12.音速十光年

目を開けた時、最初に見えたのは、青い空を背に流れゆく雲だった。

「……気がついたか」

ぱちぱちと目を瞬かせるアルノルドは、すぐ傍から聞こえた声の方へと体を向けた。
少し癖のある白銀の長髪が風に揺れて、真紅の双眸が自分を捉えている。見た事のある顔だ。

「……あんたは……そう言えば、名前は聞いたこと無かったな」

「……デューク・バンタレイだ」

「デューク……? その名前はどこかで……」

「騎士であれば、聞き覚えはあるだろうな」

「どういう意味……って、今はそれよりも――」

アルノルドは寝転んだ状態からゆっくりと起き上がって、自分が今現在何処に居るのかを把握する。
端的に言うと空の上だった。自分の体を運んでいるのは、ずっと前にカドスの喉笛で見た覚えのある竜型の始祖の隷長。

「……何がどうなってるんだ?」

「お前はエアルの過剰摂取によって死に瀕していた。彼女がそれを助けたのだ」

「彼女?」

デュークは視線を下に向けた。
名乗りを上げるように、始祖の隷長が一鳴きする。

「平時は人の姿を取っている。クロームという名だ」

「えっ」

確かに、気を失う前に共に居たのは彼女だが。まさかアレクセイの秘書が始祖の隷長だなんて、そんな筈は無いだろう。デュークが冗談の類を言うとも思えないが。

「そもそも助けたって、どうやって?」

「お前が蓄えていたエアルの一部を彼女が引き受けたのだ。根本的な解決にはならないが、一時凌ぎにはなるだろう」

「……そんな事して大丈夫なのか?」

「大丈夫ではない」

食い気味にデュークが答えた。
その言葉尻の強さから、彼の怒りを感じ取ったアルノルドは萎縮する。

「……が、クロームが自らの意思で行った事を非難するつもりも無い。もし今後また同じような無理を彼女にさせるつもりなら、話は別だが」

「別に俺が頼んだ訳じゃ無いんだけどな……。とは言え、助かった。どうして助けてくれたのかは知らないけど、有難う。――で、これはどこに向かってるんだ?」

「ザウデ不落宮。古の満月の子らが命を賭して完成させた、究極の魔導器だ」

進行方向に見えたのは、海に聳え立つ巨大な建造物。
ヘラクレスよりも遥かに大きいそれは魔導器には見えないが、確かに頂上には魔核のようなものが取り付けられている。

「お前の探し人……現代の満月の子はあそこに居る。その仲間達も」

「! エステリーゼ様が……!? 無事なのか!?」

「……己の目で確かめるといい」

クロームはザウデ不落宮の近くまで来ると、その天辺まで上昇した。アルノルドはそこから眼下に目を凝らす。

確かに、そこにはエステリーゼの姿があった。傍にはユーリ達と、レイヴンの姿も見える。

緊張の糸が切れてとてつもない疲労感に襲われたアルノルドは、長い長い溜息を吐きながらも顔を綻ばせた。

「良かった……本当に……」

「だが危機はまだ去っていない。あの魔導器が使われれば、あの娘一人の比ではない災いが齎される」

「……あの魔導器は何なんだ? 兵器か?」

「いや。だが、あの男もそう思い込んでいるのかもしれんな」

デュークの視線の先にはアレクセイが居た。
既に交戦した後なのか、剣を支えにして何とか立っている様子の彼は、モニターに映る制御盤に指を滑らせている。

次の瞬間、彼らの頭上にあった魔核から光が立ち上った。その光はアルノルド達の居る地点も通過して、雲の向こうに消える。

デュークらと共にそれを目で追ったアルノルドは、黒く禍々しい何かが現れるのを見た。

「な……なんだ、あれ……」

「星喰みだ。……やはり、こうなるのか」

今回は違う結果になるのではないかと、少しは期待していたデュークは、失望して目を伏せた。
そして、星喰みに視線が釘付けになっているアルノルドに告げる。

「仲間の元へ帰るのならば好きにしろ。このまま私と共に来ると言うのならば、それもいいが」

「……あんたは一体何なんだ? エステリーゼ様達の敵か?」

「私が敵かどうかを決めるのはお前達だ。道を違えるのならば自ずと敵になる。逆も同じだ」

「あんたの行く道っていうのはどんな道なんだ」

「この世界を守る、それが私の選んだ道だ。人であれ魔導器であれ、それを脅かすものは捨て置けん」

「……それが悪意の無い優しいお姫様であってもか?」

デュークは答えなかった。
それを肯定と見做して、アルノルドは立ち上がる。

「そういう事なら、俺はあんたとは行けないよ」

「……そうか。ならば、お前を助けるのはこれが最後だ」

まるで何度も助けた事があるような口振りだなと思いながら、アルノルドは降りても問題がない高度まで下がってくれたクロームに礼を言って、ザウデ不落宮へと飛び移った。

