11.ひとつの終わり
ハルルから帝都まで続く道の途中、クオイの森に入ったユーリは、ふと道の途中で足を止めた。そこにあるのは朽ち果てた巨大な魔導器だ。
帝都を出て直ぐ、まだ仲間達と出会う前、エステリーゼと二人だけで旅をしていた頃、この辺りで野営をした事があった。
近くの木々に成っている果実を見て、ユーリが笑いを零す。
「あん時、ニアの実を食ったエステルの顔ったらなかったな」
何も知らずに食べて、その苦さに顔を歪める無知で無防備な様は、正にお姫様そのものだった。
安全な城の中で、外の世界のことなど何も知らずに育った彼女。他の人にとっては何でもないような事の一つ一つに目を輝かせ、あれは何だそれは何だと聞いてくる。
まるで無邪気な子供のようだった。楽しいことがあれば笑って、悲しいことがあれば泣いて、悪いことには怒って。
そこには政治的な思想も陰謀も何も無い。人情に溢れ、慈しみの心を忘れず、人々に手を差し伸べる。絵に描いたような善人。
そんな彼女が泣きながら告げた言葉が、焼き付いて離れない。
「……考えてみりゃ、お前とだけってのも久しぶりだよな。戦ってても妙に調子狂うし……なんだか疲れた。ちょっとだけ見張り頼むぜ、ラピート」
「ワン」
子犬の頃からずっと一緒に育ってきた相棒にそう伝えて、ユーリは地面に横たわった。目を閉じれば、夜の暗さよりもずっと深い闇に包まれる。
――これ以上、誰かを傷つける前に……お願い、殺して。
そんなこと言わなくてもいいんだ。誰かの為に身を削って生きてきたお前が、もうそれ以上苦しまなくていいんだ。
そう言ってやりたいのに、あの時、何も言えなかった。
――もし、ユーリが私に刃を向けるなら、きっと私が悪いんです。
違う。お前は何も悪くない。
お前はラゴウやキュモールのような奴らとは違う。誰かに裁かれなくちゃいけないような事は何もしていない。
していないのに。なのに俺は、どうして。
(……俺は何の為に騎士を辞めた? エステルみたいな奴を救う為に、この道を選んだんじゃ無かったのか?)
結局、自分には血で血を洗うようなことしか出来なかった。
これが正義なのだと信じてここまでやって来た。けれど振り返ってみれば、自分のやってきた事は、騎士の道を選び、その結果アレクセイの傀儡となってしまったフレンとそう変わらないのかもしれない。
エステルのような人を助けたい。あの笑顔を、その優しい心を守ってやりたい。
そう思うからこそ、フレンはアレクセイの指示に従い続けた。自分は、悪党を断罪し続けた。そのどちらにも正義はあって、けれど同じだけ間違いもあった。
どちらの道を歩んでも、行き着く先は同じ。
フレンにも自分にも、今のエステリーゼをどうにか出来るような力などない。取れる手段は一つしかない。
(……ああ、そういや、もう一人居たな。俺とフレンの中間を進んでた奴が)
――どんな奴かって? そうだなあ、お前とフレンを足して二で割ったような感じだな。
いつだったか、自分にとっての数少ない尊敬できる騎士の一人がそう言っていた。
少し前まではその言葉に全く賛同出来なかったが、今は彼がそう評した理由がわかる気がする。
長くアレクセイの傀儡でありながら、エステリーゼただ一人の為に全てを捨てた男。
騎士として国に仕えながら、それでも国の犠牲になる者を見捨て切れなかった男。
(要領悪いよなあ。あいつも、俺も、フレンも)
そんな事を考えている内に、ユーリは眠りに落ちてしまっていた。
次に目を覚ました時、彼の視界が捉えたのは森の木々では無く、今まさに自分の顔面目掛けて振り下ろされんとしているカロルの大剣だった。
「ユーリの……バカーーーーッ!!」
「おわっ!?」
慌てて飛び起きたユーリの背後で、狙いを外した剣が地面に叩きつけられて、抉られた土と草が宙を舞う。
「なっ? え、あ? カロル!?」
「バカ! アホ!」
「ちょ、まて、おい!」
聞く耳持たず。カロルは状況を呑み込めていないユーリに尚も武器を振り回し、ユーリはただただそれを避けるしかない。
「トーヘンボク! スットコドッコイ!」
「スットコって……待てって!」
「言い訳は後で聞いたげる」
「へ!?」
「一回、死んどけ!!」
リタの声と共に視界の端で閃光が走ったかと思えば、次の瞬間、ユーリの体は爆発によって吹き飛ばされていた。
受身を取る事も出来ず地面に転がされたユーリの周りに、ぞろぞろと他の仲間達が集まってくる。
「豪快じゃの」
「はぁい、生きてる?」
「……多分」
「目も覚めたみたいね、良かったわ」
そう言って、ジュディスは握っていた拳を振りかざす事無く下ろした。その隣には満足気な顔をしたラピードが座っている。
