12.音速十光年
「レイヴン! フレンはどうなりましたか? ヨーデルは何て?」他のメンバーと共に、ユーリを探してフィエルティア号でザウデ不落宮の周辺を見て回っていたエステリーゼは、成果を上げられないまま停泊所に戻ってきた。
海面に死体が浮かんでいないだけまだマシだが、海底に沈んでしまっているのなら自分達だけで見つけるのは難しい。だから騎士団に協力を仰げないだろうかと早口で伝えるエステリーゼを、レイヴンが宥める。
「フレンちゃんは大丈夫よ。ユーリの捜索隊も出してくれるってさ。殿下は今後の方針決める為に帝都に帰ったよ」
「そうですか……。……あれ? アルは一緒じゃないんです?」
何も知らないエステリーゼは、キョロキョロと周囲を見渡しながら言った。
レイヴンは役に立たなかった掌を握り締める。
「アルちゃんは騎士団に戻るってさ。ほら、アレクセイがああなって、フレンも今は動けないから、人手が足りてないみたいで……」
「えっ? でも……」
自分や皆に何も言わずに?
エステリーゼは違和感を抱いた。確かに理には適っているが、最後に別れた時の状況や彼の性格を考えれば、帰る前に会いに来るぐらいはしそうなものだが。
まあ、無事だったのなら今はそれでいいか。落ち着いてから改めて会いに行けばいい。エステリーゼは自分にそう言い聞かせた。
「私はもう少しユーリを探してみます。レイヴンはどうします?」
「…………」
「……レイヴン?」
拳を見詰めたまま静止しているレイヴンをエステリーゼが覗き込み、ギョッとする。
「レイヴン!? どうしたんです!?」
「……へ?」
何が? そっちこそどうしたと問おうとしたレイヴンは、視界がぼやけている事に気付いた。
エステリーゼは懐からハンカチーフを取り出して、レイヴンの目元を拭う。その動作で、レイヴンは自分が泣いていることに気付いた。
先の戦いで怪我でもしていたのかと、生命力を削って治癒術を使おうとするエステリーゼを慌てて止める。
「ごめんごめん、大丈夫よ。これはそういうんじゃなくて……多分、貰い泣きみたいなもんだから」
「? それって……?」
よく分からない、といった顔をするエステリーゼに、言葉で説明出来ないレイヴンは苦笑を返すしか無かった。
アルノルドのあの態度がただの虚勢なら。
掴んだ手を、解くのではなく振り払っていたら。
自分に怒りや憎しみを向けてくれていたら。
自分が傷付くのは構わない。どれだけ痛くても、拒絶されても、耐え凌ぐつもりでいた。
でも彼は自分を恨んでいない。ほんの少しも。
つまりもう、彼に対する償いも、報恩も、必要が無いということ。
もう終わった≠フだ。
レイヴンだろうがシュヴァーンだろうが、彼に関わる一切の理由が消えてなくなってしまった。
拒絶された訳では無い。けれど、殆どそれと同じことだった。
(……大切な人に、かぁ。俺は、お前のこともそう思ってたよ)
でも、真実彼のことを大切に出来た事は一度も無かったかもしれない。
自分のこと、ドンやハリーのこと、キャナリ小隊のこと、アレクセイのこと、ユーリ達のこと、ルブラン達のこと。
そういったものを優先して、彼のことをずっとずっと後回しにしてきた。
だから手遅れになった。自業自得だ。
悲しいのは拒絶された事ではない。
彼が「自分はレイヴンにとって大切な存在ではない」と結論付けてしまった事が。
後回しにされることを受け入れてしまった事が。
己の苦しみや存在がその程度のものだと判断してしまった事が。
そして、そうしなければならない状況に追い詰められて尚、エステリーゼや自分を大事に思ってくれていたのだろう事が。
それに応えることも、何を返すことも出来ずに終わってしまった事が、どうしようもなく悲しい。
(泣きたいのは俺じゃない。俺じゃないのに……)
そう思っていても、レイヴンは瞳から溢れる涙を止めることが出来なかった。
その後、ユーリとアルノルドを欠いた凜々の明星の一行は、それぞれのやるべき事の為に各地へ散らばって行った。
ユーリの捜索は結局空振りに終わった。
怪我が治り復活したフレンも加え、皆はザウデ不落宮周辺を何日もかけて念入りに調べたが、生死も行方も分かることは無かった。
世界の危機を前にいつまでもそうしている訳にもいかず、ジュディスとリタとパティはザウデ不落宮の調査に。カロルとレイヴンはギルドへの報告と様子を見にダングレストに。エステリーゼは今回の騒動で怪我をした人達の救援にと、騎士団へ戻るフレンと共に帝都へ向かった。
そして、星喰みの出現から一週間。
「アルノルド隊長! ユーリが見つかったそうです!」
騎士団本部であるザーフィアス城内の食堂で昼食を摂っていたアルノルドは、忙しなく駆け込んできたフレンに目を瞬かせた。
ああ、そう言えばユーリ君は行方不明のままだったか。