今にも崩れ落ちそうな魔核。その下にはユーリと、今しがた彼に斬られたアレクセイが居る。


エステリーゼやシュヴァーンを苦しめた男。
親衛隊を歪め、数多の人を危険に晒した男。


アルノルドは彼と決別する為に剣を握った。その命を奪う覚悟を決めて駆け出す。

だが、その瞳から涙が流れるのを見て躊躇いが生じた。
怒りや憎しみが急速に萎んでいく。迷いなく進んでいた足が勢いを無くしていく。


本当にこれでいいのか?
彼を悪として殺してしまっていいのか?


アレクセイはアルノルドを見た。
その視線にいつもの覇気は無い。騎士団長ではなく、ただ疲れ果てた壮年の男がそこに居るだけだった。

この人は、こんな風だっただろうか。
もっと恐ろしくて、頼もしい人だった筈なのに。今のアルノルドの目には、彼が自分とそう変わらない、ただの一人の人間に映った。

ただの人間。それが騎士団を率いてきたのか。
自分よりずっと長い間、自分よりずっと多くの困難を乗り越えて。こんな所までたった一人で。


独りで。


アルノルドの手から剣が滑り落ちるのと同時に、魔核が音を立てて崩れ落ちる。
逃げてくるユーリとすれ違って、立ち止まりかけていたアルノルドは再び走り出した。

こんな時になって、アレクセイと初めて出逢った時の記憶が蘇ってくる。
ずっと長いこと忘れていたのに、どうして今になって思い出すのだろう。

彼は仲間だった。少なくとも最初はそうだった。
憎むようになったのはいつからだっただろう。
関係が変わってしまったのはいつからだっただろう。

アルノルドは手を伸ばした。
アレクセイは驚いたように僅かに目を大きくして、それから笑った。

アルノルドの手が彼に届くよりも先に、アレクセイはその体を軽く突き飛ばして遠ざける。

「……すまなかった。どうか私の、彼らの夢を――――」


その言葉を、最後まで聞くことは叶わなかった。


それでもアルノルドには、聞こえる筈のないその言葉の続きがハッキリと聞こえていた。


「――――ッ、アレクセイ団長!!」

魔核が落下した衝撃による揺れと風圧で、アルノルドの体は地面に倒される。

砂埃に噎せ返りながら、アルノルドはすぐに立ち上がって魔核に両手をついた。足に力を込めて動かそうとしても、巨大な魔核はビクともしない。

何度も何度もそれを繰り返して、やがて力尽きたアルノルドはその場に頽れた。


自分は何をしているんだろう。今まで何をしていたんだろう。


騎士団を離れて、ユーリ達と旅をして、こんな風にアレクセイを死なせることが自分の役目だったのか?

違う。俺がしなければならなかった事は、亡き友の代わりにアレクセイを支え、彼と共に理想の騎士団を目指す事だった筈だ。

なのに俺は、我が身可愛さに勝手に一人で全てを諦めて逃げた。アレクセイを騎士団に一人残して。

真の帝国騎士団を作るという輝かしい夢を犠牲にして、アレクセイという代わりの効かない一人の男を死なせてまで、俺がやった事はただの現実逃避だ。

間違っていた――そう確信した瞬間、途方もない後悔が押し寄せてくる。
だがどれだけ後悔したところで、たった今目の前でこの魔核に押し潰されてアレクセイが死んだ事も、彼が最後まで失意の中に居たことも、もう変えられない。

不意に視界が揺れた。遅れて、肩を掴まれている感覚に気付く。
いつの間にか、隣にはレイヴンが居た。

「…………レイヴンさん?」

「おう、レイヴンさんよ」

会いたかった気がするのに、沢山話したいことがあった気がするのに、今は何も感じない。何も浮かんでこない。

視線が勝手に魔核の方を向いた。
その下に居る人から意識が逸らせない。

「……ごめんなさい…………」

遅すぎる。もう何もかも。
アルノルドは縋るように魔核に額を寄せた。

レイヴンが何か言っている。
視界がそれを捉えても、耳が音を拾っても、その内容が頭の中に入ってこない。

代わりに、アレクセイの最期の言葉が、脳内で繰り返し再生される。
夢。彼らの夢。自分の役目。

アルノルドは魔核から離れて歩き出した。
レイヴンに連れられて向かった先にはエステリーゼ達が並んでいる。

結局、エステリーゼを護るという、たった一つのそれらしい使命すら、自分には果たせなかった。
彼女を護り、救ったのはユーリ達だ。自分は何もしていない。

地上に戻ると、騎士と評議会員達を連れてヨーデルがやって来た。
何を言われるだろう。何を言われたとしても、それに従おう。アルノルドは判決を待つ罪人のような気持ちで彼の言葉を待った。

