11.ひとつの終わり
ゾフェル氷刃海を抜け、流氷の上から土の地面へと生還したユーリ達は、街道を歩いてハルルへと辿り着く。薄桃色の花を咲かせるハルルの樹は、以前エステリーゼが治した頃から変わらぬ美しさを保っていたが、その樹が守る街の中の様子は違っていた。
長閑な風景を覆い隠すほどの人の群れを見て、ユーリ達は顔を顰める。
「えらくごった返してんな」
「帝都から逃げてきた連中よ。綺麗な身なりしてんでしょ?」
「今んとこ、ここの結界は異常無さそう」
「カロル、大丈夫?」
ジュディスは街に着く少し前から具合が悪そうにしていたカロルの額に手を当てた。
寒い氷海に長時間居たせいか、バイトジョーとの戦いで無理をし過ぎたせいか、熱が出てしまったらしい。ユーリ達は今にも倒れそうな彼を宿に運んでベッドに寝かせる。
「あの避難民……帝都は大変な状況のようね」
「アレクセイの大将、一体何をしでかすつもりなんだか」
「アレクセイなんてどうでもいい。……エステルよ、あたしはエステルを助けたい」
「そうね。でもその為にはアレクセイを何とかしないと。それに、このままじゃ無謀過ぎるわ。またノール港まで飛ばされる訳にはいかないもの」
会話は途切れ、部屋にはカチコチという時計の針の音だけが響いた。
陽が落ちて暗くなりゆく空と同じ面持ちで俯く一向に、レイヴンが提案。
「どのみちカロルが回復するまでは動けないんだし、今のうちに情報集めてくるといいんでない?」
「……そうね、宿の主人からちょうどいい話も聞いたことだしね」
「帝都のお偉いさんとやらが、長の家に居るって話だったな。行ってみるか」
病床に伏すカロルの世話係として、レイヴンだけが部屋に残り、他の面々は部屋を出て行く。
最後尾にいたジュディスは、高熱で魘されているカロルを見守るレイヴンを振り返って、
「彼のことも聞いておくわね」
そんな一言を残した。
数拍置いて彼というのが誰のことかを理解したレイヴンは、気遣いに感謝しつつ彼女を見送る。
こうしていると、ずっと前に怪我をしたアルノルドを船室で看病していた時のことを思い出す。
水を張ったたらいに浸けたタオルを絞り、それをカロルの額に乗せてやると、苦しげな表情が少しだけ和らいだ。
早く助けに行ってやらないと。今どこで何をしているのかは分からないが、エステリーゼの所へ向かったのなら再びアレクセイと対峙している可能性もある。怪我をしていたというのなら尚更、そんな状態で何度もアレクセイと戦うのは無謀だ。
けれど、その逸る心の奥底に、躊躇いのようなものもレイヴンは感じていた。
十年。彼と出会ってから今日まで、一度だって彼と向き合う事をしなかった。
彼が一番苦しかったのであろう時に傍に居なかった自分が、何もしなかった自分が、今この時になって彼を助けようとするのは、虫がよすぎるのでは無いだろうか。
ユーリ達は彼の仲間として彼を助けようとしている。
だが自分は? 彼を傷付け追い落とした自分は、仲間と言えるのか。そう名乗って良いものなのだろうか。
そもそも、自分はただこの罪悪感から逃れたいだけで、その口実に助けようとしているだけで、本心では彼のことなどどうでもいいのではないか?
助けたとしてもいずれまた裏切ってしまうのでは? 傷付けてしまうのでは?
(……いかんね、どうも。こうして静かな場所に居ると、余計なことばっかり考えて)
もう逃げないと、目を背けないと決めたのに、未だ頭に浮かぶのは後ろ向きな思考ばかり。
わかっている。これは多分、防衛本能のようなものだ。
上手くいかなかった時に自分が傷つかないように、逃げ道を作ろうとしているだけ。
自分を偽り仮面を被り続けたのと同じ、身に染み付いた悪癖。
けれど実際、助けたとしてどうする。
エステリーゼの事にしてもそうだ。アレクセイから奪い返せたとして、その後は?
リタが必死に頭を捻ってはいるが、満月の子の力を何とかする方法は未だ見付かっていない。このままでは世界の破滅は避けられない。
それを知っていて放置する事など出来よう筈もない。他の面々はどう考えているのかは知らないが、少なくともジュディスはいざその時が来れば決断を下すだろう。性格上、ユーリがその役を引き受けるかもしれない。
待っているのがそんな結末なのだとしたら。
そんな終わりを与える為に、そんな光景を見せる為に、エステリーゼとアルノルドを奪還するのは、本当に彼らの為になるのだろうか。
全てをアレクセイのせいにしたまま、流れに身を任せてしまった方が、傷は浅くて済むのではないか。
(ドン、キャナリ、あんた達ならこんな時どうする?)
