09.愁雲、血涙の雨

「これ、一体どこに向かっているんでしょう?」

巡回する親衛隊兵士を蹴散らしながら広い要塞内を駆ける最中、窓から外を見たエステリーゼがポツリと呟いたのを聞いて、アルノルドが答える。

「帝都……の筈ですが、道が逸れている気はしますね」

そう言えば、アレクセイがこんな強引な手段を使ってまでエステリーゼを連れ戻したがる理由についても、未だにわからないままだ。

最初は単に保護が目的かとも思っていたのだが、こんな手荒な真似をするからには何か別の目的があるのだろう。なら、ヘラクレスが向かう先は帝都とは限らない。先程から断続的に響いている砲撃音も気になる。

(ユーリ君達にしては流石に来るのが早すぎるし……、となると始祖の隷長か?)

ヘラクレスほどの大きな魔導器、それに加えて今は満月の子であるエステリーゼまで乗っている。両方を忌み嫌う始祖の隷長が襲ってきていても不思議ではない。

(だとしたら、そっちに意識が向いてる間に何とか脱出したいんだけどな……、この高さじゃ窓から飛び降りる訳にもいかないし、出口を探すしかないな)

とは言え見つけられたとしても止まってくれない事には――と、そう思った直後、ヘラクレスは動きを止めた。
急な停止に伴う揺れでよろめいたエステリーゼを、アルノルドが抱きとめる。

「こ、故障でしょうか?」

「或いは目的地に到着したのかもしれませんが……何れにせよ好機です、今のうちに脱出しましょう」

「それは困るな」

突然場に乱入してきた男の声に、アルノルドの体が凍り付いた。

「迎えに行かせた兵の帰りがやけに遅いと思えば、こんな所まで逃げられていたか。私がお前に命じたのは姫の護衛と監視であって、散歩の付き添いでは無いぞ、アルノルド・ブランディーノ」

「アレクセイ……!」

何も言えなくなっているアルノルドに代わって、エステリーゼがその男の名を呼んだ。

頭ではとっくのとうに敵だと認識出来ている筈なのに、騎士団の中で十年積み重なったアレクセイへの従属が体に染み付いてしまっているらしい。

「まあ、過ぎた事を問い詰めても仕方がない。今ここで姫を渡せば、これまでの謀反は水に流してやらんでもない。何せお前はシュヴァーンと同じ、私が手ずから育てたとっておきの駒の一つなのだからな」


――シュヴァーンと同じ駒。


この男は、あの人の事までも、そんな風に扱うのか。


アルノルドの体を氷漬けにしていたものが、怒りの熱で溶かされていく。

「……お断りします」

「そうか、それは残念だ。あまり手荒な真似はしたくなかったのだがな」

「ッどの口が――!!」

感情が口から出切るよりも先に体が動いた。
並の兵士であればそれだけで地面に倒されてしまうであろうアルノルドの一撃を、アレクセイは片手で受け止める。

「ほう、なかなか良い腕だ。思えばこうして直接お前と剣を交えた事は無かったな」

まるで稽古でもつけるかのような口ぶりのアレクセイは、次々と繰り出される剣戟を見事に凌いでみせた。

「だが、怒りで我を失うようでは宝の持ち腐れだな」

防御に徹していたアレクセイは、その一言を合図に攻勢に出る。
あまりにも重く、そして速い剣技に、前に出ていたアルノルドはエステリーゼの傍まで押し戻される。

「アル!」

「……くそっ」

アルノルドの顔には脂汗が滲んでいた。呼吸も荒く、苦悶の表情を浮かべている。
その心を見透かしたアレクセイが、涼しい顔で言った。

「どうした、随分と苦しそうだな。シュヴァーンに付けられた傷でも開いたか?」

それを聞いたエステリーゼの顔から血の気が引いた。

彼の怪我は完治していない、自分が与えたグミはそれほど多くも無かった。ここに来るまでの道中での連戦だけでもとっくに限界は来ていたのだろう、その上で騎士団長たるアレクセイの攻撃を受けたのでは耐えられる筈もない。

「アル、もういいです、下がって!」

「そうとも、お前の役目はもう終わったのだ。演じ終えた役者は早々に舞台から立ち去るといい」

だがアルノルドは退かなかった。
汗が滲む手で剣の柄を握って、切っ先をアレクセイに向ける。

「……エステリーゼ様、俺がアレクセイの気を引きますから、貴女は隙を見てここから脱出して下さい」

「そんな事出来ません! アルを残して私だけ逃げるなんて……!」

「エステリーゼ様」

アルノルドは子供をあやすような声色でエステリーゼの名を呼んだ。
アレクセイから視線は逸らさず、彼女に背を向けたまま、アルノルドは口を動かす。

「これが終わったら、貴女に話したいことが沢山あるんです。謝らなければならない事も沢山。でも、今は時間が無いので、これだけ伝えさせて下さい」

「……な、何ですか?」

エステリーゼの不安を少しでも和らげようと、アルノルドは痛みを堪えながら、努めて穏やかに続ける。


「――貴女は生きていて下さい。そのせいで例え世界が滅んでも、他の誰に恨まれたとしても、その罪は俺が背負います。だから、貴女はどうか笑って生きていて下さい」


背後で、エステリーゼが息を呑んだのが聞こえた。

実際に言葉にすると随分と安っぽく聞こえるものだ。こんな言葉で、伝えたかった気持ちが伝えたかった通りに彼女に伝わったかどうかは分からない。
けれど彼女なら、他の誰かに同じ言葉をかけるであろう彼女ならば、この心を汲んでくれるだろうとアルノルドは信じた。

「俺は、貴女の仲間になりたいんです」

――数十秒の沈黙があった。
エステリーゼは、何も言わずに行動で答えを示した。

遠ざかっていく足音を聞きながら、アルノルドは微笑する。

「……騎士が王子にでもなったつもりかね?」

「まさか。俺はあの人の護衛騎士です。そう名乗ったからには、その務めを最期まで果たします」

「小娘一人に随分と手懐けられたものだ。飼い主の顔も満足に覚えられん犬には躾が必要だな」

そんな戯れのような言葉の応酬をして、アレクセイとアルノルドは一呼吸の後に同時に地を蹴った。
上司と部下としてではなく、ただ敵として相手を卸す為に。
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