0.いつかの彼の話
「あーっ! 騎士のお兄ちゃん!」後日、ナイレンの誘いに乗って彼の家にお邪魔したアルノルドは、幼い少女にそんな歓待を受けた。
「いらっしゃい、忙しいだろうにわざわざ来て貰ってごめんなさいね、うちの人が無理を言って」
「いえ、こちらこそ、ご家族の時間を邪魔してしまってすみません」
「ねぇねぇ、私のサンドイッチ食べてくれたってホント?」
少し遠慮がちに尋ねてくる少女に、アルノルドは跪いて微笑む。
「うん、凄く美味しかったよ。それでね、お礼にこれを持ってきたんだけど……」
受け取って貰えるかな、と言って彼女に渡したのは、華美ではないが質素でもない可愛らしいデザインの、小さなブローチだった。
少女は物珍しそうにまじまじとそれを眺めて、
「……貰っていいの?」
「勿論、君の為に用意した物だから」
アルノルドの返事にパッと笑顔になった少女は、有難う! と言って、すぐに両親に見せびらかしに行った。
「お母さん見て! これ着けたい!」
「あら、素敵なブローチね」
母親はアルノルドに会釈しながら、娘の服の胸元にブローチを留める。
少女は光を乱反射させてキラキラと輝くそれにはしゃぎ回りながら、今度は父親の下へ。
「お父さん見て! 騎士のお兄ちゃんに貰ったの!」
「おー、似合ってるぞ、良かったなぁ」
子煩悩丸出しで少女を抱き抱えるナイレンに、自然とアルノルドの表情も和らいだ。
優しい両親に、無邪気な子供が一人。その光景に懐かしさと、ほんの少し寂しさを感じる。
「すまんなぁ、気を遣わせたか」
一頻り娘と戯れたナイレンは、なんとも言えない表情でそれを見ているアルノルドに気付いて声をかけた。
少女は昼食を作っている母親――結局奥さんが作ってくれるらしい――を手伝いにか、キッチンへと駆けて行く。
「ブローチの事ですか? 俺が勝手にやった事ですから気にしないで下さい」
「いやまぁ、それもあるんだが……居心地が悪そうに見えてな」
「ああ、別にそういう訳じゃないんです。ちょっと昔の……両親の事を思い出して」
「……長いこと会ってないのか?」
「ええと……その……、実は以前はテムザに住んでいたので……今は……」
一般人にはまだそれほど知られていない様だが、長く騎士として務めている者にとっては"過去のテムザ"というのは人魔戦争の同義語だ。
せっかく和気藹々としている空気を壊したくはなくてさっさと話を流そうとしたアルノルドに、ナイレンはたった一言、
「そうか。……大変だったな」
といつもの調子で告げて、わしわしとその頭を撫で回した。
下手な慰めより、同情の言葉より、たったそれだけの労いの言葉の方が、アルノルドにとってはずっと優しく感じられた。
その後も、アルノルドは誘われるままに、時間さえあればナイレンの家に足繁く通った。
すっかりアルノルドに懐いた、というより惚れている様子の娘を見て、ナイレンは微笑ましいやら父親として見過ごせないやら複雑なリアクションをし、彼の妻はそれを笑いながら慰めていた。
それ以外の時間でも、アルノルドとナイレンはよく行動を共にするようになっていた。
最初はそれに目くじらを立てていた一部の人間も、ナイレンの人柄のお陰か、はたまた興味が無くなったのか、時が経つにつれその数を減らしていき、やがて二人が共に居ることは、親衛隊のありふれた日常の風景として受け入れられるようになっていた。
そうしていつもの様に、ナイレンと共に城の廊下を歩いていたアルノルドは、数年ぶりにルブランの姿を見かけた。
四方を通路に囲まれた芝生の生えた中庭で、かつての上司は一心不乱に剣を振るっていた。
どうやら鍛錬の最中らしい、という事は分かるのだが、この剣筋には相変わらず気迫も何も無い。その変わらなさはある意味、見るものを安堵させた。
そういえば、最後に言葉を交わしたのはあの事件の後だったか。
あの頃は色々と余裕が無かったせいで、異動する上で最低限の引き継ぎや挨拶しか出来なかった事を思い出し、今更ながら申し訳なくなったアルノルドは、その謝辞も兼ねて挨拶しようと彼に近付いて――その途中で止まった。
隣に居たナイレンはどうした、と問おうとしたが、その視線の先にあるものに気付いて、彼と同じく足を止める。
そこに居たのは、この数年、誰の目にも触れず死亡説すら流れかけていた、騎士団の英雄シュヴァーン・オルトレインだった。
何故か全身傷だらけの彼は、遠くで見ているアルノルド達がそうしようとした様に、ルブランに声をかける。そして己の剣を取り出すと、先のルブランと同じ様に剣を振るった。
その剣さばきはルブランのそれとは天と地程の差があった。一切のブレ無く空間を裂くその剣技は、見る者に呼吸を忘れさせる。
最後の一振りに至っては、剣先から衝撃波まで出ていた。今のはどうやらお手本のつもりだったらしく、促されたルブランが再び剣を構える。
「あれが噂のシュヴァーン隊長か……、城内に居るのは珍しいな」
人間離れしたその動きに圧倒されていたナイレンは、我に返って隣に居る青年に視線を戻したが、アルノルドはどこか寂しそうな顔でシュヴァーン達をじっと見つめているだけだった。
だが、ルブランが剣を振り始めたところで、中庭に出かかっていた体を廊下に戻して歩き始める。
「ん? 声かけなくていいのか?」
「特に用がある訳でも無いですし、指導の邪魔をするのも悪いですから」
「でも久しぶりに会えたんだろう、特にあの隊長さんは次またいつ会えるとも……」
「いいんです。……俺はもうシュヴァーン隊じゃありませんから」
足速にその場を離れるアルノルドに、ナイレンも少し名残惜しそうについて行く。
そんな二人に漸く気付いたルブランが、幾分マシになった剣を鞘に戻しながら「あれは……?」と呟いた。シュヴァーンも、遠ざかっていく二人を見る。
「……アルノルド・ブランディーノか」
「ですな。親衛隊に移ってからはめっきり姿を見かけなくなっておりましたが……、見ていたのなら声ぐらいかければ良いものを、全く。しかしまぁ、上手くやっとる様で安心しました」
その口ぶりはまるで親か何かの様だとシュヴァーンは思った。呆れたような言葉の中には心配と安堵の色が見て取れる。
アレクセイからの密命と騎士としての通常の任務に加え、レイヴンとしてギルドでの生活まで追加され多忙な日々を送るシュヴァーンは、騎士団内で起きる様々な事に関しては無知も同然だった。
騎士隊長首席として知っておくべき情報はアレクセイから伝えられてはいるが、アルノルドの近況などはその中には含まれていない。
彼が以前起きた事件の後に親衛隊に引き抜かれたという事ぐらいしか知らないシュヴァーンは、ルブランの心配の理由が今ひとつ分からなかった。
あの男なら何も問題は無いだろう。剣の腕は言わずもがな、アレクセイに気に入られている以上、騎士としての将来は約束されているようなものだ。
何より彼は、自分と違って真に"生きて"いるのだから。
自分の胸で心臓の代わりを果たす魔導器の音を聞きながら、いつか死人だとデュークに謗られたシュヴァーンは、そんなアルノルドの事をどこか恨めしく思った。