03.その街の別名は
翌朝。日記を書いて気分を落ち着かせようとしたのだが全く上手くいかず、結局まともに眠れなかったラスヒィは、眠気眼を擦りながら階段を下りた。「やあラスヒィ、お目覚めだね。よく眠れ……なかったみたいだね?」
「ああ、いや、これは、自業自得というか……気にしないでくれ。おはよう、クレイン」
クレインの顔を見ると芋蔓式に昨夜のことが浮かんで、ラスヒィは笑顔を保ったまま忘れろ忘れろと頭に命令する。
ロビーには仲間のほとんどが揃っており、アルヴィンもまたそこに居た。
「おはようさん。寝てないのか? ちょっとクマが出来てるぞ」
「っ誰のせいだと……!」
「へぇ、俺のせい? 俺のせいで寝れなかったんだ?」
わざわざ傍にやって来ていつも以上にべたべたとひっついてくるアルヴィンに、何も知らないクレインは首を傾げる。
至極楽しそうにニヤけているアルヴィンを見て、昨夜のあれはやっぱりからかってやったんだとラスヒィは断定した。
「仲良いね、二人とも」
「だっ……!」
「だ?」
「……なん、でも、ないよ。おはよう、ジュードくん」
何の邪心もない笑顔でにこやかに「おはよう」と返してくれた少年に、ラスヒィは喉まで出掛かっていた言葉を腹の底に戻す。
自分とアルヴィンの仲を一番気にしていたジュードに「誰がこんな人と!!」とは言えない。
「クレインさん、ガンダラ要塞の方は……」
「その件はまだ連絡が来ていませんね。お急ぎなら、手配状況の確認にローエンを向かわせましょうか?」
「それじゃあ、お願いしてもいいですか?」
「わかりました」
最後に起きてきたエリーゼも交えて、皆で屋敷の外に出る。
そこにはローエンが乗っていくのであろう馬が一頭用意されていた。
「ではローエン、宜しく頼む」
「かしこまりました」
「ローエン、どれくらいで戻ってくるの?」
「そうですね、馬を使えば一日もあれば戻れるかと思います」
「それならもしかしたら明日には、皆さんとお別れかもしれないのよね」
「首尾よく進んでいれば、そうなるかもしれないな」
「それならエリー、ミラ、お買い物に行きましょう!」
ドロッセルの提案に、寂しそうにうつむいていたエリーゼがぱっと顔を上げる。
ティポも嬉しそうに行こう行こうとはしゃいだ。
なら早速行こうと、ドロッセルが微笑む。
そしてエリーゼと一緒にミラの両脇に立って、その腕を掴んだ。
「待て、話が見えない」
「エリーとお買い物の約束したもの。明日お別れかもしれないのなら、チャンスは今日だけよね?」
「それはそうだな、行ってくるがいい」
「じゃあ出発〜!」
「出発〜!」
ドロッセルとエリーゼは空いたほうの手を高らかに上げて、ずるずるとミラを屋敷の敷地の外へ引きずっていく。
有無を言わさぬ二人に、ミラは珍しく慌てていた。
「だから、なぜこうなるんだ? 私が行く必要はないだろう?」
「いいんじゃねーの?」
「いってらっしゃい、ミラさん」
「たまには、人間の女の子っぽいことするのも面白いかもよ」
「ふむ、なるほど。だが厳密には、私に人の性別の概念は当て嵌まらないぞ。現出する際に人の女性の像を成したが────」
ミラは最後まで何かを話していたが、やがて声は聞こえなくなった。
すっかり打ち解けた様子の三人に、残された男性陣は笑い合う。
「この今の幸せのために、僕も決心しなければいけない……」
同じように笑っていたクレインだったが、青空を見上げ、やがては真剣な面持ちになった。
「やはり、民の命を弄び独裁に走る王に、これ以上従うことはできない」
「……反乱を起こすのか?」
「戦争になるの……?」
不安げなジュードの問いに、クレインが頷く。
ラスヒィは何も言わず、友の決意を聞いていた。
「ナハティガルの独裁は、ア・ジュール侵攻も視野に入れたものと考えられます。そして彼は、民の命を犠牲にしてでも、その野心を満たそうとするでしょう。このままでは、ラ・シュガル、ア・ジュールとも、無為に命が奪われる。──僕は領主です。僕の成すべきこと……それは、この地に生きる民を護ること」
「成すべきこと……」
「そう、僕の使命だ。……力を貸してくれませんか?」
「でも……」
ジュードの案じるような目がラスヒィに向けられる。
ラスヒィは自分ならもう覚悟は出来ているから、どうするかは君が決めてくれと話した。
ジュードが受け入れても拒んでも問題は無いし、無理強いもしたくない。
「君は君の思うようにすればいいんですよ、ジュード君」
「……ぼ、僕は……」
「僕たちは、ナハティガルを討つという同じ目的を持った同志です」
クレインが差し出した手をジュードが見つめる。
ローエンはクレインの隣に控え、アルヴィンも選択権をジュードに託して背を向けていた。
彷徨うジュードの手が持ち上がり、クレインの手に向かう。
そうして、二つの手が触れ合う直前────
「…………え?」
トン と、軽い音がした。
手紙が投函された時のような、あるいは壁にゴムボールが当たったような、本当に軽い音。
音の正体は、どこからか飛来した一本の矢だった。
それはまたしてもナハティガルの親衛隊のもので、いつもラスヒィが使っている矢と同じもの。
矢はクレインの左胸に突き刺さっていて、クレインは手を差し出したままゆっくりと──いや、実際には普通のスピードだったのかもしれないが、その時はスローモーションのようにゆっくりと倒れたように見えた。
「──旦那様!!」
「クレインさん!!」
「ちぃっ!」
ドン! と今度は大きな銃声が響く。
アルヴィンが撃ち出した弾は矢を放った兵に当たり、遠方の高台から皆を見下ろしていた兵はそのまま落下して消えた。
「早く治療を!」
「う、うん!」
ローエンがクレインを助け起こし、ジュードが治癒術を施す。
アルヴィンは周囲にまだ敵が潜んでいないかと警戒しつつ、それらを背に庇った。
「…………」
「……旦那」
「…………クレイン……?」
「旦那! しっかりしろ!」
アルヴィンが棒立ちになっている体を揺さぶりながら何かを喋っている。それは分かった。けれど頭にその言葉は入ってこない。
この場では危ないからとローエンとジュードがクレインを屋敷の中へと運んでいく。
それでも動かないラスヒィを、アルヴィンが無理やり中に押し込んだ。