09.愁雲、血涙の雨

「…………」


――――生きている。


力を使い果たし、神殿の天井に潰されて死んだと思っていたシュヴァーンは、瓦礫の隙間から差し込む光に照らされていた。

あれだけ格好を付けておいて、どうやら命拾いしてしまったらしい。だが瓦礫に埋もれ動く事も出来ないこの状況は、助かったとも言い難い。このまま時間が経てば命を落とす事になるだろう。

だが、シュヴァーンの心に焦りや陰りは生まれなかった。諦めの境地と言うには穏やか過ぎるその心境を、なんと言い表せば良いのかわからない。例えるのなら、それは陽だまりの中で眠りに落ちる前の感覚に似ていた。

(あいつらを逃がせただけでも、俺にしては上出来だ)

彼らがこの先どんな運命を辿るのかは分からない。だが、ここで一緒に朽ち果てるよりはマシな未来が待っている筈だ。そうであれとシュヴァーンは願った。

(……ああ、でも、俺がここで死ねば、あの二人には何の償いも出来ないままで終わるのか)

彼の脳裏にはエステリーゼとアルノルドの姿が浮かんでいた。どちらにも謝罪では済まされないような事をしてしまったと、今更ながらにシュヴァーンは己の選択を呪う。

それに、ドンに頼まれたイエガーの始末も、結局出来ず終いだ。
自分が居なくなったあと、ハリーは上手くやって行けるだろうか。次から次へとそんな心残りが浮かんできて、シュヴァーンは頭を振る。

どうあれ、己の人生はここで終わりだ。受けそこねた罰や裁きは、死後の世界か来世にでも持ち越される事を期待するしかない。

シュヴァーンは目を閉じた。これでやっと、自分も皆の所へ逝ける。
"ダミュロン"の瞼の裏には、十年前にテムザで死に別れた仲間の顔が並んでいた。

だが、そんな夢見心地に浸っていた彼の邪魔をするかのように、野暮な衝撃音が響いた。

またどこか崩れたのかと思ったが、揺れは感じなかった。まあいいか、どこで何が起ころうと自分にはもう関係ない。
シュヴァーンは音に反応して開けてしまった瞼を再び閉じたが、やはり同じ理由で起こされてしまう。

まるで目覚まし時計だ。何度も何度も聞こえてくるその音に、彼の安らかな表情は少しずつ崩されていった。挙句の果てには人の声まで聞こえてくる。喧しいことこの上ない。

死ぬ時くらいストレス無く死なせてくれ。我慢の限界が来たシュヴァーンは文句を付けようと声を上げた。だがそれは、瓦礫の向こうにいた男達の声に掻き消されてしまう。

「「「シュヴァーン隊長ぉおおおお!!」」」

三人分の声が揃って聞こえた。
ルブランとアデコールとボッコスの情けない顔が、取り除かれた瓦礫の代わりにシュヴァーンの視界を埋めた。






ルブラン達の手によって瓦礫の中から救出されたシュヴァーンは、そのまま神殿の外まで連れ出される。

誰かが躓いたのに巻き込まれて地面に転がった四人は、疲労も相俟って暫くそのまま寝そべって空を仰いでいた。

彼らがここに居た理由と目的を聞いたシュヴァーンは、自分がそれほどまでに彼らに慕われていた事にまず驚いていた。

直属の部下とは言え、自分は殆ど帝都を留守にしていたし、碌に彼らの指導もして来なかったのだ。行方知れずになったからと言って自主的に探し回ったり、倒壊寸前の神殿の中に危険を承知で入って来てまで助けられる事など無いと思っていた。

本人にとっては、シュヴァーンは全てを失い自暴自棄になった空っぽの操り人形でしかなかった。そんなものの為に本気で怒ったり泣いたり心配したりする奴など居る筈も無いと思っていたが、先のユーリ達や今のルブラン達からして、レイヴンにもシュヴァーンにも人望はあったらしい。

