0.いつかの彼の話

結局、その男が誰だったのか、何のために皇宮を襲ったのか、アルノルドが知ることは出来なかった。
襲撃そのものに箝口令が敷かれ、あの騒動は現場を目撃した一部の者を除いて闇に葬られた。

それから間もなく、長らく病に伏していたらしい皇帝の崩御が発表された。アルノルドは皇家に仕える多くの帝国騎士の一人として、儀礼的に葬儀に参列した。一度も顔を見たことすらない死人に身の入らない黙祷を捧げながら、頭の中では先日言われた言葉の意味をずっと考えていた。

やがて答えの出ない事に頭を悩ませるのにも飽きて、謎の襲撃犯への興味も薄れ始めた頃。騎士としての生活が板についてきたアルノルドは、久方ぶりにアレクセイと顔を突合せていた。

「突然呼び立ててすまない。ここの暮らしにはもう慣れたかね?」

「はい、これも一重に閣下のお計らいのお陰です」

特別な位を持たぬ一兵卒として在るべき振る舞いをしてみせるアルノルドに、執務室の椅子に腰掛けるアレクセイは満足気に頷いた。

「今日は君に紹介したい者が居てな。本来ならばもっと早くに会わせてやりたかったのだが……」

「……と言いますと?」

「先の大戦の生き残りだ。以前にも話した事があるだろう、君の他にも助かった騎士が居たと」

その言葉に、アルノルドの脳裏にテムザの惨劇が蘇った。
同時に湧き上がってくる怒りや憎しみをなんとか押し込めて、アルノルドは卒のない返事をする。

「名はシュヴァーン・オルトレイン。人魔戦争で数多の地域を滅ぼした諸悪の根源たる魔物を倒し戦争を終結させた、騎士団の誇りであり、人類の英雄だ」

そんな紹介文と共に、アレクセイは傍に控えていた一人の男に目をやった。アルノルドもそれを辿る形で男を見遣る。

鮮やかな橙色の団服に身を包むその男は、肩書きや身なりの華やかさとは裏腹に、生気のない人形のような顔をしていた。

――これが英雄? まさか、冗談だろう。

口には出さなかったが、その感想が表情に出てしまっていたのか、アレクセイが付け加える。

「彼も仲間を多く喪ったのでな、賞賛の声に諸手を挙げて喜べる心境でも無いのだ、他ならぬ君は理解出来るだろう」

「それは……、まあ、少しなら」

同じ惨劇の被害者とは言え、騎士として戦った彼と、ただ巻き込まれただけの自分とでは、感じるものも違うだろう。アレクセイの話が本当なのであれば、だが。

テムザでの一件を引き起こしたのが魔物だという事が人々の間で共通認識となった今でも尚、アルノルドはそれを信じきれないでいた。何せ己の目でそれを見た訳でも無いし、その存在を裏付ける証拠が残っている訳でも無いのだ。

案外この英雄とやらも、実際はただの騎士の一人かもしれないな。
胡乱な目で見るこちらを、シュヴァーンは感情の読み取れない淀んだ目で見つめ返してくるだけだった。

「君の活躍は聞いている、特に剣の才が素晴らしいとな。そこいらの騎士相手ではそろそろ物足りなくなって来ているだろう、今後はこのシュヴァーンに師事すると良い」

「え。……宜しいんですか?」

「なに、実力のある者には相応の待遇を用意して然るべきだろう? 君には時期に彼の部隊に所属して貰おうとも考えているのでな。今のうちから互いを知る機会を設けておきたいのだよ」

英雄の真偽はともかく、それなりの地位にあるシュヴァーンに、自分のような一兵卒が直接指導を受けるというのは異例だ。そんな事になれば他の騎士――特に貴族然とした者――にどんなやっかみを受けるかわからない。

