0.いつかの彼の話
世界が赤く染まっていた。青く澄み渡る空があり、草花が芽吹く大地があり、白く美しい街があり、温かな家があり、優しき人達が居た場所が、赤黒い炎に呑まれて灰になっていくのを、アルノルド・ブランディーノは見ていた。
異変が起こったのは夕暮れ時、いつもの様に夕餉を食べていると、外で凄まじい轟音が鳴り響いた。昼に見た、帝都から派遣されて来たらしい騎士達が、例の施設を護るべく兵装魔導器を使って魔物の殲滅を始めたのだと、外の様子を見に行った父は言った。
幸いなことに騒音は直ぐに止んだので、さして気にはしなかった。作戦が上手く行ったのだろうと、そう思っていた 。
そして、今。
陽が沈み、いつもなら穏やかな静寂に包まれている筈の時間帯に、アルノルドは耳がおかしくなる程の騒音の中に居た。
彼の身は家の中ではなく外に放り出されており、その周囲を炎が取り囲んでいた。鼓膜を揺らすのは炎が爆ぜる音と、銅鑼を叩いたような衝撃音と、人と魔物の悲鳴だけ。
何が起こったのか理解できなかった。自分はただ、いつもの様にご飯を食べて、寝台に潜り込んで眠っていた筈だった。今こうして傷だらけで地面に付しているより前の記憶はそれだけだ。気付けばこうなっていた、としか言い様がない。
吹き飛ばされて地面に叩き付けられでもしたのだろうか、身体はあちこち悲鳴を上げていて、立ち上がることすら出来なかった。炎に囲まれているせいで酸素が薄いのか、呼吸がし辛い。何より熱い。息を吸うだけで喉が焼けそうだ。
このままここに居れば死ぬ――それだけが朦朧とした意識の中でハッキリしていた。
「だ……、誰か……、助けて……、誰か……」
抉れて波打っている道を、焼け焦げてボロボロになってしまっている大地の上を、炎の海の中を、アルノルドは腕の力だけで這うようにして進む。
絞り出した声は、周囲の騒音に紛れて、自分の耳にさえろくに届かない。
「父さん……、母さん……、何処に……」
不意に、手が何かに触れた。
ゆるゆると視線を向けてみれば、木炭のような何かが見えた。この惨状の中であれば木の1本や2本倒れていてもおかしくは無い。気にせず進もうとして――今度は丸い岩のようなものにぶつかった。
歪なボールの形をしたそれが何なのか、最初は分からなかった。だが進んでいくうちに、同じものを幾つも流し見ているうちに、気付いてしまった。
それは木炭では無かった。
それは岩などでは無かった。
無数に散らばるそれは――――煤けた人の骨だった。
「ひ……っ!?」
慌てて飛び退こうとして、しかし上手く立ち上がれずに転がってしまう。それでも尚その場から逃げようと、アルノルドは必死に地面を這った。
だが、行けども行けども景色は変わらなかった。自分が今どの辺りに居るのかも、見ている方角すら分からない。
「何なんだよ……ッ!? 父さん、母さん……! 居ないのか……!? 誰か……ッ!」
突然の事で真っ白になっていた頭が、次第に恐怖と焦りで埋め尽くされていく。
いつの間にか人の悲鳴も魔物の雄叫びも聞こえなくなっていた。ただ時折、轟音と共に空が明滅するだけ。
何なんだこれは、何が起こっているんだ。
やがて声が尽きて、助けを求める事すら出来なくなった。代わり映えのしない景色に気力も体力も尽きて、アルノルドはその場に崩れ落ちる。
視界に写るのは炎と、灰となって消えていく人の死体と、血で染った地面だけ。
誰か、と、声が出なくなっても尚、アルノルドは心の内で叫び続けた。頬を伝う涙は、熱風で一瞬のうちに気化してしまう。
熱い、痛い、怖い。
誰か、誰でもいいから、返事をしてくれ。姿を見せてくれ。
意識を失うその瞬間まで、アルノルドは祈り続けた。
だが結局、それに応えてくれる誰かが現れることは無かった。