08.風前の灯

成長したバウルの背に乗ってテムザ山を脱出し、そのまま海に停めていたフィエルティア号に運ばれる。
海路よりは空路の方が何かと都合が良いだろうと、一行を乗せた船ごと空へと持ち上げたバウルを皆が口々に褒め称える中、突然倒れてしまったジュディスに皆が仰天。

怪我でもしていたのかと慌てて駆け寄った一行は、すやすやと穏やかな寝息を立てている彼女を見てホッとする。

「成長の為に動けなかったバウルを寝ずに守ってたんだろう、魔狩りの剣がいつ襲ってくるかも分からなかっただろうしな」

「割と平然としてたけど、今までも無理してたのかもねぇ」

「バカなのよ、こいつも。不器用なんだから」

これまでと違ってどこか温かみのあるリタの口振りに微笑んでいると、気付いた相手に「あんたはいちいちニヤつくなっ!」と叱られてしまったので、アルノルドは鉄拳が飛んでくる前にジュディスを抱えて船室に逃げ込んだ。

本人が寝ていてはどうしようもないので、ジュディスの処遇をどうするかは後に回して、彼女が目を覚ますまで皆も適当に休憩を取る事にして、船の方々に散らばる。

「怪我の具合どう? まだ痛む?」

アルノルドはいつも暇を見つけてはそうしているように、患部に治療用の機械を当ててじっとしていると、機材を預かっているカロルが心配そうな顔で尋ねてきた。

「もう殆ど治ってるんじゃないかな。痛くはないし普通に動くから、余程無理しない限りは大丈夫だと思う」

「そっか……良かった」

「カロル君の方こそ、無理してないか?」

「え? ボク? なんで?」

「ほら、さっきの……魔狩りの剣との事とか」

今のカロルは凜々の明星のボス――ではなく、本人の希望で今はメンバーの一人ではあるが、魔狩りの剣から完全に抜けたという訳でも無かった筈だ。
そんな相手と度々衝突するのは心苦しいだろう、そんな意味を込めたアルノルドの問いに、カロルは苦笑する。

「本当は、仲良く出来たらいいのになって思ってるけど……、でも、今のボクは魔狩りの剣の皆のやり方には賛同出来ない。かといって、ナン達もそう簡単に魔物を見逃してはくれないから……今は仕方ないかなって」

「そもそも、なんで魔狩りの剣はああも魔物の討伐に固執してるんだ?」

「それは……」

どこか悲しそうな表情で言い淀むカロルに、ああ何かそれなりの事情があるんだろうと察したアルノルドは、「話す気になった時でいいよ」とその件の掘り下げを中断した。

「いつかちゃんと和解出来るといいな」

「うん。その為にも、まずは凜々の明星がやるべき事を果たさなくちゃ」

「と言うと?」

「今はジュディスの事……かな。魔狩りの剣に居た時はさ、掟は絶対だったし、ただそれに従ってるだけで良かったけど、今回はそうは行かないから。ちゃんと自分で考えて、皆が納得出来るような答えを見つけなくちゃ……」