「ったくラピード、てめえ見張りはどうしたんだよ」
「この子が私達を案内してくれたのよ、賢い子ね」
「そこ行くと、どっかの馬鹿は大違い」
呆れたようなリタの物言いに、それなりの覚悟と決意を以ての行動であったユーリは顔を顰める。
「……お前ら分かってんのか? これから何しようとしてっか、本当に分かってんのかよ?」
「分かってないのはユーリだよ!」
間髪入れずに答えたのはカロルだった。
出会った頃は人の影に隠れるような性格だったのに、いつの間にか誰よりも先に声を上げるようになった彼は、悲壮な顔でユーリを見詰める。
「ユーリだけで……ユーリだけでなんて駄目だよ!」
「あんた一人で何するってのよ。あたしら差し置いて何が出来るって言うのよ!」
魔導器にしか興味が無いと言っていたリタは、今はエステリーゼの親友と呼べるような関係になった。
「ま、要するに、だ。一人で格好つけんなってことよ」
神殿の奥で死のうとしていたレイヴンの目には、今はしっかりと光が宿っている。
「もう少し信じてみてもいいんじゃないかしら?」
「うちらはユーリを信じとるぞ」
魔導器やエステリーゼを巡って対立したことすらあったジュディスも、一時は共に行く事を躊躇っていたパティも、
「そうだよ。仲間でしょ!」
皆がカロルのその言葉に頷く。
ユーリは息を呑んだ。
それは自分が歩いてきた道程の中で築いた絆であり、エステリーゼが繋いでくれたものでもあった。
(……ああ、そうか。馬鹿だな、俺は)
自分やフレンやアルノルドに共通していたものは何だっただろう。何故こうも上手くいかなかったのだろう。
簡単な事だ。全部、一人で済ませようとしてしまっていたからだ。
問題を一人で抱えて、一人で解決して、誰にも打ち明けようとしなかった。それを美徳だと思っていた。
でも、違う。そんなものは美徳でも何でもない、ただの独り善がりだ。
頼りにしてくれていいのだと、そう言ってくれる仲間が、今の自分には居るのだから。
自分がエステリーゼや彼らを助けたいと思うのと同じように、彼らもまた自分を助けたいと思ってくれているのだと言うことを、ユーリは漸く自覚した。
「……参ったね。分かったよ、皆で行こう。最後までな」
「じゃの!」
「うん!」
「当然よ」
ユーリは痛む体を起こし立ち上がった。見上げれば、木々の向こうに白くなり始めた空が見える。
その中には、強く輝く星が一つだけ残っていた。
帝都を目前に控えたマイオキア平原の端。デイドン砦に布陣しているとヨーデルから聞かされていた騎士団は、いつの間にやらそこに並んでいた。
自分達がハルルやクオイの森で休んでいる間にここまで進軍して来たのだろう。様々な色の甲冑を身に纏った兵士達――隊を問わず、正義の為に集った勇敢な騎士達――の群れの中から、ヘラクレス以降別行動を取っていたフレンが顔を出す。
「ユーリ! みんな! 良かった、無事だったんだな。エステリーゼ様は……まだザーフィアスなんだな」
「ああ。今のところはまだ、な。そっちは何やってんだ、こんなとこで」
「親衛隊がこの先に布陣している。出方を見るために送った偵察隊が戻るのを待っているんだ」
「およ、親衛隊はアルちゃんが諌めてくれたんじゃなかったの?」
「そう聞いています。お陰で想定より数は少ないですし、何人かはこちら側についてくれたのですが……」
「流石にお説教されたくらいで全員降伏って訳にゃいかねえか」
「……ユーリ、少しだけ二人で話がしたい。いいかい?」
「隊長!」
「大丈夫だ、すぐ戻るよ。何か動きがあれば報せてくれ」
ソディアの制止を振り切って、皆から少し離れた場所へユーリを引っ張っていったフレンは、改めて話を切り出す。
「ヨーデル殿下から何が起きているのか、大凡の話は聞いた。エステリーゼ様の能力の事もね。万一の場合、君は……」
「おいおい、そうならないようにする為に俺達は行くんだぜ」
「分かっている。僕が言っているのは最悪の場合の話だ」
「……俺はもう選んだんだ。忘れたのか?」
初めて手を血で染めた時にフレンとした会話を準えて答えたユーリに、その迷いのない物言いに、フレンの表情が曇る。
「そう、だったね」
「俺は腹を括った。その上で望みを拾いに行くんだ。お前はどうする」
「……ずっと考えていた。法とは何か、罪とは何か。良いものと悪いものの境はどこにあるのかと。散々考えて出てきたのは、はっきりした線引きは出来ない、という分かりきった答えだけだ。法が必要だという思いは今でも変わらない。それでも、君を悪だと呼ぶ気にはなれない。だからせめてこれ以上繰り返さずに済むような世の中を作りたいと思った。……それなのに、今またこんな事になるなんて」
