03.その街の別名は
「くっ……」「お願いします! どうか旦那様を……」
「……ローエン、無理を言ってはいけない」
「……っ!」
限界に達したジュードに尚も縋るローエンをたしなめるクレインの声を聞いて、顔面蒼白で震えていたラスヒィは伏した友の傍に駆け寄る。
「僕はここまでのようだ……この国のことを……頼みます」
「それこそ無理です! 私にそんな力は……」
「無理じゃないはずだ……貴方なら。……ラスヒィ、すまない……けれど……お願いだ。この街の領主として……友人として、頼む……ラ・シュガルを……どうか君の手で、変え……」
「……クレイン? クレイン!!」
薄く開いていた目蓋が下りて、握っていた手がするりと零れ落ちる。
力なく横たわるクレインに、ローエンもジュードも顔を伏せた。
「クレイン様!……うっ!?」
いきなり開け放たれたドアから入ってきた衛兵が、冷たくなった主人の姿を見て静止する。
悲しみに打ちひしがれていたローエンは、顔を上げて立ち上がった。
「……報告を続けてください」
「は、はっ! ラ・シュガル軍が領内に侵攻、街中でも戦闘が発生している模様です」
「なんだかやばくなってきたな」
「街にはミラたちがまだ!」
「……私たちは、お嬢様たちを保護しに参ります。旦那様をこのままにして行くことをお許し下さい……」
物言わぬ抜け殻となった主に頭を下げ、場を兵に任せてローエンは走り出す。
ジュードも行こうと声をかけて屋敷を出たが、ラスヒィはついて来なかった。
「……旦那は、今はそっとしておいてやろうや」
「……そう、だよね」
クレインの傍に座り込んだまま動かないラスヒィを気にしながら、ジュード達はミラ達を助けるために街の広場へと走った。
1人残されたラスヒィは、目の前の友人の死を受け入れることが出来ずに、消え入りそうな声でその名前を呼ぶ。
兵は自分を退かせるのを諦めて、離れた場所で気が済むまで待機していてくれた。
彼の最後の言葉だけが耳の中に残っている。
握っていた手の感触も、自分に向けられた微笑みも、今はもうない。そして、これからも見ることは出来ない。
何も考えられないのに、何も感じられないのに、瞳からは勝手に涙が溢れ出た。
────ねえクレイン、まだ、君に言えてないことがあるんだ。
言うつもりなんてなかったけど、すごく、すごく大事なことなんだ。
君は私が考えていることなんて何でもお見通しだったけれど、こればっかりは気付いてはくれなかっただろう?
伝えても応えてくれないことは分かっていたから黙っていたけれど、それは君がこれから先もずっと傍に居てくれると信じていたからなんだよ。
「────っ、クレイン……ッ!!」
全てを持っているはずの立場で、何も持っていなかった自分の、たった一つの宝物。
その亡骸に、ラスヒィはただ泣き縋ることしか出来なかった。
「……もういいのか?」
「はい。略式ですが葬儀の手配も済ませました」
ジュードたちが女性陣を追って屋敷を飛び出してから数十分。
結局間に合わずに彼女たちはラ・シュガル兵に連れ去られてしまい、暗い顔のまま彼らは戻ってきた。
クレインの遺体はひとまず別室に安置されている。
「……旦那は?」
「クレイン様のお傍を離れたくない様でしたので……」
「そうか……」
「どうしてこんなことに……」
昼間は賑やかで暖かかった屋敷は、別物のように暗く冷え切っていた。
あの時この場に居た者の半数以上がここには居ない。
「旦那様を襲った矢は、近衛師団用の特殊なものでした。そして、タイミングを合わせた軍本隊の侵攻……考えられることは一つ。すべてはラ・シュガルの独裁体制を完全にするための作戦です」
「ナハティガルの野望か……」
「……ミラたちはどこに連れて行かれちゃったんだろう」
「ガンダラ要塞でしょう。一個師団以下の手勢で、複数の街を短期間で攻めるのは、戦術的に無理があります。つまり、サマンガン海停は襲撃を受けておらず、未だシャール家勢力化と考えるのが妥当です。となると、イル・ファンへ取って返す筈……その帰路で駐屯出来るのは、ガンダラ要塞しかありません」
「へ、へぇ……そんなもんか」
ぺらぺらと推測を述べるローエンにアルヴィンは驚いていたが、ジュードはそんなところにまで思考は回らないらしく、聞くなり助けに行こうとする。
「そんな焦ってもしょうがないぜ? 要塞なんだ、簡単にはいかないだろ」
「いえ、チャンスは今晩だけでしょう。兵の士気も高いとはいえなかった。その上、戦闘後その地で休めず行軍、隙だらけのはずです。そして、こちらは図らずも先手を打てています」
「そっか、先に潜入してる味方がいるんだよね」
「すぐに発ちましょう」
「……何者だ? あのじいさん……」
さっさと出て行こうとするジュードと、そしてローエンを見てアルヴィンが呟く。
そうして屋敷を出ようとしたとき、クレインを安置している部屋の扉が少しだけ乱暴に開いた。
中に居たのはクレインとラスヒィだけなので、開けたのは当然ラスヒィなのだが。
出てきたラスヒィは、泣きはらした顔でツカツカと三人に歩み寄ってくる。
「……私も連れて行ってください」
「聞いてたのか。でもその調子じゃ……」
「ミラさん達を攫ったのはラ・シュガル兵なんでしょう? なら、ナハティガルもそこに居るかもしれない」
「その可能性はありますが……」
「無理すんなよ、敵の陣地に行くんだ。集中してやらねーと旦那まで──」
言葉の途中で不意にスカーフを掴まれて、アルヴィンは首が締まる前に頭を下げる。
ラスヒィのらしからぬ行動に皆たまげていたが、らしくないのはそれだけではなかった。
「……アルヴィン、貴方はまだ私の傭兵ですか」
「そりゃ、まあ、まだ一応は……」
「なら、私の命令が聞けないなんてことはありませんよね。……連れて行け」
────これが、本当にあの旦那か。
未知への探究心に輝いていた瞳は淀み、優しくて少し頼りなくもあった表情は、王族たる威圧感を放っている。
後ろに居た二人も、そんなラスヒィの様子に息を呑んだ。
「……わかったよ」
彼にとって、クレインの存在はそれだけ大きなものだったのだろう。
まるで鎖を解かれた獣のようだと、アルヴィンは思った。