居たって仕方がないからな」

「…………」

「……赴任先はシゾンタニアっていう小さな町だ、長閑なとこで住民も気のいい連中が多いらしくてな。帝都からはちょっと距離があるが……もし何かの任務で近くに来るような事があれば寄ってくれ」

お前は忙しいからそんな暇無いかもしれんがなぁ、と苦笑して、空から隣に座るアルノルドに視線を戻したナイレンは、そこでやっと相手が泣いている事に気付いた。

それが自分と妻や娘に向けられたものだと悟って、ナイレンは込み上げてくる感情をぐっと抑え込みながら、相手の肩を抱いて引き寄せる。

「……すまん」

「……っだから、何で、貴方が謝るんですか……っ!」

アルノルドはただひたすらに悲しくて、同じくらい悔しかった。
自分には何も出来ない。彼の心の傷を癒す事も、死んだ二人を甦らせる事も、今の騎士団の在り方を変えることも。

ナイレン達は自分に沢山のものを与えてくれたのに、自分が返せたものは何の役にも立たない小さなブローチひとつだけだ。持ち主が死んだ今となっては、それすら瓦礫と共に廃棄されるただのゴミでしかない。

声を押し殺して泣きじゃくるアルノルドの背中を、ナイレンは優しく叩いた。かつて娘をそうやってあやしていたのと同じ様に。
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