「なら一緒に行くか? どうせ帝都はエアルだらけで、騎士団は入る事が出来ねえ筈だ。俺らとなら、全員は無理でも多少は何とかなるかもしれねえぜ」
と言って、ユーリは手に持っていた武器をフレンに見せた。
宙の戒典――エアルを制御できるその剣を見て、フレンが得心する。
「正直、この先はどうなるかは分からねえ。だからどうするか自分で決めてくれ」
「僕は……」
「失礼します! 敵陣から戦闘機械の大群が出現! 物凄い数です!」
場に乱入して来た兵のその報告を聞いて、フレンとユーリは慌てて皆の元へ戻った。まだ距離はあるが、確かに魔導兵器が列になってこちらへ進んで来ているのが見える。
「……まだあれだけの戦力を隠していたのか」
「あれを突破するのは少々骨が折れそうね」
「いやー流石にキツイっしょ。帝都に辿り着く頃にはこっちもボロボロよ」
かと言って回り込めそうな横道も別のルートも無い。
決断を迫られたフレンは、逡巡の後に剣を鞘から抜いた。
「ユーリ。帝都に行くのはアレクセイを止める為。そして……エステリーゼ様を"救う"為だね?」
「……ああ」
「なら……例えどんな結果になろうと、僕はそれが最善だと信じる」
「お前……」
「行ってくれ。それと、もし城内でアルノルド隊長と合流出来たら、皆が感謝していたと伝えて欲しい。あの人が示してくれた騎士の誇りは、道を見失いかけていた僕達を導いてくれた」
少し前までなら、フレンのその言葉を鼻で嗤っていただろう。あんな奴を盲信し過ぎだと、目を覚ませと言っていたかもしれない。
だが今のユーリはそうはせず、去りゆくその背に応じる。
「お前と隊長がどうしてあいつに入れ込んでたのか、俺にもやっとわかった。……見る目が無かったのは俺の方だな」
苦笑混じりに言うユーリに、フレンは目を丸くして、それから安心したように微笑んだ。
「君は知らないだろうけど、アルノルド隊長がアレクセイに歯向かったのはこれが二度目だよ」
「そうなのか?」
「一度目は、シゾンタニアの援軍の要請をアレクセイが突っぱねた時だ。皆がその決定に口を閉ざす中、彼だけがアレクセイに食い下がってくれた。式典の後に来てくれたのも、彼の判断だったと聞いている。今アレクセイの側に残っている親衛隊の兵士達は、その時にアルノルド隊長を非難していた者達だ」
「……なるほどな。まあでも、実際あの援軍は無駄だったろ。そんな反感買ってまで、遅れて来る必要あったのか?」
「必要は無いよ。普通はわざわざ来ない。それでも、間に合わないだろう事も、君や皆にどう思われるのかも承知で、アルノルド隊長は来てくれたんだ。遅れたのは彼の責任では無いのに、糾弾されても言い訳一つしなかった」
あの一件の後、騎士を辞めたユーリと別れ、シゾンタニアから帝都へ戻ったフレンは、真っ先にアルノルドに礼を伝えに行った。彼とはその頃からの付き合いだ。
あの時の彼の顔を、平然とする彼が一瞬だけ見せた、謗りを受けたかのような悲痛な笑顔を、今でも覚えている。
「そして今も、圧倒的な劣勢の中で、彼は一人アレクセイに立ち向かっている。――だから僕は、今こそナイレン隊長との約束を果たす」
フレンは馬に跨り、空高く剣を掲げた。
昇る太陽の光を受けて、その刀身が星のように煌めく。
「騎士団諸君! 目の前に敵の大部隊、そしてその背後にはアレクセイが控えている。容易い相手だとは言わない、逃げたくなるのも無理はない。しかし思い出して欲しい、僕らが成すべき事を! 僕らの後ろにあるものを!」
その場にいる全ての者が、声を張り上げるフレンを見上げた。
期待と不安の入り混じる彼らの視線を一身に浴びながら、フレンは続ける。
「僕らは騎士だ、その剣で市民を護る騎士だ! 誰にも強制はしない。だけどもし志を同じくする者が居るのなら、この一戦、共に戦おう!」
敵の軍勢に及び腰になっていた騎士達は、その演説で士気を取り戻して雄叫びを上げた。
先陣を切るフレンに続いて、歩兵達が次々と魔導兵器に向かっていく。
――俺が帝都に居た頃は、あいつはいっつも独りで居てなあ。悪い奴じゃあ無いのに、周りの奴らは妬んだり不気味がったりするばかりで、近付こうともしなかった。
――だからな、お前達が帝都に戻った時に、もしあいつが独りで困っていたら……ほんの少しでいい、手を貸してやってくれ。
ユーリは記憶から消えかかっていたその約束を思い出しながら、突破口を開いてくれたフレンの勇姿を称える仲間達に告げる。
「行こうぜ、帝都だ」