縋りたくても、正しと思える答えを示し続けてくれた二人はもう居ない。
まるで道標を失った迷子のような心地で、レイヴンは項垂れた。
「……一人で行くつもりですか」
ハルルの街の出口付近。
聞き込みを済ませた後、そのまま黙って仲間達と離れ、ラピードだけを供に一人立ち去ろうとしていたユーリは、自分を呼び止めるその人――帝都から逃げてきた内の一人であるヨーデルに背を向けたまま答える。
「殿下にゃ関係ねえよ。下町の様子が気になるから、ちょいと見てくるだけさ」
何故ハルルにこれだけの人が集まっているのか、帝都で何が起こっているのかは、先の聞き込みの最中にヨーデルから聞いていた。
今頃ジュディスが、そこにアルノルド達の
活躍があった事も含めて、レイヴンに報告している事だろう。
「評議会はアレクセイを正式に大罪人として告発する決定を下しました。今、デイドン砦で騎士団が帝都攻略の準備を進めています」
「エアルが充満してんだろ? どうにもならんと思うぜ」
「……エステリーゼは、アレクセイのもとに居るんですね」
「知って……まあ気付くか。さっきわざと話題にしなかったろ」
「彼女をどうするんですか」
ユーリは振り向いてヨーデルを見た。
相手の表情は真剣そのものだった。ユーリはその面構えを知っている。かつて騎士団に居た頃、似たようなものを幾度か見た覚えがある。
権力のある者が、何か大きな決断を下す時の、それを告げる時の顔。
ユーリは彼の言わんとしている事を理解しながら、わざと問いを返す。
「どういう意味だ?」
「皇帝家の血筋の者は、皆ある力を持っています。多くは微々たるものですが、彼女のは飛び抜けていたと聞きます。評議会が彼女を担ぎ出そうとしたのも、それが理由でしょう」
「なんで今そんな話するんだ」
「騎士団は……アレクセイを討つだけでは済まなくなるでしょう」
「そんな事にはならねぇよ」
「……貴方がやるから、ですか?」
ユーリは答えなかった。
ヨーデルの考えはわかった。故にこれ以上の問答は不要だと言わんばかりに、再び彼に背を向ける。
「フレンが言っていました。貴方はいつも一人で重荷を受けようとする、と」
「余計なお世話だって言っといてくれ」
「どうしてそこまでするのですか?」
「言ったろ、あんたにゃ関係ない」
関係が無いのは貴方の方でしょう。ヨーデルはそう言いたかった。
これはこのテルカ・リュミレースという世界全ての問題であり、災いの中心に居るのは皇族に連なる者と騎士団の団長だ。故にこの事態に対処すべきは、同じ皇帝候補者である自分や評議会、騎士団である筈なのだ。
だがそれらがまともに機能していない今、ただの一市民に過ぎない彼が、その役目を一人で担おうとしている。世界の為に一人の少女を殺すという、あまりにも重すぎる役目を。
誰に強いられた訳でも無いだろうに、彼は一人でその覚悟を決めた。
ヨーデルはユーリの手に携えられている剣を見た。宙の戒典。皇帝の証。いつか自分かエステリーゼの手に渡るとされているもの。
「その剣……貴方のような人こそが持つべきなのかもしれません」
「それ以上なんか言うとぶん殴るぞ」
「……すみません」
ユーリは歩き出した。ラピードが静かにその後を追う。
彼一人に任せてはいけないと思いながらも、ヨーデルにはユーリを引き留める事は出来なかった。
「ユーリが居ない!」
幾分カロルの顔色が良くなってきた頃。
珍しくユーリを名前で呼ぶリタが、困惑と焦りの入り交じった顔で部屋に入ってくるのを見たレイヴンは、唐突なその報告に対して「ああやっぱりか」と納得してしまっていた。
「こんな時にどこ行ったのよあいつは!」
「街の中はちゃんと探した?」
「探したわよ! 街の人が出ていくところを見たって言ってたし……今ならまだ追いつけるかも、あたしちょっと行ってくる!」
「まあまあ落ち着いて。こーんな夜更けにうら若い少女が街の外彷徨いたら、色々と危ないわよ。ただの散歩かもしれないし、もうちょっと待ってみてもいいんじゃない?」
「あら、貴方はユーリの味方なのね?」
すっとぼけようとするレイヴンに、それを見透かしたジュディスがいつもの妖艶な声で言った。
まだユーリの行動の意味が理解出来ていないリタは、「何の話よ」と二人を睨む。
