10.静寂の中の慟哭
▲▽「いいか、死ぬなよ。必ず這ってでも生き延びろ。イエガー様達の想いを無下にするな」
別れ際にゴーシュにそう言われたことを思い返しつつ、アルノルドは一路帝都へ向かっていた。
全快とはいかないものの、死んでもおかしくは無かった筈の怪我は殆ど治っている。ろくに治癒術が効かない自分をここまで癒すのは大変だっただろうと、アルノルドは改めてイエガー達に感謝した。
(でも、結局助けられた理由は判らず終いだったな。イエガー"達"って言ってたけど、誰のことだ……?)
少なくとも、自分には命を救ってくれるような人物に思い当たる節はない。
まさかイエガーがレイヴンと同じ、アレクセイの言っていた人魔戦争を生き延びた騎士だとは思わないアルノルドは、今は考えても仕方がないとその思考を振り払う。
ヘラクレスからここまで結構な距離を走ってきたが、帝都まではまだ距離がある。エフミドの丘を抜け、ハルルの街までやって来たアルノルドは、かつて部下を引き連れてこの街に来た時の事を思い出して目を細める。
(あの時は、まさかこんな風になるとは思って無かったな)
あの頃の自分はエステリーゼの事をただの面倒なお姫様だとしか思っていなかったし、その捜索に駆り出される事を煩わしくも感じていた。
エステリーゼを連れ回すユーリの事は厄介な青年だと思っていたし、他の面々に至っては、さして興味すら抱いていなかった。
だが、彼らはそんな自分を変えてくれた。
空っぽになってしまっていた心に、失くしていた大切なものを取り戻させてくれた。こんな自分を、仲間として扱ってくれた。その気持ちに報いたい。
ユーリ達が今どこでどうして居るのかは知らないが、少なくともエステリーゼを捜しては居るはずだ。ならば遅かれ早かれ彼らも帝都に向かうはず。ここまで一度も姿を見かけてはいないが、アルノルドはそう確信していた。合流する事も考えたが、今は彼らを捜す時間すら惜しい。
ハルルを通過して、クオイの森、マイオキア平原と順調に進んでいたアルノルドは、どこからか聞こえてきた謎の轟音と振動に気を取られつつも、無事に帝都に到着した。
だが、そこに広がる光景に愕然とする。
「……なんで、なんで結界が消えてるんだ……!?」
平時ならば他のどこよりも安全である筈の帝都は、悲鳴に包まれていた。
街中にはエアルが溢れ出しており、結界が無いのを良いことに外から入り込んだ魔物が人々を襲っている。地獄と化した帝都から我先に逃げようと、貴族達が平民を押し退けてアルノルドの脇を駆け抜けていった。
なんだ、これは。一体何が起きたって言うんだ。
立ち尽くしていたアルノルドは、人波に流されて目の前に転がってきた子供を見て我に返る。
「おい、大丈夫か!?」
「痛たた……、……あれ? 騎士のお兄ちゃん?」
助け起こしてみれば、それはいつか下町で指切りを交わした少年だった。彼の両親であろう男女も、人と魔物の合間を縫ってやって来る。
「ああ、騎士様! 助けに来て下さったのですか!?」
「いや、その……そういう訳では無かったんですが、一体何があったんですか?」
「それが分からないんです。突然結界が消えたかと思ったらこの有様で……、誰も何も知らない様で、街中パニックになっています」
「逃げようにも魔物に阻まれて、この妙な光の靄のせいか具合が悪くなる人まで居て……もうどうしたらいいか」
「ねぇ、お兄ちゃん、ユーリは!? ユーリは一緒じゃないの!?」
それを聞くということは、ユーリ達はまだ到着していないという事か。
とにかくこの状況を何とかすべきなのだろうが、あまりにも混沌としていて自分一人ではどうにもならない。
せめて他に騎士は居ないのかと、魔物を斬り伏せつつ辺りを見渡していると、鮮やかな橙色の甲冑が人混みの中に見えた。
「そこに居るの、もしかしてルブランさんですか!?」
「むっ!? その声は……まさか、アルノルドか!?」
相手はアルノルドと同じように、周囲の魔物を掃討しながら駆け寄ってくる。
後方には、民間人を安全な場所へと誘導しているのであろうボッコスとアデコールの姿も見えた。
