0.いつかの彼の話

雨が降っていた。

ただただ振り回されただけの騎士達は、帝都に着くなり不満を隠さず宿舎へと帰って行った。
アルノルドは馬を小屋に返すと、どこへ向かうでもなくフラフラとその場を離れる。

アレクセイが彼の名を呼んだが、彼は足を止めなかった。

エステリーゼが彼の名を呼んだが、彼は足を止めなかった。

ルブランが彼の名を呼んだが、彼は足を止めなかった。

気が付けば誰も居ない中庭に立っていた。見覚えのあるベンチに、かつての己の姿が見えた気がした。


――死の直前、ナイレンはどんな気持ちだったのだろう。


――助けを求める声を無視して、呑気に式典に参加する自分の事をどう思ったのだろう。


遠いシゾンタニアの地で、ユルギス達に自分のことを話すナイレンの姿を想像して、アルノルドは自分の中で何かが壊れていくのを感じた。


かつて自分が助けられずに亡くした両親の敵を討つと誓った。その為に騎士になった。


かつて自分が助けられずに亡くした友の意志を継ぐと誓った。その為に親衛隊に入った。


けれどそれらのうち、一体どれを果たせたと言うのだろう。

いくら剣の腕を磨いても、討つべき敵は見つからない。
友が守ろうとした志は、既にかつての輝きを失っている。


――そして今また失った。


(もう、いい。沢山だ)

結局、自分には何一つ守れやしないのだ。
なのに後生大事に抱え込んで、一体なんの意味があるというのか。

アルノルドはずっと引き摺ってきた、これからも引き摺って行こうとしていた諸々の感情を手放した。同時に、何が正しいのかを考えるのを放棄した。

そうでなければ、今ここに居る己の存在を認められそうになかったから。






雨が降っていた。

シゾンタニアでレイヴンとしての務めを終えた彼は、久しぶりにシュヴァーンとして騎士団本部に戻って来ていた。

報告の為にアレクセイの所へ向かう途中、彼は中庭で亡霊の様に佇んでいるかつての部下を見つけて立ち止まる。

最後に姿を見たのも確か此処でだったか。ナイレンと並んでいた後ろ姿を思い出しながら、ああ彼が亡くなった事に心を痛めているのかと推測を立てる。

ならばシュヴァーンが声を掛ける程の事では無い。そう判断して彼は立ち去ろうとした。だが、その意思に反して視線は彼の方を向いたまま離れない。

二人は暫く時が止まったかのように固まっていたが、先に動いたのはアルノルドだった。
彼はシュヴァーンに気付くと体ごとそちらを向いて、多くの騎士と同じように恭しく敬礼をする。

「ご無沙汰しております、シュヴァーン隊長。異動の件、きちんと私の口からご報告したかったのですが、なかなかお会い出来なかったもので。色々とお世話になったにも関わらず、挨拶も無いままで申し訳ありませんでした」

「……話は聞いている、気にしなくていい」

さっきまでの様子が嘘のように、アルノルドは"普通"だった。全身ずぶ濡れになっていなければ、幻覚でも見ていたのかと錯覚する程に。

「これからどちらへ?」

「今しがた帰ってきたばかりでな、これから閣下に報告に向かうところだ」

「そうでしたか、お呼び止めしてすみません。それでは、私はこれで」

一礼して、水浸しのまま廊下を歩いていくアルノルドに、シュヴァーンもまた反対方向へ歩いていこうとして――――


「…………、……大丈夫か?」


シュヴァーンとしては相応しくない発言をした。

アルノルドは立ち止まって、少しの間を置いてから振り返って答える。

「何がですか?」

何の感情も乗らない平坦な声だった。
シュヴァーンはその無機質さに覚えがあった。

悲しみを通り越し、痛みすら凌駕して、何も感じられなくなった者の成れの果て。

"死人"

シュヴァーンは、シュヴァーンとしては感じる筈のない感情が湧き上がるのを感じたが――それが表層に出る事は無かった。

レイヴンとしての生活のお陰で少しはマシになってきたとは言え、彼も依然として死人のままで。
故に、どこまでも普通の顔をして去っていくアルノルドに、それ以上かけるべき言葉を持たなかった。






数日後。アルノルドは小隊長から昇格し、アレクセイに代わって親衛隊の隊長となった。

それは隊長首席であるシュヴァーンとほぼ同じ立場になったも同然で、本来であれば喜ばしいものだったが、昇進祝いも兼ねた新しい団服と武器を辞令と共に賜ったアルノルドは、それらを見て嗤った。

――こんなものの為に全て失ったのか。

――いや、"この為にこそ"全てを捨てたのだ。

アルノルドは自身にそう言い聞かせた。そうしなければ耐えられなかった。


以降、アルノルド・ブランディーノは変わった。


働くのはあくまでもお金の為。与えられた仕事のみを必要最低限の労力で淡々とこなし、人付き合いは波風を立てず当たり障りない言動でやり過ごす。上司の決定には異を唱えずに従い、そこにどんな意図があるのかなど一々考える事もしない。

皮肉にもその変化によって、敵だらけだった彼は多くの人に受け入れられた。
理由や経緯こそ違えど、かつて友人らに言っていたように、必要になったタイミングで、彼は処世術というものを完璧に身に付けたのだった。

その変わり様は、かつての彼を良しとした一部の人間にとっては複雑なものだったが、表面上は以前よりも明るく、生き易くなったように見えた為、無理に元に戻そうとする者は居なかった。

――本当の自分を殺して、偽りの人格の仮面を被る。

本人にその自覚はないまま、人魔戦争を生き延びた他二人と同じように、アルノルドはその生き方を選んだのだった。
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