だが、ここで断るのもそれはそれでアレクセイやシュヴァーンに失礼か。
アルノルドは悩んだ末にその人事を受け入れる事にした。

「では後のことは頼んだぞ。……君には期待している」

その言葉は、果たしてどちらに掛けられたものだったのか。
物言わぬシュヴァーンと二人部屋に残されたアルノルドが答えるのを待たず、アレクセイは閉ざされた扉の向こうに消えた。

「……ええと、偉大なる英雄殿に直接ご指導頂ける機会に預かり光栄です。若輩者の身で恐縮ではありますが、以後宜しくお願い致します」

気まずい沈黙に押し潰される前に、ルブラン仕込みの敬礼と共にそんな挨拶をしたアルノルドに、ここまで一言も発していなかったシュヴァーンが漸く口を開く。

「……人魔戦争の生き残りというのは本当か?」

「え? ……はい」

「何故あの場に?」

「俺――私は、彼処の出身ですので。……それが何か?」

尋ねても、相手はじっと見つめてくるだけだった。
数分の沈黙。アルノルドが次に何を言えばいいか考えていると、不意にシュヴァーンは体を反転させる。

「行くぞ」

「どちらへ?」

「剣の修練をするのだろう」

「……今からですか?」

既に騎士として任務に励むべき時間は過ぎている。が、シュヴァーンは何も言わずにさっさと歩いていってしまう。
アルノルドは仕事熱心な上官に溜息を吐きながら、その後を追いかけた。

連れてこられたのは騎士団領内にある広い中庭だった。時間が違えば訓練に励む騎士が点在しているこの場所も、月が天頂に輝いている今は2人の他に人影は無い。

シュヴァーンとアルノルドはその真ん中で立ち止まり、鞘から剣を抜いた。
シュヴァーンのそれはアルノルドが使っている一般的なものとは違い、刀身が鮮やかな紅に染められた立派なものだった。
英雄の剣にしては少し禍々しい気もするが、シュヴァーンの雰囲気にはしっくりくるなとアルノルドは思う。

「教えるにも実力が分からなければ指導の仕様が無い、先ずは今出せる全力でかかって来い」

「……分かりました。では、胸をお借りします」

アルノルドはこれまでに教わってきた剣の型を思い出しながら、それを崩さぬよう、けれど自分が扱い易い様に調整した動きで、シュヴァーンに斬りかかった。
苦もなくその剣戟を受け止めたシュヴァーンは、続けて繰り出される技も同じようにいなしながら冷静にその動きを観察する。

「……成程、噂に違わぬ腕前だな。だが――まだ温い」

「……っ!」

受け流すばかりだったシュヴァーンが攻撃に転じ、アルノルドは慌ててその刃を防ぐ。
続けて二撃、三撃と襲い来るシュヴァーンの剣は、アルノルドのものよりも遥かに速く重い。

負けじと斬り返そうとするも、隙が全く見当たらない。距離を取って呼吸を整えようとするアルノルドに比べ、シュヴァーンは涼しい顔。

「どうした、この程度か?」

「……っ、まだまだ!」

折れそうになる心を奮い立たせて、アルノルドは地を蹴ってシュヴァーンに特攻する。だがやはりアルノルドが攻勢に出れたのは勢いのある最初の数撃だけで、直ぐに相手の勢いに押し負けてしまう。

