0.いつかの彼の話
こうして、彼は望まぬ形ではあれ、かつて故郷で思い描いたのと同じ、帝都で暮らす騎士となった。彼の素性は公にはされず、多くの人の間で彼は数居る「平民騎士」の一人として認識される事となった。
とは言え、遠い異郷の地で人と離れて暮らしていたアルノルドがその世界に馴染むには、大変な時間と苦労を要した。
右も左も分からず早速騎士団内で浮きまくっているアルノルドを見兼ねたアレクセイは、適当な騎士を彼の教育係に据えた。
「貴様の指導を仰せつかったルブランだ、今日からは私の指示に従うように!」
「……はぁ」
「なんだその気の抜けた返事は! 上官の言葉に対する返事はこうだ!」
ルブランと名乗った冴えない中年騎士は、両足を揃えて手を額に当て、お手本としては100点満点の敬礼のポーズを取った。
渋々それに倣うアルノルドの敬礼には全く覇気が無く、ルブランは「やる気があるのか」と嘆く。
「正直、やる気があるか無いかで言えば無いです」
「ばっかもーん! 騎士と名乗るからには、騎士として最低限の振る舞いはしろ!」
そう言われても。こんな事はアルノルドにとっては何の意味もなさない無駄な行為でしか無かった。
騎士として相応しいかどうかなど関係ない、自分の目的は復讐だ。騎士はそれを果たすまで生き延びる為の土台でしかない。
「せめて剣技の練習をさせてくれませんか? 敬礼の練習なら一人でも出来ますが、剣はそうもいかないので」
「む……、剣か。剣は……まあ、基本の型ならば教えてやれなくも無いが……」
「何か不都合でも?」
ルブランは苦い顔のまま、兵に支給されている剣を鞘から抜いた。アルノルドもそれに倣う。
その表情の理由はすぐに分かった。剣を振るうルブランの動きは、お世辞にもキレが良いとは言えない。
「……得意じゃないんですね」
「型すら知らん貴様のデタラメな太刀筋よりはマシだ! いいか、基本の構えはこうやって――」
まあ確かにデタラメに剣を振り回すよりはマシかと、見よう見まねでルブランの動きに合わせて剣を振る。一通りやった所で、ルブランが口を開いた。
「貴様、剣を扱った事があるのか?」
「? いえ、故郷に居た頃は狩りをして暮らしていたので、ナイフや弓なら慣れていますが……、剣は持ったのもここに来てからが初めてです。そんなに酷かったですか?」
「……逆だ、初めてとは思えん。貴様には天賦の才があるのかもしれんな。その調子なら私が教えるまでもなく直ぐに上達するだろう。という訳でだ、貴様にはそれ以外の事をみっちり叩き込んでやる!」
「それ以外とは?」
「騎士としての心構えと相応しい振る舞いだ! まずはそのだらけた態度を何とかせんか!」
そんなこんなで、ルブランによる指導は毎日続いた。剣の稽古に関しては他の人の方が適任だとわざわざ上に掛け合ってくれたらしく、腕の立つ先達が代わる代わるアルノルドの指導に来てくれた。
人魔戦争と呼ばれるようになったテムザでの一件による傷が癒えた訳でも、憎しみが消えた訳でもない。それでも、慌ただしくも充実した日々は、少しづつアルノルドに本来の人柄を取り戻させていった。
そんなある日のこと。
いつもの様に稽古を終え、その後陽が暮れるまで自主練に励んでいたアルノルドは、この数ヶ月で随分と手に馴染んだ剣を収めて修練所を後にした。
建物の隙間を縫って吹いてくる風が心地よく、火照りを冷ます意味でも少し遠回りして宿舎に帰ろうとしたアルノルドは、その途中はたと足を止める。
(……今、なんか聞こえたな)
それは人の声だ。宿舎でよく聞く談笑の声ではなく、悲鳴とも怒声とも取れる音。
視線を向けた先には、日頃立ち寄ることの無い皇宮があった。静かな夜の闇の中、建物を照らす明かりの下に無数の人影が慌ただしく駆け回っているのが見える。
何かあったのだろうか。気になって近づいたアルノルドは、風に乗って流れてきた匂いに眉根を寄せた。
――血だ。血の臭いがする。
吸い寄せられるようにして現場にまで辿り着いたアルノルドは、廊下に倒れる兵の姿を見た。その体から溢れた血が、シミひとつ無かった美しい皇宮の床を汚していく。手当てしなければと傍らに膝をついたが、相手は既に息絶えていた。
「なんだ……これ……、一体何が……」
当惑するアルノルドは、廊下の奥に人の気配を感じて顔を上げた。騎士団の誰かだろうと思ったが、現れた人物は騎士の姿をしていなかった。
それは見慣れない端正な顔立ちの男性だった。白銀の長髪を揺らしながら真っ直ぐ歩いてくるその姿は凛としていて美しく、アルノルドは一瞬現実を忘れて魅入ってしまう。
だがその手に握られた血塗れの剣を見て、アルノルドは驚きと共に己の腰に差した剣を抜いた。
「止まれ! これはお前がやったのか!?」
ルブランの指導の甲斐あって、騎士として正しい反応を直ぐに取れたアルノルドに対し、男は何の反応も示さずそのまま廊下を突き進む。まるでアルノルドの事など見えていないかのように、その瞳はどこでもない虚空を向いていた。
剣の切っ先を向けるアルノルドと男の距離は縮まっていき、その刃が相手に届かんというところで、漸く相手はアルノルドを視界に捉えた。
「……退け、貴様に様は無い」
「……この状況で、はいそうですかって退くと思うか?」
一瞬の静寂。張り詰めた空気の中、先に動いたのはアルノルドだった。
だがその切っ先は僅かな動きで躱され、柄を握る手と脇腹に衝撃が走る。
気がつけば、剣は手から滑り落ち、遠くへ転がっていた。体は壁に叩きつけられ、口から嗚咽が漏れる。
「私は貴様と争うつもりはない。……よもやせっかく拾った命を、その様な下らぬ事に使うとはな」
「な……にを……、どういう……」
「刃の矛先を間違えるな。貴様の命を脅かすのは、私でも始祖の隷長でもない」
それだけ言って、男はまるで興味が無さそうに、アルノルドをその場に残して去っていった。
アルノルドは痛みを堪えてそれを追おうとしたが、まるで幻だったかのように、相手は忽然と姿を消していた。