01.其は脱兎の如く
「はい、お疲れさん」「……あ、有難うございました……」
村の入り口でようやく開放された頃には、ラスヒィは魂の抜け殻のようになっていた。
さっきよりもっと落ち込んでしまった相手に、アルヴィンが苦笑する。
「果物がいっぱいだ、甘い匂いがするね」
「酒の匂いもな。果樹園でもやってるんじゃないか?」
「おやまぁ、こんな村にお客さんとは珍しい」
まだ疲れが抜けきっていないラスヒィがおぼつかない足取りでフラフラと立ちあがると、村長を名乗る老婆がやって来た。
「ニ・アケリアへ行くには、この道で合っているか?」
「ニ・アケリアとは、また随分懐かしい名を」
「どういう意味?」
「忘れられた村の名じゃ。今では在るかどうかもわからん。子供の頃に、キジル海瀑の先にあると聞きましたが……」
「キジル海瀑?」
「大きな滝ですじゃ。ニ・アケリアをお探しなら、起伏の激しい岩場を通り抜けるのぉ」
説明を聞いてうっかり「もう帰りたい」とぼやきそうになった口をラスヒィはなんとか閉ざす。
ついて来ているのは自分の意思なのだから、泣き言を言ってはいられない。
しかし前に進もうとしたラスヒィを、アルヴィンが止めた。
「だから無理すんなって。そんな状態で行ってどーすんだよ? ここでちょっと休憩させてもらおうぜ」
「ですが……」
「そうだね、僕らも疲れちゃったし」
「そちらの方はまた随分と弱っていらっしゃいますな。村には宿がないですからの。うちの空き部屋で休んでいきなされ」
「だってよ。お言葉に甘えようぜ」
ラスヒィはアルヴィンに背を押され、案内された家の二階に連行され、部屋のベッドに放り投げられた。
少々乱暴な気もするが、かつて味わったことのない疲労に愚痴をこぼす気も起きない。
「……すみません、ご迷惑をおかけしました」
「いいって、これも仕事のうち。んじゃ、回復したら呼んでくれ。そう遠くには行かないようにするから」
遠ざかっていく足跡に、この優しさも何か目的があってなのだろうかと考えて、すぐにやめた。
理由があったにしろ、彼が助けてくれたことに変わりはない。
そこは素直に感謝すべきだろうと、疑ってばかりで大事なことを見落としていた自分を叱責しつつ、ラスヒィは閉じようとする瞼に逆らわずに目を伏せた。
「ねぇ、アルヴィン」
しばらく経ち、そろそろ旦那が目を覚ますころかと村長の家に向かおうとしたところで、アルヴィンはジュードに名を呼ばれて立ち止まる。
「なんだい? 優等生」
「あの……ラスヒィさんのこと、なんだけど……」
「旦那が何だって? 足手纏いだから置いていこうって話か?」
「そんなこと言うわけないでしょ!」
「冗談だよ。んで、何?」
もう、とそっぽを向くジュードにケラケラと笑いながら、アルヴィンは近くにあった木箱に腰掛ける。
「アルヴィンは、ラスヒィさんのことどう思ってるの?」
「なんだそれ。昨日会ったばっかの人間に、どう思ってるも何も無いだろ」
「……同じこと言うんだね」
ジュードは勝手に木箱に乗っかるのは気が引けたのか、そのまま地面に座り込む。
「僕は好きだよ。アルヴィンも、ラスヒィさんも……ミラも。そりゃあ、会ったばっかりだし、まだ知らないことの方が多いけどさ。一緒に旅してるのに……」
「誰も嫌いだなんて言ってないだろ? まあ、旦那はあんまり俺のこと好いてないみたいだけど」
「そんなことないよ!」
ハッキリと言い放ったジュードに、昨日のジュードとラスヒィのやり取りを全く知らないアルヴィンが目を丸くする。
「別に、無理に仲良くしてって言ってるんじゃないけど……」
それより何故この少年が自分とラスヒィのことに関して躍起になっているのか。
仲良くなることで何か利点でもあるだろうか。それとも、仲が悪いことで何か嫌なことでも────
「……もしかしてさ」
「何?」
1つ、この年頃の少年が気にしそうなことに思い当たって、アルヴィンはそれを口に出してみる。
「俺と旦那が仲悪いと、場の空気が悪くなって居心地が悪いとか、そういうこと?」
自分にとってはかなりどうでもいい事だと思いながらの発言だったのだが、どうやら図星だったようで。ジュードは気まずそうに目を泳がせる。
なんだ、そんなことが気になっていたのか。
空気が重いだの険悪だの、そんなものには慣れきっていたので気にもしていなかったのだが。この年頃の少年には堪えられないものなのだろうかと、アルヴィンは思いを巡らせる。
「そういう事なら、改善できるように最善は尽くしてみようかね。つっても、嫌ってんの俺じゃなくて旦那なんだけどな……」
相手の気持ちはどうしようもないぞと言うと、ジュードはラスヒィには昨日この話はしたのだとようやく教えてくれた。
しかしそれが昨日の就寝前だと聞いて、その後にあの日記を書いたってことはそういうことだよなぁと、アルヴィンは頭を掻く。
「やれるだけやってみるよ。時間はかかるだろうけどな」
「うん、有難う。」
「こんなことでお礼言われるのもな……」
仲良くなるための努力などという一銭にもならない物事に真剣に取り組まなければならなくなったアルヴィンは、下手な仕事より荷が重いとため息をついた。