0.いつかの彼の話

そうして、アルノルドはシュヴァーン隊を離れ、栄えある親衛隊の騎士として再び歩み始めた。

ついで、と言えば流石に顰蹙を買うだろうが、異動に伴い彼は小隊長に昇格した。時を同じくしてシュヴァーンも隊長首席――隊長よりも更に上の立場――という前例のない地位に上がったらしかったが、相も変わらず忙しくしているせいで顔を合わせることは無かった。

親衛隊の面々はかつての補佐官同様にアレクセイを信奉している様だった。だが彼らはクオマレ達とは違い、アルノルドに親しく接する事は無かった。

「なあ、アイツだろ? 前の事件で一人だけ生き残った奴って」

「らしいな。他の奴は遺体も碌に残らなかったっていうのに、アイツは外にいた閣下よりも軽傷で済んだらしい」

「前々から得体の知れぬ不気味な男だとは思っていたが、ここまで来ると化け物だな……。シュヴァーンといい、気味が悪い」

以前であれば気にもならなかったそんな陰口が、最近はやけにハッキリと聞こえるようになった。アルノルドはそれらから逃げるように、一心不乱に任務に打ち込んだ。

誰よりも早く起きて支度をし、誰よりも多くの任務をこなし、誰よりも遅くまで鍛錬に励む。その姿はまるでシュヴァーンの様で、その事が更に人を遠ざけ、彼を孤独にした。

そんな生活が暫く続いた後。いつものように皆が寝静まっても尚、一人稽古を続けていたアルノルドに、同じ親衛隊の男が声をかけてきた。

騎士団本部――事件の後その場所は城に移動した――の敷地内でやっていると衆目に晒されるので、最近は騎士が来ることの無い下町の隅でこっそり特訓していたアルノルドは、突然現れた同僚に驚いて手を止める。

相手はアルノルドより一回りは歳上であろうガタイの良い男性だった。人と関わる事を避けるが故に、同僚の名前など殆ど覚えていないアルノルドに、それを知ってか知らずか男は名乗りを上げる。

「ナイレン・フェドロックだ。――ああ、お前さんの名前は知ってるから言わなくてもいいぞ、有名人だからな」

有名人、という言葉を"悪評が広まっている"という意味で捉えたアルノルドはムッとしたが、それを見たナイレンは慌てて釈明する。

「純粋な意味でだ、気を悪くしたのならすまん」

「……何の用ですか」

「いやぁ、毎晩遅くまで頑張ってるな〜と思って、差し入れでもしようかと」

言いながら、男は手に持っていた籠編みのバスケットを差し出した。男とそれを訝しげに見つつ、アルノルドは剣を鞘に収める。

「親切にどうも、お気持ちだけ頂いておきます。それじゃ」

「えっ、おい、ちょっと――」

さっさと退散しようとするアルノルドの腕を、ナイレンは慌てて掴んで引き止める。

「待った待った! せめて一口くらい食べてってくれよ、お前さんの為にって娘が作ったものなんだ」

「娘?」

「前に偶然見かけて以来、えらく気に入ったみたいでな。今日はもう遅いんで一緒には来てないんだが……」

「……下町に住んでらっしゃるんですか?」

「ああ、この近くだ」

成程それでか。何故毎晩ここで訓練している事を知っているのかと警戒していたアルノルドは、監視されていた訳では無いのだと理解して肩の力を抜いた。

「出来栄えはまぁアレだ、歳相応だが、不味いって事は無いと思うぞ」

「……そういう問題では無くて。ただ……正直、普段交流のない方から貰った物には、あまり良い思い出が無くて」

すみません、と俯くアルノルドに、ナイレンは彼がそうなった経緯を慮って、

「そりゃすまん。だが、誓って妙なもんは入れてないし、何か裏がある訳でも無いぞ」

と言いながら、バスケットの蓋を開けて、そこに入っていたサンドイッチを率先して食べ始めた。

な? 大丈夫だろ? とでも言いたそうに見てくるナイレンに、アルノルドも流石にここまでされては断れないかと、恐る恐る形の不揃いなサンドイッチを手に取って、一口齧る。

「どうだ?」

「……美味しいです」

遅効性の毒である可能性を考えて、強ばった表情のまま言ったアルノルドに、ナイレンはゲラゲラと笑った。

「そんな顔して言われてもなぁ! だがまあ、口に合ったのなら良かった。娘も喜ぶ」

そう言って2つ目のサンドイッチに手をつけるナイレンにつられて、アルノルドもバスケットに手を伸ばす。

最近は過労のせいか、はたまた精神的な理由のせいか、食事が喉を通らなくなっていたのだが、不思議とこのサンドイッチはすんなりと胃に収まった。

そうして黙々と全てを食べ終えた二人は、空になったバスケットにご馳走様でしたと手を合わせる。

「無理にとは言わんが、気が向いたら今度は昼に来てやってくれ。お礼と言っちゃあなんだが、昼飯くらいは用意出来る」

「用意って……、貴方が作るんですか?」

「……まあ、簡単なものなら作れる」

奥さんに作らせるつもりだったなこのオッサン。
責めるように睨むアルノルドに、ナイレンはバツが悪そうに頭を掻いた。

「何らかの形で娘さんにお礼はします、ですがそこまで厄介になるつもりはありませんので」

「別にいいだろ、一緒に飯食うくらい。何でそうまでして人と関わるのを避ける?」

「何でって……本気で言ってます?」

自由気ままな独り身ならいざ知らず、所帯持ちでこの短慮軽率さはどうなのかとアルノルドは呆れた。

「俺と居て貴方まで周囲に目を付けられたらどうするんです、悪い噂でも流れたら奥さんや娘さんにも肩身の狭い思いを……」

「なんだ、そんな事か」

「そんな事って、大事な事でしょう」

「心配してくれるのは有難いが、別に規律に反してる訳でも無いんだ、堂々としてりゃいい。妻も娘もこの下町で育ってるんだ、差別主義者の陰口なんざ、虫の鳴き声程にはありふれたもんだよ」

まあ慣れちまうのもどうかと思うがと苦々しく言いながら、ナイレンはアルノルドの頭に手を乗せる。

「それにな、お前さんみたいなのを知ってて放ったらかしてる方が、俺の家族は怒るんだよ。一人で居るのが好きならそれもいいが、そうじゃないなら……」

ナイレンは片手を差し出した。その動作の意味が分からず疑問符を浮かべているアルノルドの手を、互いの掌が重なる様にしてナイレンが掴む。

「こうだ、こう。宜しくな」

強引に握手させられたアルノルドは、お人好しだなと苦笑しつつ、相手の手を握り返した。
目次へ戻る | TOPへ戻る