「このタイミングで私達に何も告げずに出て行ったんだもの、ただの散歩じゃあ無いわよね」
「なら何だっていうのよ、ハッキリ言いなさいよ」
「俺達がグズグズ悩んでる間に、ユーリは一人で腹括っちゃったって事よ。いやーほんと、あの歳で肝が据わってるわ」
「……え、それって……?」
身を起こしたカロルの額から、温くなったタオルが落ちた。
若いメンバーの中で一人事態を察していたらしいパティは、苦い顔で俯く。
「……何よ、何よそれ。じゃあ、あたしら置いていかれたってこと……?」
「そゆこと。覚悟が出来てない奴らはこの先お荷物って事でしょうよ。実際、この中にユーリほど覚悟が決まってる奴が居る?」
「そもそも覚悟って何。エステルを始末するかどうかってこと? あいつはその覚悟が出来たから一人で行ったっていうの? ふざけんじゃないわよ!」
「でも、確かにそろそろ覚悟は決めておかなくちゃいけないわね。彼を追いかけるのなら尚更、生半可な気持ちじゃ聞いて貰えないでしょうし」
「そんなの……そんなの知らないわよ! なんでそんな覚悟決めなくちゃいけないのよ! あたしらはエステルを助ける為にここまで来た筈でしょ!? なのになんで……っ!」
怒気を孕んでいたリタの声と表情が悲しみの色に染まっていく。
ジュディスはその体を優しく抱き寄せた。レイヴンもそれに倣って、リタと同じ顔になっているカロルやパティの頭をポンポンと撫でる。
きっとリタは理解している。理解した上で、けれどそれを認めたくなくて足掻いている。
それが分かるからこそユーリの決断を尊重しようと黙っていたのだが、どうしてバラしてしまうのかと、レイヴンはジュディスの行いを目で非難した。
「この子達にも知る権利はあるでしょう? それに、私は彼を一人で行かせるのは反対だもの。どんな結果になったとしてもね」
「そりゃあ俺も思うところが無いわけじゃないけどね。でも、ジュディスちゃん含め皆に辛い想いはさせたくないってユーリの気持ちも分かるからねぇ」
「だからって、ユーリ一人に背負われるのはもっと辛いよ! エステルの事で傷付くのはユーリだって同じなのに……!」
「……カロルの言う通りじゃ。それに、そうやって辛い役目を誰かに押し付けて逃げるのは……うちはもう……」
消え入りそうな声で言ったパティは、密かに取り戻していた記憶を振り払って顔を上げた。
「とにかく、ユーリを一人で行かせるのはうちも反対なのじゃ! カロルが前に言っておった凛々の明星の掟にも反しておる、故に罰を与えるべきなのじゃ!」
「そうよ! 何が"辛い想いはさせたくない"よ! いつ誰がそんなこと頼んだってのよ! あ〜、あったまきた! 一発ぶん殴ってやらないと気が済まないわ!」
「なら私もお供させて貰おうかしら。カロルはまだ具合が悪ければここに……」
「ううん、ボクも行くよ! もう動けるし、いつまでも休んでいられないもん」
ぴょんとベッドから降りて、カロルはドアの前に立つ皆の隣に並んだ。
そして全員の目が、一人椅子に座ったままのレイヴンの方へ向けられる。
「やれやれ。これじゃまるで俺一人が薄情者みたいじゃないのよ」
「実際そうでしょ。何早々に納得して諦めてんのよ」
「あれこれ諦めてばっかりの人生だったもんだから、見切りが早くなっちゃって。リタっちは根性あるねぇ」
「当然でしょ。魔導学だって何だって、諦めたらそこで終わりだもの。諦めなかった奴だけが見れる景色っていうものがある事をあたしは知ってる。だから、エステルの事も世界のことも、あたしは途中で諦めて投げ出したりなんてしない」
「……諦めなかった奴だけが見れる景色、ね」
かつて諦め悪く足掻き続けたダミュロンが見た景色は決して良いものでは無かった。あんな思いをするぐらいなら頑張らない方が良かったと思った。全ては徒労だったと感じた。
もしもあの時に何か一つでも救えていたのなら、道を踏み外す事も無かっただろうか。
「で、あんたは行くの行かないの?」
「行きますとも。今の俺の命は凛々の明星のもんだしね」
レイヴンは冗談めかして言ったが、それは本心でもあった。
行く先が天国であれ地獄であれ、自分は彼らと共に行くだけだ。今度こそ、最後まで一緒に。