10.静寂の中の慟哭
△▼「助かったよ。へリオードから戻って来てたんだな」
カプワ・ノールに到着したユーリ達は、そこでかつてラゴウやキュモールに虐げられていたティグル達一家と再会していた。
ユーリ達の酷い有様を見た彼らは、一行を宿に運び入れるなり直ぐに医者を手配してくれた。お陰で、皆自力で歩ける程度には回復する。
「あの時はお世話になりました」
「ノールも執政官が代わったお陰で前よりは暮らしやすくなったと思ってたのに、今度はあの空だ」
「それでね、ちょっと前にね、ドーンって凄い音がして、ぐらぐらーってなったんだよ」
一家の一人息子であるポリーはそう言いつつ、何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回す。
「ねえねえ、あのお姉ちゃんは? いないの? 騎士のお兄ちゃんも……」
「!」
「そう言えば……、あの子ならあんたたちの怪我も治せるだろうに、どうしたんだ?」
何も知らない二人のその発言に場が凍りついた。
原因であるレイヴンが、地面に座り込んだまま答える。
「……ある馬鹿野郎がさぁ、悪い奴に渡しちまってね。それで今、追いかけてんのよ」
「…………」
「そうか……悪いこと聞いたみたいだな」
「ごめんなさいね、今日はちょっとお休みなの」
「ええー、そうなんだ……」
「大丈夫よ。今度また来る時は、二人も一緒に居るから」
ベッドに横たえられていたリタが、上体を起こしてそう告げる。
そこにどんな気持ちが込められているのかは、事情を知る仲間たちにしか分からない。
と、そこへ外から役人と思しき者の声が聞こえてきた。
執政官に報告するその話の内容はエフミドの丘の向こうに大穴が空いているというもので、それを聞いたユーリは苦い顔。
「まさか……あの時のヘラクレスの砲撃か? なんてこった……」
「よりによってえらいとこに当たっちまったもんだねえ」
「街に当たらなかったのがせめてもの救いね」
だが帝都へ向かうには丘を越えなければならない。
聞く限りではその大穴は人が通り抜けられるようなものではないらしく、ならば船で迂回しようというリタの提案もティグルに棄却される。
「遠出できるような船は全部騎士団が持っていってしまったんだ。お陰で今港は空っぽさ」
「くそ、一刻を争うってのに……」
「……方法がないことも無い。あまりお勧めできないがね」
「手があるなら教えてくれ。俺達急いで帝都に行きたいんだ」
先のレイヴンの発言で大凡の事情を察したのだろう、切迫した様子のユーリの言葉に、ティグルが頷く。
「エフミドの丘の手前を北に行くと、山と海に挟まれた細い海岸がある。その先は行き止まりなんだが、今の季節、そこに流氷がたくさん流れ着く」
「ゾフェル氷刃海ね」
「そう。あそこの流氷は、運が良ければ連なって道になることがあるんだ」
「つまりそこを通っていけば、大陸の真ん中に迂回出来るわけじゃな」
「ゾフェル氷刃海……あの辺りは気味悪い噂が色々あって、漁師も近付かないって話だよ」
「それに自然のことだから、必ず通れるとも限らない」
「それしか方法がないなら、行くしかないでしょ」
リタとカロルはベッドから下りて立ち上がった。「もういいのか」と心配を滲ませて問うユーリに揃って頷く。
「まだあちこち痛いけど……二人が危ないんだ、のんびり寝てられないよ」
「そゆこと」
「わかった、なら行こう。……世話になったな」
「いいって。あんた達はうちの一家の恩人なんだから。その代わり、うちの子の期待を裏切らないでやってくれ」
"次に来る時は二人も一緒"というリタの言葉を信じている様子のポリーに、皆を代表してカロルが答えた。
「うん、まかせてよ!」
雪の吹き荒ぶ白銀の世界。
海の上を漂う分厚い氷の板の上を歩きながら、レイヴンは身を震わせた。
「ううう、ううううう、寒い寒い寒い」
「おっさん、ウザい」
「年寄りは体温高くないのよ。あー、砂漠の暑さが懐かしいわ」
「しかしすげぇところだな。不思議っつーか不気味っつーか。氷から剣が生えてんぞ」
それは氷柱のことを指す比喩などでは無かった。実際に、あちこちの氷から鉄の剣が突き出ている。それも、一つや二つではない。
「あちこちにあるわよ、なんなのよここ!?」
「昔の海賊と帝国が争った名残りなのじゃ」
「よく知ってるな、そんなこと」
感心したようにユーリの言葉に、パティはどこか憂いを帯びた表情で、雪が溶けていく海面に視線を落とす。
「……アイフリードのことを調べてた時に収集した情報なのじゃ」
「刃のように冷たいから氷刃海……と思っていたけれど、こういうことなのね」
「刃のように冷たいってのも、間違ってないとは思うなあ。ううう、さぶさぶ」
