06.熱に魘され五里霧中

湖の淵に座り、小さな筒にその澄みきった水を汲む。カロルはそれを大事そうにカバンに積めた。

「水も汲んだし、準備OKだね」

「ですね」

「やだよぉ、はなしてよぉ!」

微笑み合うエステリーゼ達とは裏腹な子供の叫び声が聞こえて、いの一番に駆け出したのはユーリだった。
湖からそう離れてはいなかったので、声の出所はすぐに分かった。

「外出禁止令を破る悪い子は、執政官様に叱っていただかないとな」

「いやだ、ぼくたち、お父さんとお母さんを探しに行くんだよ……!」

小さな子供が二人、騎士に捕えられていた。
それがキュモール隊だと知っているのはアルノルドだけだったが、ユーリはすかさず二人の間に割って入る。

「執政官様とやらの代わりに俺が叱っといてやるよ」

「よそ者は口出しするな」

「許してあげてください。私が直接、この子たちに代わって執政官に頭を下げます」

前に出たエステリーゼを見て、更に言い返そうとした騎士がその正体に気付いた。

「おや……もしや、この方……、失礼しました……!!」

騎士達は慌てて姿を消し、アルノルドは相変わらず立場を理解してくれていない様子のエステリーゼに溜息を吐く。

「もしかして……まずかったでしょうか?」

「結果オーライだな」

「ありがとうお兄ちゃん、お姉ちゃん」

2人はそれぞれアルフ、ライラと名乗った。
事情を聞くと、両親が馬車に乗せられて砂漠に連れていかたらしい。キュモールの仕業だろうとアルノルドは直ぐに理解する。

「フェローのチョーサするんだって」

「フェローって……!」

「ああ……」

「でも、フェローの調査って何をする気よ?」

「それに街の人を利用してってことだよね? ひどくない?」

カロルの言葉に適当に相槌をうちながら、この流れだと結局助けにいくことになって砂漠に停滞する時間が伸びるなぁとアルノルドはがっかりした。
寄り道をしたくないがために応援を呼んだのにこれではあまり意味がない。

それに馬車でというのなら、連れていかれたのはこの二人の親だけではない筈だ。
もしエステリーゼがそれに気づいて皆を探そうだなんて言い出したらそれこそかなりの時間を浪費――――

「……おーい、アルちゃん?」

「はい?」

「さっきからどーしたのよ? 上の空だけど」

レイヴンの手が眼前で上下に振られて、アルノルドは一旦意識を現実に戻した。
暑さで思考が飛んでましたと適当なことを返して、今は目先のことだけを考えておくことにする。

話はやはり両親を助ける方向で決まったらしい。
いつもと違った点と言えば、話を引き受けたのがエステリーゼではなくジュディスだったところか。子供たちはお礼にとジュディスに何かを手渡す。

それはただのガラス玉だったが、ジュディスはそれを素敵な宝石≠ニ称して懐にしまった。

「……にしても、帝国がフェローの調査、か」

子供たちと別れ、街の出口に差し掛かったところでユーリが一人言のように呟く。

「どうしたんです? ユーリ」

「いや、ここの執政官は何を企んでるんだろうってな。フェローを探したりしてさ。ま、帝国としては姫様を狙う化け物は排除したいだろうけどな」

「でもあいつら、エステルが狙われてることも気づいてないんじゃない?」

「じゃあ何のためよ」

「あたしが知るわけないでしょ」

拉致のあかない討論を繰り広げる皆の傍らで、アルノルドは道の先に広がる黄砂の山々を見た。
これからここを行くのかと考えると、過ごしにくいと感じていた街を出ることすら惜しかった。






「……影一つない、ですね」

砂漠に入って数十分。あたりの光景の感想を一言で表したのはエステリーゼだった。

踏み込めば足首までが砂に沈み、通ってきた道には足跡すら残らない。風が吹く度に砂埃が舞い、空気が熱に焼かれ景色が歪む。吸い込む酸素は肺を焼くようで呼吸も充分には出来ない。

