12.音速十光年
一瞬、レイヴンは自分が十年前にタイムスリップしたのかと錯覚した。夜に昇る太陽。
銅鑼を叩いたような轟音。
静寂に包まれていたテムザ山は、あっという間に火の海と化した。
それを間近で見ていたレイヴン達は、口々にアルノルドの名を叫ぶ。
集まっていた眷属達は、その殆どが跡形もなく消し飛んでいた。残っていたものも炎に焼かれて灰になっていく。
「あ、ちょっと!? 待ちなさいよ! 先に火を消してからじゃないとアンタまで……!」
リタの制止を聞かず、レイヴンは炎の中へと突っ込んで行った。
熱い。熱気と煙で呼吸もままならない。視界が赤と黒に染まっていく。
それに誘発されて、嫌な記憶が蘇った。
燃え盛る炎。
耐え難い熱。
彼女と自分の死。
諦めてしまいそうになる己を鼓舞しながら、レイヴンは必死でアルノルドの姿を探した。
(……! 見つけた……!)
炎の中に蹲る人の影を見つけて、レイヴンは恐る恐るそれに近付いていく。
死んでいる可能性の方が高い。それを確認するのが怖かった。
それでも、一縷の望みに賭けて、レイヴンはその人影の近くに跪く。
近くで見ると酷い有様だった。
服は焼け焦げてボロボロになっており、肌は火傷であちこち爛れ、髪は流れる血で固まってしまっている。鎧の一部は溶け落ち、辺りに鈍色の水溜まりを作っていた。
爆発の規模を考えれば、人の形を留めているだけでも奇跡だが。
レイヴンはぐったりとしているその身体を抱き起こす。そうしてやっと、相手が浅い呼吸をしていることに気付いた。
「おい、しっかりしろ!」
「……………………」
「助けに来た、もう大丈夫だ。だから、もう少しだけ頑張ってくれ」
閉じていたアルノルドの瞼が薄らと開いた。
焦点の定まらない目でレイヴンの方を見る。
「……め……なさ……」
血の滲む唇から掠れた声が漏れた。
ザウデ不落宮で同じ台詞を聞いた時には分からなかったのに、今回は不思議なほどすんなりと彼の心境が理解出来た。
守れなかった。
自分一人だけが生き残った。
孤独と後悔と絶望。自分もそれを知っている。
レイヴンはアルノルドの身体を抱き締めた。
かつて此処に打ち捨てられていた自分が重なって見える。
「……もういい。もう、いいんだ」
十年。彼はずっとこの炎の中に居たのだろう。
親しき人が焼かれていくのを見ながら、抜け出すことの出来ない地獄で、ずっとこの熱さに耐えてきたのだろう。
こんなに近くに居たのに、辿り着くのに十年もかかった。
でも、やっと見つけた。
レイヴンは弓を構えて、空に向けて矢を放った。仲間達がそれを見つける。
「エステル! あそこ!」
「はい! ウンディーネ!」
エステルの中から現れたウンディーネが、焼けた大地に滝のような雨を降らせる。
アルノルドとレイヴンを取り囲んでいた炎は、それによって鎮火していった。
誰かが呼んでいる。
炎の中で、アルノルドは自分の名を呼ぶ声を聞いた気がした。
飽きるほど見た光景の中に人の姿が見える。
何かが肌に触れる。抱き締められる感覚がする。
そんな訳が無い。全部きっと幻だ。
そう判断して目を閉じた瞬間、上から大量の水が降ってきた。
遠のいていた意識が見る間に戻ってくる。
虚空を彷徨っていた視線が、しっかりとレイヴンを捉えた。
――レイヴン。いや、シュヴァーンか?
髪が解けているせいで、今の彼がどちらなのか判別出来ない。
あちこち煤だらけになっているその人は、ぽたぽたと雫を滴らせながら言う。
「俺は、天を射る矢の幹部で、ユーリ達の仲間のレイヴン」
ああ、レイヴンの方か。
アルノルドは思ったが、相手は続ける。
「そして、帝国騎士団隊長首席のシュヴァーン・オルトレイン」
え、どっちだ?
アルノルドは目で問うた。
相手は更に続ける。
「……そして、帝国騎士団キャナリ小隊、副隊長のダミュロン・アトマイス」
ダミュロン。
知らない名だった。
アルノルドは今目の前に居るのがレイヴンでもシュヴァーンでも無い、或いはそのどちらでもある事を悟った。
ダミュロン。それが彼≠フ名前。自分の知らなかった本当の彼の名前。
炎の中で呼び続けた、待ち続けた誰か≠フ名前。
アルノルドは胸の内でその名を何度も何度も復唱した。
ダミュロンはアルノルドの肩に顔を埋める。
「遅くなってごめん。……十年もずっと、生きていてくれて有難う」
――――十年。
歩いてきた日々が、見てきた光景が、走馬灯のように流れた。
出会い。
別れ。
出会い。
別れ。
悪夢のように何度も何度も繰り返されてきたそれが、今この瞬間で止まる。
アルノルドはレイヴンを抱き締め返した。
痛い。でも、それ以上に胸が熱くなって、閉じた瞳から涙が零れる。
待っていた。ずっと。
炎の中で生きている自分以外の誰かを。
悲しいからなのか、嬉しいからなのか、何の涙なのかはよく分からなかった。
けれど長い間ずっとそれを我慢していたような気がして、アルノルドはただ静かに泣き続けた。