ガキン、と鈍い音を立てて、両者の刃が噛み合わさる。その鍔迫り合いも3秒と保たず、アルノルドは剣ごと弾き飛ばされた。

既に息も絶え絶えになっているアルノルドは、悔しさを滲ませながらも起き上がり、流石ですと相手を讃えようとして――

「……ッ!?」

眼前に迫っていたシュヴァーンの剣をすんでのところで躱した。

慌てて剣を取り構え直したアルノルドに、シュヴァーンは勢いそのままに斬りかかってくる。

「ちょ……っ、待ってください、一旦休憩を――」

情けないと思いつつ懇願するアルノルドの言葉に、シュヴァーンは耳を貸さなかった。容赦ない連撃を、アルノルドは何とか凌ぎ切って間合いを取る。

だが一呼吸するかしないかの間に、シュヴァーンは再びアルノルドの懐に潜り込んできた。文句を言おうにも喋る余裕すらなく、攻撃を防ぐので精一杯だ。

その攻防には最早騎士の型も何も無くなっていた。ただがむしゃらに剣を振り回して、相手の振り翳す刃の餌食にならぬよう必死に抵抗する。

その疲労がピークに達したところで、アルノルドの剣がシュヴァーンの一撃を受け止めきれずに弾き返された。その刀身めがけて更にもう一撃、シュヴァーンが剣を振るうと、あろう事か刃が真っ二つに折れてしまう。

半分になってしまった己の武器を見て呆然としていたアルノルドは、それでも尚迫り来るシュヴァーンの剣にゾッとした。

――これはもう、訓練の域を超えている。

殺される。そう思ってキツく目を閉じたアルノルドの耳に、風を切る音が届いた。遅れて、強い風が吹き付けてくる。

場に静寂が戻った。恐る恐る瞼を上げて見れば、すぐ近くにシュヴァーンの姿があった。それを認識した瞬間、耳に鋭い痛みが走る。

手で触れてみれば血がついていた。どうやら先の一撃で切れてしまったらしいと理解して、しかしそれだけで済んだことに安堵する。

命拾いしたと分かった瞬間、全身の力が抜けて、アルノルドはその場に崩れ落ちた。
腰を抜かすとはこの事だろう。死に直面した恐怖からか、はたまた限界以上に酷使したせいか、四肢は震え心臓は早鐘を打っていた。

「……すまない、熱くなり過ぎた」

荒い呼吸を繰り返すアルノルドに、漸く剣を収めたシュヴァーンは膝を折ってそう告げる。
だがその言葉はとても平坦で、その表情には申し訳なさなど微塵も浮かんではいなかった。

何か激情のようなものを感じた、先の剣戟を見せた人物とは思えない程のその感情の無さに、アルノルドは戸惑いながら答える。

「……いえ、こちらこそ、ご期待に添えず申し訳ありません」

やがてぽつりぽつりと降り出した雨に気づいたシュヴァーンは、アルノルドを助け起こしながら「今日はここまでだ」と言って訓練を打ち切った。

その場で頭を垂れてシュヴァーンを見送ったアルノルドは、相手の姿が見えなくなるのを確認してから、再びその場に蹲る。

怖かった。理由は分からないが、彼の剣は己を殺そうとしていたように見えた。少しでも気を抜いていれば、今頃ここには自分の死体が転がっていたかもしれない。

その恐怖に囚われたアルノルドは、暫くの間動くことも出来ずに、その場で雨に打たれていた。






一方、部屋に戻ったシュヴァーンは、濡れた髪や服から雫を滴らせながら、閉じた扉の前で棒立ちになっていた。

打ち合いの最中、自分の中に湧き上がってきた衝動。制御出来ないほどの感情がまだ自分の中に残っていたことに、彼は我が事ながら驚いていた。

――何故、あの程度の実力しか持たない者が生き残って、それより遥かに強かった彼女が死んだのだろう。

――何故、ただその場に居ただけの者が生き残って、皆の為懸命に戦った彼女が死んだのだろう。

彼の胸中に渦巻く感情の根底にあるものは、そんな疑問だった。彼の剣を受ける度にその疑念は強くなり、気がつけば斬り伏せてしまっていた。

頭では分かっているのだ。アルノルドにこの怒りとも悲しみともつかない感情をぶつける事が間違っている事も、シュヴァーンである今の自分が、ダミュロンのような感情を抱くのはおかしいという事も。

(……俺はシュヴァーン、シュヴァーン・オルトレインだ)

真っ暗な部屋の中で、まるで自己暗示のように、彼は何度もその言葉を反芻していた。
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