01.其は脱兎の如く
「おい旦那、起きろ!」ぐっすり眠ったおかげでようやく疲れが取れたというところで思い切り体を揺さぶり起こされて、ラスヒィは幸せな睡眠から最悪の起床を迎えた。
眠気眼が捕らえたのは、何やら切羽詰まった様子のアルヴィン。
「……何ですか?」
「ラ・シュガル兵だ。さっさと出るぞ!」
まだ情報が整理できていないせいですぐに動き出せないラスヒィの腕を引いて、アルヴィンは階段を駆け下りる。
外ではミラとジュードが村の西口の陰から手招いていた。
「ごめんねラスヒィさん、起こしちゃって」
「いえ、十分休めましたから。ところで、何がどうなって……もう追手が?」
「さてな。でも、見つかるとヤバいってことだけは確かだ。──おっと、こっちにも見張りかよ」
進行方向にラ・シュガル兵を見つけて、皆は慌てて物陰に隠れる。
数は多くないが、騒がれればすぐに増援が来だろう。
「どうするよ?」
「強行突破だ」
話し合うこともなく立ち上がったミラが堂々と兵の前へと近づいていく。
他に良い案もなく、皆ミラに従いついていこうとしたが、ふとジュードが人の気配を感じて振り返った。
「あ、あの……」
妙なぬいぐるみを抱えた女の子が、恥ずかしいのか頬を染めながら視線をさ迷わせている。
「え、えと……なにしてる……んですか?」
「うむ。邪魔な兵士をどうするか、考えているところだ」
「直球だね……」
ミラの歯に衣着せぬ物言いに、男3人は失笑する。まぁ、これほど幼い子供なら別に問題はないだろうが。
まだ顔を上げない少女のそばにしゃがんで、ラスヒィは警戒させないように微笑む。
「ここに居ると巻き込まれるかもしれないよ。お家に戻ったほうがいい」
「……あの人たち、邪魔……なんですね」
「え?」
少女が何をしたいのかを図りかねていると、突然少女の持っていたぬいぐるみが開眼し、腕から飛び出した。
ビックリ箱を開けたときのような衝撃が走って、ミラ以外の人間が全力で飛び退く。
ぬいぐるみはそのまま浮遊して、兵士の周りをふよふよと漂い始めた。
自分たち同様その異質な物体に慌てた兵士は職務も忘れて逃げ惑う。
「どうなってるの? ぬいぐるみが……」
「ここで何をしておる。こら娘っ子、小屋を出てはならんというに」
プチパニックに陥る現場に、今度は山のような巨体の大男が現れる。
口ぶりからしてこの少女の保護者か何かだろうが、少女は男に近づこうとしない。
「ラ・シュガルもんめ……勝手な真似を」
ずしんずしんと地鳴りのごとく足音を響かせながら、大男は混乱する兵士の元へと向かう。
すると少女はその反対側、村長の家の方へと走っていってしまった。
「娘っ子はどこへ行った?」
「えっと、広場の方に……」
持っていたハンマーでさっさと兵を叩きのめした男は、少女の向かった方角を聞いて顔色を変えた。
他所者ならさっさと行ってしまえとだけ言い残して、慌てた様子で少女を追いかける。
嵐が去った、とはまさにこういう事を言うのだろうか。
何が起こっているのかも分からないうちに、問題が解決してしまった。
「……よくわかんないけど、手間省けたみたいだな」
「なら、早く出よう」
謎のぬいぐるみに襲われ、続けてハンマーで殴られ、自分たちも似たようなことをしていたかもしれないとは言え虚しく地面に伏す兵士たちに同情しながら、静かになった村から一行は早々に脱出した。
再び長い道を越えて、ようやく村長の言っていた海瀑らしき場所へ到着する。
海というには小さいが、湖と呼ぶには大きすぎる水溜りが広がり、隆起した岩のようなものがあちこちで反り立っている。
「村の人たちに、悪いことしちゃったね……良くしてくれたのに……」
「ラ・シュガル兵が来てるんだ、逃げるが勝ちってな」
「どうするか決めたのは彼らだ」
一人浮かない顔のジュードに、アルヴィンとミラはさらっと言い放つ。
そのあまりに冷淡な物言いに頭にきたジュードが言い返すと、ミラは気になるなら戻ればいいと言う。
本人にあくまでも悪気はないことは、その表情や今までの言動から明らかなのだが、ジュードは納得できない様だった。
「どうしてそうなの!?」
「……もっと感傷的になって欲しいのか? それは難しいな。君たち人もよく言うだろう? 感傷に浸っている暇はない、とな」
「……使命があるから?」
「そういうことだ」
「やるべきことのためには、感傷的になっちゃいけないの?」
「人は、感傷的になっても成すべきことを成せるものなのか?」
ミラの問いに、そんなものはやってみなければ分からないと、ジュードが視線を落とす。
「なら、やってみてはどうだ? 君の成すべきことを、そのままの君で。それで答えが出るかもしれない」
慈愛に満ちた目で微笑んで、ミラは一人海瀑を進み始める。言われたジュードは虚ろにミラの言葉を繰り返していた。
ミラの言う事も、ジュードの言う事も分かる。
だからこそ逆に、ラスヒィは何も言えずにいた。
「マクスウェル様のようになる必要はないだろうさ。普通、ああはなれないって」
「……ねぇ、二人には、成すべきことってある?」
「……さて、な。あるって言ったら余計迷うだろ? ジュード君。僕も決めなきゃ〜、ってな」
子ども扱いされているのが不服なのか、アルヴィンを軽く睨んでから、その瞳はラスヒィを映す。
「そうですね……あるんだと思います。ですが私は、それが出来るだけの力も、度胸も、何も持っていません」
「そんなに大変なことなの?」
「それはもう。考えただけで頭痛がします」
「じゃあ、それを成すには、やっぱり感傷は捨てなきゃいけない?」
「かもしれません。でも、私にとってそれは、感傷を捨ててまで成したいことではないんですよ。成さなければならないんですけれどね」
またしてもよく分からない物言いをするラスヒィに首を傾げつつ、結局村に戻るのかというアルヴィンの質問に、ジュードは首を振った。
「……で、旦那の成すべきことって結局なに?」
ミラの後を遠慮がちについて行くジュードを見守りながら、隣を歩くアルヴィンの疑問に、ラスヒィは苦笑しながら答える。
「今の私には、口に出すのも恐ろしいようなことですよ」
これ以上は言いませんと、歩調を速めることで示したラスヒィに、益々気になるじゃないかとアルヴィンも歩幅を広げて、四人は険しい岩場を登り始めた。