それを実感した時、彼の中にあった価値観は劇的に変化した。その気になればいつでも簡単に捨ててしまえると思っていた二つの名前に愛着が湧き、虚ろだと思っていた十年間はそれ以前の人生と同じだけの重みを得る。

レイヴン、シュヴァーン、そしてダミュロン。
どれも皆等しく"自分"だ。立場が違っただけで、その心と体は一人の人間のものだったのだ。
そんな当たり前の事に、彼は漸く気付くことが出来たのだった。






「時にシュヴァーン隊長、アルノルドが今何処で何をしているか、ご存知ではありませんか?」

気力と体力が回復するのを待ってから立ち上がったシュヴァーンは、同じく立ち上がったルブラン達に、唐突にそんな質問をされた。

アレクセイの事も含め、彼らは今何が起こっているのかを把握出来ては居ないらしい。これからはもう少し周囲の人間を大事にしようと心に決めたばかりのシュヴァーンは、その質問に真摯に答えた。

アルノルドがエステリーゼを護ろうとした事、自分はそんな相手を斬り捨ててしまった事、アレクセイの悪事を知りながらエステリーゼ共々身柄を引き渡した事など、包み隠さず全てを話し終えたシュヴァーンに、ルブラン達はなんとも分かり易いリアクションをする。

「そ……それはまた……なんと言いますか……その……」

「ハッキリ言ってくれていいぞ、最低な事をした自覚はある」

「で、ですがそれはシュヴァーン隊長の本意では無かったのでしょう!? 」

「悪いのはアレクセイなのであ〜る!」

「そうだそうだ!」

口ではそう言うものの、彼らの顔には明らかに狼狽が浮かんでいた。無理も無い。

「だが、お前達がアルノルドと未だに交流があるとは知らなかった。移籍してからも連絡を取り合っていたのか?」

「いえ、そういう訳では無いのですが……、ただ少し心配で」

「心配?」

今この状況においては当然の感情だと思うが、日頃のアルノルドに心配するような要素があっただろうかと、シュヴァーンは心中で首を傾げた。

「昔から危ういところはありましたが、親衛隊の隊長になってからは余計に。もう部下ではない事は承知しておるのですが、今のアルノルドには頼る相手も居ないでしょうから……ああして無理をしている様を見ると、どうにも気になってしまって」

「???」

今度は疑問が顔に出た。ルブランが何を言っているのか、シュヴァーンには少しも分からなかった。

アルノルドは騎士団内で上手くやっている方だ、少なくともシュヴァーンの目にはずっとそう写っている。
愛想の悪い自分とは違い彼は誰とでも仲良くしているし、良くも悪くも帝国騎士らしい振る舞いが出来ている。世渡りのお手本のようなその姿にはどこにも危うさなど感じないし、頼る相手に困るとも思えない。

そんなシュヴァーンの反応に、ルブラン達は顔を見合せた。三人揃って、シュヴァーンのそのリアクションこそ理解出来ないといった顔をする。

シュヴァーンは一抹の不安を抱いた。
自分はアルノルドの事を正しく理解出来ている筈だ。経歴も人柄もよく知っている。なのにどうして認識にズレがあるのか。

彼は少なくとも自分より恵まれた存在の筈だ。彼は自分とは違う、ユーリ達の側の人間の筈だ。
だからこそ憎かったし、だからこそ斬り捨てたのだ。その痛みから立ち直れるだけのものを、彼は持っているだろうと思ったから。

もし、その認識が誤っていたのだとしたら。

「……お前達のその心配はどこから来る? お前達にとって、アルノルド・ブランディーノとはどういう男なんだ」

シュヴァーンは恐る恐る尋ねた。
ルブラン達は、これまでに見てきたアルノルドの事を語り始める。

それはシュヴァーンの知らない、知ろうともしていなかった話だった。
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