「この暑さ、想像以上だね……」

「準備なしで放り出されたらたまんねえな」

「あのおっさんは準備なしでも平気そうよ」

皆一様に活力が無いのに対し、ただ1人レイヴンだけが元気だった。
砂漠の中をどんどん進んで、身軽に宙返りを披露する余裕っぷりだ。

「おっさん……暑くないのか?」

「いや暑いぞ、めちゃ暑い、まったく暑いぞ!」

「うっとうしい……」

リタの返しにも覇気がなく、小柄な体を亀のごとくゆっくりと前へ動かしている。

「でもあの子たちの両親は、何も準備してないのよね」

「フェローも探さなきゃ、だけど……」

「ええ……アルフとライラからの依頼を先、にしていいかしら?」

誰も反対する者は居なかった。
いつもなら無言のうちに嫌だという顔をするアルノルドも、今は静かだった。というか、彼には既に反対する力も無かった。

この地獄から早く出たい、彼の脳内を埋め尽くしているのはそれだけだった。

体力が持たないだのという問題ではなく、ただ単に彼は暑さが苦手だった。
仕事中ということもあって弱音を吐くことはしなかったが、口数は数えるほどもなく、エステリーゼへの気遣いも何時もより見られなかった。

その異変ともいえる彼の状態に気付いたエステリーゼは水筒を寄越したが、もとより飲む気のなかったアルノルドはゆるゆると手を振る。

「貴重な水を早々に減らす訳には……」

「また途中で補給出来ますから大丈夫です」

「おいおい、倒れても面倒見切れねーぞ。
飲んどけって」

仕方なくアルノルドは水筒を受け取り口に運んだ。
だが返ってきた水筒の中身がほとんど変化していないのを見て、カロルが再び水筒を渡す。

「全然飲んでないじゃん!」

「頑固な人ね」

仕方ないだろう、自分が飲むくらいならエステリーゼに飲ませたほうがいい。補給出来るといってもサボテンはまだ見えないし、それまでに水が底をついては一貫の終わりだ。

もし本当に倒れそうなら言うからと何故かたらい回しになっている水筒をカロルに押し付けると、それをレイヴンが横から奪い……

「え」

「あら」

「あ〜〜っ!?」

蓋の開いたそれを、アルノルドの頭の上で逆さまにした。

勿論中に入っていた流動物は重力に従って青年の頭に降り注ぐ。
水浸しになったアルノルドは何が起こったのかもわからず、前髪から落ちる滴が地面を固めていくのを見た。

「ああああんた、ななななにやってんのよ!?」

「どうよ、楽になった?」

「これは流石に、ちょっと……」

「おっさん、冗談キツいぜ……」

「貴重な水があぁああ〜!!」

さっきまで静かだった空間にリタの悲鳴が響く。
皆水を欲していたのは同じで、それが全て団服や砂に吸い込まれるのを見て一気に気落ちした。

そして唯一その水の恩恵を受けたアルノルドは、レイヴンが「あんまり入ってなかったみたいねー」と空になった水筒をカロルに返しているのを見て青ざめた。

「な……にを、してるんですか……!」

「しょーがないじゃない、アルちゃんがなかなか水飲まないもんだから」

「だからって何も、全部ぶっかけなくても……! それ以前に俺なんかに……エステリーゼ様が……」

語順を上手く並べることも出来ず、暑さの代わりに不安要素が一気に脳を占める。
髪を伝う水が目蓋に落ちて、情けない表情と相まって泣いているようにも見えた。現に本人は泣きたい気持ちに駆られていたのだが。

レイヴンはそんな相手の反応を新鮮に感じながら、大丈夫だってと前を指差した。

「ほれ、あっちのほうにサボテンが見えるでしょ。こんだけの距離なら水はいらないって」

見えない。必死に目を凝らしてレイヴンの示す先を見るが、そこにあるのは砂の山だけ。

適当に言ってるだけじゃないのかと訝ったが、進んでいくとそれが真だったことに気付かされて、皆は、特にアルノルドは胸を撫で下ろした。
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