07.取捨選択の定義
「どうしました?」部屋のドアを閉めると、いつもより真剣な面持ちのエステリーゼが顔を上げる。
「アルとちゃんと、お話がしたくて。旅が始まってから、あまりこうしてゆっくり話せる時間もありませんでしたから」
一体何を切り出されるのかと一抹の不安を感じながら、アルノルドはとりあえず彼女の対面に座る。
こんな時でも席に座るエステリーゼの姿勢は全く崩れることはない。
「……アル、まず最初に、謝らせて下さい。色々とご迷惑をおかけして、本当に、申し訳ありません」
相手の姿勢につられて背筋を伸ばしていたアルノルドは、そうして突然頭を下げられて動転した。慌てて頭を上げるように頼む。
「おやめ下さいエステリーゼ様! どうなさったんですか急に……」
「その怪我も、元を返せば私の責任です。私が帝都を飛び出したりしなければ、貴方はそんなことにはならなかった」
節々の痣を悲痛な目で見つめて、エステリーゼが呟く。慈しむように、それらに触れた。
「城を出るまでの私は非力で、でも外に出てこれまで旅をしてきて……少しは変われたと思っていました。でも、それは私の思い上がりでした。無事に旅をしてこれたのは、アルやユーリ達が居てくれたから……。私のせいで周りに迷惑がかかっているのに、ずっと目を背けていたんです」
「そんなことは……、エステリーゼ様はいつも、私達のことを想って下さっていたではありませんか」
「でも、想うだけでは守れません。一人で生きていくのなら、私の力不足で苦しむのは私一人で済みます。けれど今の私は、一人では何も出来ない……、旅を続ける限り、皆に迷惑をかけてしまう」
まさか、城に戻るつもりなのか。
さっきの会話が聞こえていたのか? そんな考えが頭を過ぎる。
「だから、決めたんです。旅を続けるのであれば、それなりの覚悟をしようって」
しかしその考えはすぐに消え去った。
やっぱり帰る気はないんですねと落胆する一方で、アルノルドは自分がどこか安心していることに気づく。
安心? どうして。
「どうやっても迷惑をかけてしまうのならば、私も誰かの助けになれればいい。守ってくれたのなら、その分私が、守れるようになればいい。出来ないことを出来ないままにしておくのは、もうやめようって」
彼女が自分を信頼してくれているのだということは明らかで、今すぐにでも連れていくことは出来るはずなのに。
頭の中で組みあがっていくいくつもの作戦は、何度もシュミレーションを重ねるだけで実行には移らない。
「それでアルに、お願いがあるんです。私に戦い方を教えていただけませんか?」
思考に没頭してうっかり聞き逃しそうになったその台詞を、アルノルドはなんとか拾うことに成功した。
「……え?」
「ですから、私に、剣の扱いや、身の護り方を教えていただきたいんです。アルが忙しい身なのは分かっています、時間がある時で構いませんし、お礼もちゃんと……」
「ちょ、ちょっと待って下さいエステリーゼ様」
あまりにも唐突で受け入れがたい申し出に軽い眩暈がした。
貴族の、それも行く行くは国を背負うことになるかもしれない上にまだ若い女性に剣術の指南? 模擬刀でも恐ろしい。
「貴方をお護りするのが俺の役目です。貴方が剣を極める必要はどこにも……」
「いいえ、いずれ国を背負うことになるのなら、我が身一つ護れないままになんてしておけません。たとえ稽古で傷がついても、アルには何の処罰も受けさせません。ですから、お願いします!」
何の罰も? そんなワケがない。
例えエステリーゼが許したとしても、上の人間が許さないだろう。アレクセイの静かに怒り狂う姿が目に浮かぶ。
「申し訳ありませんが、そのお話はお受けする訳には……」
「お願いします!」
再び頭を下げられ、しかし今度はなかなか頭を上げてくれないエステリーゼに、とりあえず口先だけでも「分かりましたから!」と答える。
帰らせなければならない筈なのに、話はどんどんおかしな方向へズレていく。
「あと、治癒術が効かないアルの為に私なりに対策を考えたんです! アップルグミとレモングミをまとめてすり潰して液状にしたミックスグミジュースといって、今度試作品を……」
何だその喉越しが悪そうな飲料は、絶対に飲みたくない。というか一杯分つくるのにいくらかかるんだそれは。
いつにもまして饒舌なエステリーゼにアルノルドは待ったをかけた。
「エステリーゼ様が俺なんかの為にそこまで気を回されなくても宜しいんですよ?」
「駄目です! アルは大切な仲間なんですから」
「仲間?」
「? 違うんです?」
「俺は貴方の護衛騎士ですよ」
「はい。護衛騎士で、仲間です」
いまいち会話が噛み合っていない気がするが、エステリーゼは納得できているのか、にこやかに笑っている。
アルノルドはその言葉に酷い違和感を感じたが、いつものように気分が悪くなることはなかった。
それはきっと、彼女の言葉だから。
「……エステリーゼ様は、俺を気味が悪いとは思わないんですか?」
「どうしてそんな風に思うって思うんです?」
「魔術が効かないなんて、普通じゃないじゃないですか」
自分で言っておいて、その台詞に苛立ちを覚える。握り込んだ指の爪が掌に食い込んだ。
「化け物だと言われてもおかしくは……」
「そんなこと言いません、思ってもいません!」
「……エステリーゼ様はお優しいですから」
「そうじゃないんです」
エステリーゼも同じように、自身の腕にかけている手に力を込める。
「普通じゃないのは、私も同じです。……ヘリオードで結界魔導器が暴走して、アル達が倒れた時に、リタが部屋で私に言っていたこと、覚えてます?」
「ええと……、エステリーゼ様の治癒術に関して、でしたか? すみません、あの時詳しく聞くことが出来なかったので、まだハッキリと理解してはいないんですが……」
エステリーゼは頷くと腕につけていた魔導器を外して、いきなり右手の甲を椅子に叩き付けた。
その奇行に目を白黒させている間に、僅かに赤く腫れているそこに左手を翳す。
すると魔導器を着けていないにも関わらず、治癒術は発動した。
その効果もいつもと何の違いもみられない、見事手の腫れは数秒で綺麗に無くなった。
その光景にアルノルドは言葉を無くす。
「……貴方はこれを見て、私を化け物だと思いますか?」
「いえ……流石に、驚きはしましたが……」
「だから、同じなんです。私も。私のこの力を貴方が恐れないように、私も貴方の力を恐れたりしません。どうか自分だけが違うことを、苦に思わないで下さい」
血がにじんでいた拳を両手ですくい上げ、目一杯握り締めるその細くて白い手に、アルノルドは指先に込めていた力を緩める。
エステリーゼの手がその指の一本一本を広げて、包み込むように挟んだ。
「貴方は1人じゃありません」
「……どうして、そこまで」
剣の柄ばかり握っていた己の冷たい手と真逆の温かいその手は、それぞれが持ち主の心を表しているようで。
自分の目線より低い位置にあるエステリーゼの笑顔は、何度見ても一点の陰りもなかった。
「仲間ですから」