「無事だったか! ええい、無事なら無事と連絡の一つくらい寄越さんか!」
「えっ? はぁ、すみません……?」
何か心配をかけてしまうような事をしただろうかと思いつつも謝るアルノルドに、ルブランが神妙な顔で続ける。
「シュヴァーン隊長から事情は聞いた。……傷はもう大丈夫なのか?」
「!!」
これまでの事ですっかり忘れていた――否、わざと思考の隅に追いやって忘れようとしていた事を拾い上げられて、アルノルドはギクリとした。
「……傷はなんとか。……その、隊長と会ったんですか? 事情を聞いたって事は、俺がアレクセイの命令に背いて隊長と斬り合ったってことも知ってるんですよね……」
「なんだその顔は。別に命令違反だからと言って罰するつもりはないぞ。我々も今の騎士団長――アレクセイのやっとる事には納得出来ん。隊長に歯向かってでも姫様を守ろうとした貴様の行いは正しかったと、そう思う」
「……でも、シュヴァーン隊長はアレクセイと一緒に……」
ミョルゾの一件の後、シュヴァーンがどうなったのかを知らないアルノルドが沈痛な面持ちで俯くのを見て、ルブランが察する。
「隊長の事なら心配要らん。あのお方はユーリ・ローウェル達と共にアレクセイを追跡中だ。我々も共にヘラクレスに居たのだが、親衛隊の連中が不穏なことを口にしているのを聞いてな。故にこうして帝都に駆けつけたのだが……まさかこんな事になっているとは」
少しの間を置いて、アルノルドがきょとんとした顔を上げた。
「……え、ユーリ君達と一緒に居るんですか? それに団長を追ってるって……シュヴァーン隊長は団長の側についたんじゃ……? エステリーゼ様の件は……?」
混乱するアルノルドに、ルブランは「後の詳しいことは隊長に直接聞け」と強引に話を終わらせる。
今は悠長にお喋りをしている場合ではない。
「とにかく、今は街の住民を避難させるのが先だ。貴様も怪我が治ったのなら手伝って貰うぞ!」
「わ、わかりました。――あ、でも……」
この騒ぎに気を取られて失念しかけていたが、ここに来た当初の目的は住民の救出の為ではない。
イエガーの言葉が正しければ、アレクセイとエステリーゼも今ここに居る筈だ。ここで時間を取られれば、彼女が危ない。
「ルブランさん、エステリーゼ様を見かけませんでしたか?」
「んん? 姫様なら、アレクセイめと共にヘラクレスに居るのでは無いのか?」
「それが、帝都に移動したそうなんです。俺はそれを追いかけてここまで来たんですが……」
「なるほど……そういう事なら、やむを得んか。ここは我々に任せて、貴様はエステリーゼ様を助けに行け」
「え、でも……」
「でもも何もあるか! 貴様に与えられた使命はなんだ! エステリーゼ様をお守りする事だろう!」
ルブランは渋るアルノルドの体を強制的に城の方へ向けて、その背を押した。
そして、彼の行く手を阻む魔物を一掃する。
「さあ行け! 上官の命令が聞けんのか!」
「上官って……"元"じゃないですか。今は俺の方が上ですよ」
「そんな事はわかっとる! だが貴様が未だにシュヴァーン隊長の事を"隊長"と呼ぶように、所属が変わろうが立場が逆転しようが、貴様は永遠に私の部下だ! ――わかったらさっさと行かんか!」
目を見開くアルノルドの眼前で再びルブランの剣が翻り、道を塞ごうとしていた魔物が倒れた。
その剣筋は精鋭たるユーリ達に比べればまだ拙いものだったが、それでも、かつての頼りないものとは違う。
「…………。……ルブラン"先輩"」
「なんだ!」
「剣、ちょっとはマシになりましたね」
ルブランの言葉で僅かに潤んだ瞳を隠すように、不遜な笑みを見せたアルノルドは一礼して走り出した。
その態度を叱り飛ばしたルブランは、ボッコスらと顔を見合わせる。
「相変わらず生意気な奴なのだ!」
「全く成長していないのであ〜る!」
「そうだな、これが終わったら説教してやらんと」
そう口々に非難しながら、アルノルドの本質を、その心を正しく理解している三人は、遠ざかっていく彼の背を見遣る。
「だから――必ず無事に帰って来るんだぞ」