「無事で何よりです。貴方も色々と疲れているでしょうから、ゆっくりと休んで……と言いたいところなのですが、今回の騒動と星喰みの出現によって、民衆の間に不安が広がっています。フレンが不在の今、騎士団を纏め、世の安寧を守れるのは貴方しか居ません。どうか手を貸して頂けませんか?」


なんだ、罰を与えて貰えるんじゃないのか。


アルノルドはそう思ったが、ヨーデルの頼みは願ってもいない話だった。

「勿論です。私に出来ることがあれば何なりと」

「助かります。では、早速帝都で会議を開きましょう。招集と段取りは私がしておきますので、貴方は皆が揃うまでの間、残った騎士達と帝都や周辺地域の安全確認をお願い出来ますか?」

「承知いたしました」

意識せずとも、アルノルドの口は相応しい答えを返し、顔は相応しい表情を形作った。故にヨーデルは、彼の異変に気付かない。

良かった。これで、アレクセイの遺言を守れる。
アルノルドはヨーデルと共にその場を立ち去ろうとした。が、レイヴンがそれを阻む。

「ちょちょちょ、待った待った。おかしいでしょ、急にどうしたのよ」

「何がですか?」

「何って、さっきまで抜け殻みたいになってたのに……それに、こっちは色々と話したいことが……」

話したいこと。先程よりは動くようになった頭で、アルノルドは考えた。

ああそうだ、この人に会ったら、真っ先に謝ろうと思っていたんだった。
ミョルゾで見たレイヴンの表情を、彼の叫びを思い出しながら、アルノルドは頭を下げる。

「申し訳ありませんでした。貴方の気持ちも考えずに、これまでずっと貴方を苦しめて……」

「え? な、何の話?」

「ミョルゾで仰っていた事です」

「ああそれ……って、あれは違うのよ。あれは俺のただの逆恨みで……それより、俺の方が色々と謝らないといけない事が……」

「その必要はありません。ただ、エステリーゼ様にだけは……出来れば、謝罪と説明をお願いします。私が頼むような事ではありませんが……酷く心を痛めていらっしゃったので」

「そっちはもう大丈夫。ケジメ……って言っていいのかはわからないけど、本人とちゃんと話はしたから。心配しないで」

「そうですか、良かった。では、私はこれで」

「いやだから、俺はアルちゃんともちゃんと話を――――」


やめてくれ。


何を、なのかは分からなかったが、アルノルドは自分の心がそう言っているのを聞いた。
その想いが届いたのかは知らないが、レイヴンの声はそこで止まる。

「俺は帝国騎士団親衛隊隊長、アルノルド・ブランディーノです。残された者の責務を、その務めを果たします」

もう二度と間違えない。自分のすべきことを見失わない。

それは決意表明であり、退路を塞ぐ為の宣誓。
レイヴン達の元へはもう戻らないという意味を含んだ言葉だったのだが。

「……………………」

アルノルドは、自分の腕を強く掴むレイヴンの手を見詰めた。
視線を上に動かせば、いつになく真剣な顔をした相手と視線が重なる。


行くな


レイヴンは何も言わなかったが、彼の目はそう言っているように見えた。

(……まるでエステリーゼ様みたいだな)


相手に誠実であろうとする者の目。
自分よりも相手を思いやる者の目。


軽薄なレイヴンとも、冷徹なシュヴァーンとも違う。これが本来の彼の姿なのだろう。

彼は自分を偽る事を辞めたのだ。自分を守る殻を捨てて、痛みを受け入れる事を選んだ。
それがケジメによるものなのか、他の理由があるのかは定かではないが、その決断が彼を良い方向へと導いている事だけは、今の彼を見れば分かる。

もう彼と自分を混同しようとは思わないが、それでも、アルノルドは我が事のように嬉しかった。
彼がそんな風に変われた事も、変わろうと思えるだけのものを見つけられた事も。

アルノルドは腕を掴むレイヴンの手を解いた。
以前エゴソーの森で、彼は「住む世界が違う」と言っていたが、今ならばその感覚が分かる。

「……その優しさは、貴方の大切な人に向けてあげて下さい」


こんな、ただ貴方を傷付ける事しか出来ないような男に、その優しさは勿体無い。それを受け取る資格も無い。


アルノルドは踵を返した。その足取りに迷いは無かった。
冷え切った心に一瞬だけ灯った温かな光は、船で待機していた騎士達と合流する頃には消えていた。
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