10.静寂の中の慟哭

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一方。エステリーゼを探してザーフィアス城内を走り回っていたアルノルドは、額から滴り落ちてくる汗を拭って立ち止まった。

(……ここにも居ない。おかしい、もう全部回った筈だ)

酷使し続けてきた脚は既に棒のようになっており、ぜぇはぁと荒くなっている呼吸を整える為に廊下の壁にもたれ掛かる。

あてもなく人を探すには広すぎる城の中を、アルノルドは隅々まで見て回った。だが、見つけるのは親衛隊や評議会の人間ばかりで、エステリーゼも、共にいるのであろうアレクセイも見つからない。

(こんな事なら聞いときゃ良かったかな……。いや、流石に答えては貰えないか)

親衛隊の騎士達は、もうアルノルドを襲っては来なかった。しかしだからと言って反逆者の味方をするつもりも無いらしい。
彼らも今はどうしていいのかが分からないのだろう。直属の上司二人にそれぞれ全く逆のことを言われては、そうなるのも無理はないかもしれないが。

(思考停止してただ命令に従うんじゃなくて、ちゃんと自分の頭で考えて欲しいな……って、俺に言えた事じゃないか)

ほんの少し前までは自分もそうだった。
エステリーゼ達に出会えて居なければ、自分も彼らの中に混じって、ユーリのような人間を排除しようとしたのかもしれない。

そうならずに済んだのは、エステリーゼが居てくれたからだ。
彼女を死なせてはならない――再び湧き上がったその気持ちに追い立てられるように、アルノルドは見落としがなかったかもう一度確かめに行こうとして、しかし不意に現れた女性に行く手を阻まれる。

「貴女は……アレクセイの秘書の……」

「クロームです。……そんなに急いで、何処へ向かうのですか?」

ジュディスと同じく尖った耳を持つその女性に問われ、アルノルドは言葉に詰まった。
彼女は親衛隊と同じく、常日頃からアレクセイの傍に居て彼に付き従っている。つまり今ここに居るのも彼の命令である可能性が高い。

そう疑ったアルノルドは剣の柄に手を伸ばしたが、クロームは否定の意味を込めて首を振るった。

「私は貴方と争うつもりはありません。ただ、貴方の意志を確かめに来たのです。……貴方はあの娘を助けに行くつもりなのですか?」

またそれか。アルノルドは溜息を吐きながらうんざりした表情で答える。

「護衛騎士がエステリーゼ様を助けに行くことがそんなにおかしいですか? 元はと言えば彼女を守るよう命令したのはアレクセイ団長ですよ」

「例えそうだとしても、今の貴方は自由の身です。もう彼女を守る必要もない。……いいえ、寧ろこのまま見殺しにしてしまった方が、貴方や世界の為になる」

諭すように穏やかな口調で語るクロームに対し、アルノルドの表情にはじわじわと怒りが広がっていく。

「そんな意見はもう聞き飽きた。俺がどうなろうと世界がどうなろうと、そんなもん知ったことじゃない。今のこの腐りきった帝国に、それに命を握られている世界に、どれほどの価値があるって言うんだ? あんなに優しい人を犠牲にしてまで救う価値があるとは俺には思えないな」

「……貴方自身についても、同じことが言えるのですか? 世界に破滅を齎すかもしれないあの娘の為に、その命を捧げてもいいと?」

「俺の代わりは幾らでも居る。でもエステリーゼ様の代わりは居ない。一体他の誰があの人の代わりになれるって言うんだ? どっちを生かすかなんて、考えるまでもないことだろ」

そうキッパリと断言したアルノルドに、クロームは悲しげに俯いて「そうですか」と呟いた。

「貴方は……貴方のその命は、十年前にあの人と私の父が救ったものです。それが正しいことだったのか、今となっては分かりません。それでも、貴方があの二人のように、世界を憂い、友を尊ぶ人であれば……生きながらえた事に感謝して今日を生きているのであれば、父の行いには意味があったと思えたでしょう。ですが……」

クロームの話がなんの事なのか、父というのが誰のことなのかがわからないアルノルドはキョトンとしていたが、自分に向けて掌を翳すクロームにハッとして剣を取った。

「貴方はその命の重みを知ろうともせずに、そんなにも簡単に捨ててしまうのですね。それも、世界の敵である哀れな一人の娘の為に。……こんな事なら、父は人を助けるべきではなかった。そうすれば、絶望の中で命を落とすことも無かった。あの人が今のようになる事も無かったのに……」

彼女の事情は知らない。けれど、その表情と声色に滲む感情があまりにも痛々しくて――アルノルドは彼女の手から放たれた術を避けることが出来なかった。

床を滑るように転がって、その痛みに顔を顰めながらも立ち上がって応戦しようとしたが、その意志とは裏腹に体から力が抜けていく。

「……!? なん、だ……何で……」

自身の身に何が起こったのか理解出来ないアルノルドに、クロームが静かに歩み寄る。逃げようにも、体は言う事をきかない。

「一体、何を……」

「今のはただの魔術です。私が特別何かしたのではなく、貴方の体がもう限界なのですよ」

クロームの視線を辿って己の体を見てみれば、高濃度のエアルのような光が体全体から溢れていた。

「通常、人の体に吸収されたエアルは、新陳代謝によって体外に放出されます。そうする事で生命のバランスを保っている。貴方が特異な体質であってもそれは同じこと。だからこそ貴方はこの十年を無事に生きてこられた。……けれど、城を出てからの貴方は無理をし過ぎたのでしょう。その体に蓄積されたエアルは、既に許容限界に達してしまっています」

「……限界を超えたらどうなる?」

「貴方は既に見たことがあるでしょう。過剰にエアルを投与された始祖の隷長の成れの果て……肉体は消滅し、体内で凝縮されたエアルだけが結晶となって残る。つまり……」

アルノルドの脳裏にかつてのべリウスの姿が浮かんだ。視界が眩んで、意識が遠ざかっていく。

「貴方がその命を大切にしないと言うのなら、こうするしかありません。あの娘の為にその命を散らせるぐらいならば、きっとこの方が……」

最後に見たクロームの表情は、やはり何故か辛そうなもので。
その表情にエステリーゼの姿を重ねたアルノルドは、闇に溶けそうになる意識を何とか繋ぎ止めようと足掻く。

(駄目だ……まだ、まだ何も出来てない……、エステリーゼ様を助けることも出来ずに、こんな所で終わる訳には……)

だが結局、トドメと言わんばかりのクロームの魔術を食らって、彼は意識を手放した。

そしてその体から溢れた光が、白い床や壁を殊更白く塗り替えていくのを、クロームはただじっと見つめていた。
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