フレンの嬉しそうな顔を見るに、死体が挙がった訳では無いのだろう。冷静にそう分析しながら、アルノルドは答える。
「どこに居たんだ?」
「見つかったのは下町だそうです。丁度そこで住民の治療に当たっていたエステリーゼ様が昨晩見つけたそうで、今朝報告に来て下さいました」
「そうか……無事で良かったな。お前も気が気じゃ無かっただろ、仕事の合間に何度も何度も船を出してたし」
「す、すみません。今は仕事に専念すべき時だと分かってはいたのですが……」
「別に謝らなくていいさ、仕事ほったらかして行ってた訳でも無いし。そもそも、今の俺にはお前を罰する権限なんて無いしな。そうだろ? フレン騎士団長殿」
新しくなった敬称を付けて呼ぶアルノルドに、フレンは表情を曇らせた。
彼の団長就任――任命式が済んでいないので、正式には未だ仮ではあるが――は既に騎士達には受け入れられているが、本人は未だに納得していないらしい。
「ヨーデル殿下の決定がそんなに不満か?」
「いえ、殿下にそれだけ信頼を置いて頂けている事は身に余る光栄です。ですが……今回の件で讃えられるべきは私ではありません」
「気持ちは分かるけど、だからってユーリ君を騎士団長に据える訳にはいかないだろ? 評議会の皆さんは抱き込もうとしてるみたいだけどな」
「ならせめて貴方であるべきです。今回の件で真っ先に真実に至り、騎士として正しい行いを皆に示したのは貴方でしょう。私はそれに加勢したに過ぎません」
「じゃあお前は俺が居なかったら何もしなかったって言うのか? 馬鹿言え。大体、団長就任が今回の件の報奨だなんて誰が言った? これまでの働き全部含めて、今居る騎士達の中で一番団長の座に相応しいのがお前だと思ったからこそ、殿下はお前をご指名なさったんだろ」
「しかし……」
「まあ、単にお前がその重責に耐えられないって言うんなら、俺が代わってやってもいいけど」
フレンは頭を振った。アルノルドも、彼がそういった理由で逃げ出すようなことはしないと分かっている。
「何にせよ今の騎士団には、先頭に立って皆を引っ張っていく奴が必要なんだよ。だから相応しいかどうかなんてそこまで悩まなくていいさ。他の皆がやりたがらない仕事を引き受けてやってるとでも思えばいい。――それと、騎士団長になったからって、全部一人でやろうとするなよ。させるつもりも無いけど」
「アルノルド隊長……」
フレンは言われたことを咀嚼して飲み込んだ。
迷いが完全に晴れた訳では無いが、幾分マシな面持ちで頷く。
「わかりました、今は自分に出来ることをやってみます」
「ああ、頑張れよ。それより、ユーリ君とは会ったのか? 話してきたらどうだ」
「いえ、無事は確認出来ましたから。今はそれより、捜索に割いていた時間を取り戻さないと」
取り戻すも何も、休憩時間を返上していただけなのだから、仕事には全く影響していないのだが。
相変わらず真面目だなあと苦笑しながら、足早に去っていくフレンにアルノルドはヒラヒラと手を振った。
自分も負けてはいられないなと、食べかけのマーボーカレーを手早く胃に流し込み、空になった食器をカウンターに居る女性騎士に手渡す。
「ご馳走様でした」
「はーい。あ! 今日のカレーどうだった?」
「? どう、とは?」
「隠し味を変えてみたの! 最近色々大変だったから、美味しい食事で少しでも皆を癒せないかと思って、色々試してるんだ」
それは素晴らしいとアルノルドはその試みを賞賛しつつ、しかし申し訳なさそうに謝る。
「ごめん、急いで食べたから、味に関してはちょっと……」
「え〜!? そりゃないよ〜、ご飯くらいゆっくり食べなよ〜、休憩も大事だよ?」
「そうだな、次はちゃんと味わって食べるようにするよ」
アルノルドはそう言って頭を下げながら、そそくさと食堂を後にした。相手はめげずに他の騎士にも感想を仰いでいる。
(……味、よく分からなかったな)
後半急いで食べたのは嘘ではないが、そのせいで味がわからなかったというのは嘘だ。本当は、最初から分かっていなかった。
味が薄いだとか、味覚がおかしくなっているだとか、多分そういうことでは無い。舌に刺激は感じるし、不味くて食べられない事も無い。
ただ、今自分が食べているものがどんな味なのかを上手く認識出来ていない。
味がぼやけている、と言うと誤解されそうだが、そうとしか表現出来なかった。
食事以外にも、例えば先程のユーリの話にも言えることだが、思考がハッキリしない。
仕事に関する事は覚えていられるのに、それ以外の事はすぐに記憶から飛んでしまう。
(……まあ、いいか。別に支障は無いし)
とは言え、先程の女性には悪いことをした。
今度何か差し入れでも持っていこうかと考えながらアルノルドは仕事に戻り、一日が終わる頃にはそれを考えていた事すらも忘れていた。