真剣な面持ちで語るその姿に、アルノルドは目を細める。

「カロル君は凄いな。難題から目を逸らさずに答えを出そうとするのは、そう簡単な事じゃない」

「ユーリ達のおかげだよ。みんなと居ると、ボクも頑張らなくちゃって気持ちになれるんだ。これはまではずっと逃げてばっかりだったから……」

「逃げてばっかり、か」

何やらユーリと話し込んでいるエステリーゼを眺めながら、アルノルドはこれまでの己の身の振りを思い返していた。

「……でももし、逃げずに頑張って、それが報われなかったら?」

「それは……嫌になっちゃうかも。ボクもそうなるのが怖くて逃げてたんだ。でも、立ち向かう事で得られるものだってきっとある筈だから」

実際はどうかまだ分からないけどね!と照れ笑いするカロルに、アルノルドは笑みを返そうとして――出来なかった。
その様子に気付いたカロルがきょとんとする。

「どうしたの? やっぱり本当はまだ怪我が……」

「いや、違うんだ。ごめん」

こんな小さい子に気を遣わせてどうすると心中で己を叱責しつつ、いつもの様に適当にはぐらかそうとしたのだが、それも不適切なような気がして押し黙る。

カロルの言っている事に素直に賛同出来ない自分の弄れ具合に嫌気が差した。それでも、長年この生き方をしてきて染み付いた考えを曲げるのは難しい。

「……絶対大丈夫だって保証があればいいのにな」

結局、口から出たのは意図が不明瞭なそんな弱音だった。
情けないと思ったが、カロルは馬鹿にするでも軽蔑するでもなく同意してくれる。

「アルでもそんな風に思うことがあるの?」

「俺はカロル君が思うほど立派な大人じゃないからなあ」

「そんな事ないと思うけど……、でも、なんだかちょっと嬉しいかも」

「嬉しい?」

「アルはボクなんかとは全然違うんだって思ってたから。強くてカッコよくて何でも出来て、怖がったり不安になったりするような事も無いんだろうなって思ってたんだ」

「そうなれたら良いんだけどな、実際は全然」

「だとしたら、沢山頑張って今みたいになったって事でしょ? だったらボクも、いつかはアルみたいになれるのかなって」

純粋な憧れを感じる声色で言われて、アルノルドは吹き出してしまった。

「酷いよ! そりゃあ身長だってまだ全然低いけど、ボクだってそのうち……!」

「違う違う、そうじゃなくて」

俺みたいな大人になんて、絶対にならない方がいい。
その言葉は飲み込んで、続く言葉だけを口に出す。

「誰かみたいになろうとするんじゃなくて、カロル君はカロル君らしく在るのが一番だと思うよ。他の人には無いものが、君には十分あるんだから」

いきり立っていたカロルは、その言葉に目を瞬かせて、

「ボクはボクらしく……、そっか、わかった、ボク頑張るよ!」

と、喜色を滲ませて言うと、何やらご機嫌な様子で去っていった。
思ったことを言ったまでだが、どうやらお気に召したらしい。とりあえずは良かったと胸を撫で下ろしつつ、アルノルドの視線は再びエステリーゼの方を向く。

騎士団の意向に背いた今の自分に、もうエステリーゼを護る義務は無い。
けれど義務を抜きにしても、エステリーゼの事は護りたいと思う。彼女にとっての最善を、その望みを叶えてあげたいと。

ただ、実際にそれが果たせるのだろうか。

こと騎士団の仕事においては、アルノルドは長年騎士として勤めてきただけの自信があった。だが命令から外れた場合においてはそうでは無い。

カロルの抱く恐怖や不安が未知に対する物だとすれば、アルノルドのそれは過去の経験から来るものだった。
任務以外での成功体験が圧倒的に不足している彼にとって、自分の意思で何かを行い、それが良い結果に繋がると信じることが出来ない。

自分の選択は軽率では無かっただろうか、"また"後悔する事にはならないだろうか、アレクセイの言う通りにした方が良かったのではないか? いやでも、アレクセイのやり方に従い続ける事が正しいとも思えない。現にエステリーゼは仲間と共に居ることを望んでいるのだから。だからこれで良かった筈だ、けれどフェローに会って彼女が傷付いたり命を落とすような事になれば……

堂々巡りの思考にアルノルドは助けを求める意図でレイヴンの方を見たが、一人虚空を眺めて黄昏ているその姿に頭を振る。

(それじゃあの人に責任転嫁する事になるだけだ、カロル君を見習わないと……)

そう言えば、エステリーゼの事で頭がいっぱいになっていたが、レイヴンは大丈夫なのだろうか。

あまりにも平然としていたのですっかり忘れていたが、彼はつい先日ドンを喪ったばかりだ。
天を射る矢に居たのがシュヴァーンとしての任務なのか、はたまた違うのかは定かではないが、どちらにせよ二人が最期に交わしたあの言葉や表情からして、その関係が決して浅いものでは無いのだろう事ぐらいは分かる。

シュヴァーンが日頃どれだけ感情の起伏に乏しい人物なのだとしても、彼が親しい者の死に何も感じないとはアルノルドは思っていない。
ユーリや自分に気を遣わせぬようにと、ここに来る前に気持ちの整理を付けてきたのだと思えばそうも見えるが……

(どちらかと言えば、感情に蓋をしてるように見える、かな)

たかだか数年シュヴァーンの下に居ただけの自分に、レイヴンとして振る舞う彼の本心など見破れるはずも無いのだが、アルノルドは甲板に佇むその姿にどこか危うさのようなものを感じずには居られなかった。
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