と、突然ラピードが吠え出したかと思えば、水面にぬっと黒い影が現れた。
海上に上がってくる事は無かったが、魚にしては大きすぎるその不気味な影は、一行の足下をゆっくりと泳いでいく。
「ちょっ、なに今の!?」
「大きい……まさか始祖の隷長!?」
「……違うわね、知性が感じられないもの」
「バイトジョーなのじゃ。背骨がガチガチのピカピカで、とっても丈夫な体の魔物なのじゃ」
「ほっときゃ襲ってこないだろ。相手にすんなって、行くぞ」
そう言ってユーリは歩き出すが、バイトジョーは付かず離れず一行の後について来た。
それだけには留まらず、行く先々で飛び跳ねてはその巨体で近くの氷山を突き崩し、水飛沫を上げながら沈んでいく。
「ぶわ! 水被った! しょっぱい、冷たい」
「どうやら気に入られてしまったみたいね」
「強引なお誘いはお断りしてえな」
「こんだけ分厚い氷の上に居れば、襲われる心配はないと思うけど……」
「襲ってきたら返り討ちじゃ、どんと来いなのじゃ」
そんなことを言い合いながら進んでいると、対岸までの道程の折り返し地点に聳え立つ巨大な結晶が眼前に現れた。
氷の地面を割いて海面から地表に突き出しているそれは、内側に黄緑色の光を湛えている。
「これ、エアルクレーネじゃない!」
「こんなとこにもあったんだな」
「でもエアルが出ていないわね、涸れた跡なのかしら?」
「その割にはこの辺は荒廃してないみたいだけど……」
それに気を取られていた一行は、静かに背後に迫っていた敵の影に気づかなかった。
魚のような挙動をしていたバイトジョーは、海面から上がると一対の翼を広げて鳥のように宙を舞う。氷上には上がって来れないだろうと高を括っていた一行は度肝を抜かれた。
更にバイトジョーの咆哮によって、あろうことかエアルクレーネが活性化し、近くにいたユーリ達は高濃度のエアルに曝されて身動きが取れなくなる。
ユーリが咄嗟に突き飛ばしたお陰で唯一難を逃れたカロルは、バイトジョーの恰好の餌食となってしまった仲間達の姿に慌てふためく。
「くっ……! カロル、逃げろ!」
「そ、そんな! みんな食べられちゃうよ!」
「一人で勝てる相手じゃねぇだろうが!」
「でも!!」
バイトジョーの威嚇に身を縮こませていたカロルは、それでも背を向けることなく槌の柄を握った。
「ボクがやらなきゃ……今やらなきゃ……、今やらなくていつやるんだぁ!!」
そう自分を奮い立たせて、カロルはバイトジョーに向かって特攻した。
小さな体はあっけなく吹き飛ばされて氷の上に落着したが、敵の標的がユーリ達に戻る前にカロルは再び突っ込んでいく。
2回、3回、何度繰り返してもバイトジョーの硬質化した体にはなかなか攻撃が通らず、対して幼さの残る柔らかなカロルの肢体は氷に叩きつけられる度に傷んでいく。
「見てられねぇ! 頼むから逃げろ!」
「だ、大丈夫だから……」
「大丈夫なわけないじゃない!」
「大丈夫なんだよ。だって、みんながいるもん」
身動きが取れないユーリ達の前で、武器を吹き飛ばされたカロルはよろよろと立ち上がった。
呼吸は乱れ、血が滲み、それでも逃げることなく敵を見据える。
「ボクの後ろには皆がいるから、ボクがどんだけやられても、ボクに負けはないんだ」
カロルは近くの流氷――そこに刺さった剣目掛けて走り出した。
なんとかそれを引き抜くのと同時に、もう何度目かもわからないバイトジョーの一撃を喰らって、空高く打ち上げられる。
あの高さから落ちれば今度こそただでは済まない。
目を背けたくなるような光景、しかしカロルは怯えることなく、手に持った剣の切っ先を敵に向ける。
「――ボクの勝ちだ!!」
重力に従ってバイトジョーの頭上に落ちてきたカロルは、その勢いのままに剣を突き刺した。
脳天を貫かれたバイトジョーはのたうち回って海の底へ沈んでゆき、それに伴って大量に噴出していたエアルの勢いも弱まる。
やっと動けるようになったユーリ達は、ふらりとその場に倒れ込んだカロルに慌てて駆け寄った。
「カロル!」
「おい、しっかりしろガキんちょ!」
「……大丈夫、気を失ってるだけ。安心して気が緩んだのね」
ジュディスの言う通り、カロルは意識こそ無いものの、しっかりと呼吸を繰り返していた。それを見て、皆がほっと息を吐く。
「ったく……エステル助けに行くのに、あんたが先にやられちゃったらどうすんのよ」
「ま、そう言いなさんな。男にゃ勝負時ってのがあるのよ。お陰で助かったわ」
「ああ。カロルが居なかったら、俺たち今頃いつの腹の中だ。――有難うな、首領」
「格好良かったわ」
カロルが聞けば大喜びしたであろうユーリ達のその言葉は、残念ながら昏睡中の本人には届かなかったが。
それは紛れもなく、彼が名実共に凜々の明星の首領になれた瞬間だった。