02.六つの花弁
「わぁ〜……!」出航してしばらく、甲板に出ていた一行の中で、エリーゼは船の縁につかまり下を覗き込んでいた。
何も珍しいものは浮かんでいないのだが、何をそんなにはしゃいでいるのかと思えば、海は初めてだったらしい。
「そっか、エリーゼちゃんも、ほとんど村の外に出たことがなかったんですね……」
「そういう意味じゃ旦那と一緒だな。あの子、あの村で何してたんだ?」
「監禁されていたのだろう?」
「逆かも、匿われてたって可能性もあるんじゃないかな」
「きゃー!」
「エリーゼ!?」
短い悲鳴に敵襲かと拳を握って振り向いたジュードの目に、ティポとはしゃぐエリーゼの笑顔が映った。
その姿は本当にただの無害な子供にしか見えない。
「悪い子じゃないよ」
「そうみたいだな」
「引き取ってくれるいい人が見つかるかな?」
「それは君が探すしかない、それが責任というものだろう?」
「う、うん……」
ティポとじゃれるエリーゼの元へ移動するミラに、ジュードは頼りなく返す。
まだ若い少年には荷が重い話だ。
「やっぱり、怒ってるのかな……」
「んー、いつもあんな調子じゃないか? ミラは。寧ろ意外だな、俺としては。エリーゼのことはバッサリ拒否すると思った」
「どうして?」
「目的の邪魔になることには、もっと一方的かと思ってたよ」
「ミラはそんなに冷たくないよ」
「そうかな……そういや聞いたぜ、イル・ファンの研究所じゃ大変だったらしいな。あいつ、あそこから何か奪ったんだって? 国の研究所じゃ、そりゃ軍も出動するって」
「奪った……? 初耳ですよ。ただの侵入では無く窃盗をしたのでしたら、色々と話が変わってきますが……」
「なんだろ、僕も知らない」
「本当かあ? 隠してもすぐわかるぞ。ほら、ミラには黙っててやるって」
しつこく食い下がるアルヴィンに、本当に知らないんだとジュードが謝る。
やはり信用していないのかとアルヴィンが拗ねてみせると、ジュードは自分が聞いてくると言った。
ラスヒィはそれらを神妙な顔で眺め、甲板の端ではエリーゼが一生懸命ミラに話しかけていた。
「んー、おたくでも知らないならいいや。いやマジで、責めてるわけじゃないって」
「でも……」
「俺が聞き出そうとしてたら、あいつが怒るかもしれないからだよ。だからさ、俺が聞いたってことも黙っててくれよ」
「うん……わかったよ」
悄げるジュードを宥めるアルヴィンを、ラスヒィが頃合を見て呼びつける。
聞かれて困る話でもないが、わざわざ聞かせたくも無いと、剣の稽古を口実に皆から距離を置く。
「私が貴方を疑ってしまう原因が分かりましたよ」
「へぇ、それを聞かせてくれるって?」
「言わなくても分かるんじゃないですか? どこの誰に雇われていらっしゃるのか知りませんが、ジュード君を情報収集の駒にしないで貰えますか」
「失礼だな、そんな風にしてるつもりはねーよ。それに俺を今雇ってんのはあんただろ?」
「そうやって適当に誤魔化すのはやめて下さい。私には、貴方がただの親切で二人に同行しているとはどうしても思えません。さっきのやり取りと言い……狙いはミラさんですか? それとも彼女が研究所から奪った何か?」
「なんでそうなるんだよ。俺そんなに怪しい?」
「怪しいから言ってるんです。……私だって、こんな風に疑いたくはありません」
共に旅をしている仲間を勘ぐってしまう自分も嫌いだったし、こんな風に影で話さなければならないような事を言うのも嫌だった。
目を伏せるラスヒィに、アルヴィンが溜息を吐く。
「俺は俺で事情があるんだ。そのへんは目ぇ瞑ってくれよ」
「出来ません。ミラさんとジュード君に危害を加える可能性がある限りは」
「分かったよ。俺は二人には手は出さない、約束する。それでいいだろ?」
「……本当ですか?」
「その代わり、口であれこれ言ったり、影でコソコソやんのは許してくれ。じゃないと俺が首飛ばされちまうんだ」
「貴方のその行動で、二人に危害が及ばない保障はありますか?」
「それはねーけど、それもやめろって言われたら俺の人生が終わるんだけど? 旦那は俺に二人のために死んでくれーって言うのか?」
「別にそういうつもりじゃ……」
「つもりがなくても、そうなるんだよ」
ならば一体どうすればいいんだ。
ジュードやミラに何かするつもりであれば見過ごせない。でもそれを阻止することでアルヴィンが危機に陥るのは、それはそれで良心が痛む。
どちらを選び取ることも出来ず彷徨うラスヒィの手に、アルヴィンが立てかけてあった木板を握らせた。
「……? 何ですかこれは」
「剣の稽古、やるんじゃないのか?」
「あれは貴方を呼び出すための口実です、それくらい分かるでしょう」
「そりゃ分かってるさ。でも何もしないで突っ立ってると、ジュード達に怪しまれるぞ。やりながらでも話は出来るだろ。はい構えて」
構えて、と言われ渋々板を持ち上げたが、剣の構え方など知らない。
何も出来ないでいるラスヒィを見て、アルヴィンが信じられないと顔で語る。
「し、仕方ないじゃないですか! 剣なんて握ったこともないんですから……」
「マジかよ。まったく、これだから箱入りは……」
仕方ねぇなぁと、アルヴィンはラスヒィの背後に回って腕に沿わせる形で手を重ねた。まさに手取り足取りとはこの状態を指すのだろう。
「まず握り方はこう。んで、刀身がブレないようにちゃんと指で固定して、足もっと開いて」
「わっ、ちょっと、勝手に動かさないで下さいよ!」
「で、下段で構えるなら切っ先は下に、脇しめて、目線は落とさないで前。基本敵から目ぇ逸らすなよ。慣れてきたらもっと周りにも気を配るべきだが……まぁ旦那にゃ無理そうだから今はいいか。攻撃の時はタイミング見計らって、相手の攻撃が止むまでは防御するか回避……」
「そんなに早く動けませんって!」
あっちにこっちに引っ張られる体になんとかついていくが、結局足を縺れさせて転んだり勢いづいた腕がアルヴィンの顔面に当たったりして上手くいかなかった。ダンスのステップを習っていたときのほうがまだマシだ。
「……ミラより酷いな」
「悪かったですね……」
「ま、続けりゃなんとかなるだろ」
「そうですか……って、そうじゃないでしょう! 本題は剣じゃなくて──」
「残念、時間切れだ」
船が目的地の到着を知らせる汽笛を鳴らす。
船の進行方向の先にはサマンガン海停が見え始めていた。
「オハナシはまた今度な」
「……はぁ、いいですよもう。貴方を問い詰めてもどうにもならないということは分かりましたから」
「分かってもらえて何より。ほら、これからまた歩くんだぜ。前みたいに担いで欲しいのか?」
「あんな醜態は二度と御免です」
ラスヒィは座りこむ自分に差し伸べられた手を借りることなく立ち上がる。
アルヴィンがどうあれ、自分がミラやジュードをその危険から護れればよいのだ、そのためにはもっと強くならねばと自身を奮い立たせた。