03.その街の別名は
「ミラーッ!!」「陛下、こちらへ!」
「……ッ、ナハティガル!!」
「旦那!!」
あまりにも痛々しいミラの姿に、ラスヒィは怒りのまま去り行くナハティガルに特攻しようとする。
だがアルヴィンがそれを阻んだ。
「離して下さい! 待てナハティガル! 私は貴方を許さない!!」
「やめとけって! また捕まるだけだ!」
「クレインを返せ! クレインを……ッ! ナハティガル!!」
「ミラが、ミラが! エリーゼ、早く治療を! 早く!!」
「わー、グチャグチャだよー! 見たくなーい!」
「ミラ! 目を開けてミラ! なんで……? なんで、こんなことに……!?」
「わかるわけないだろ」
追うのをやめようとしないラスヒィの体を押さえ付けながら、アルヴィンが吐き捨てるように言う。
通路はジュード達の泣き出しそうな声と、焼け焦げた匂いで充満していた。
「いたぞ、脱走者はこっちだ!」
「ともかく、これ以上は無理だ。カラハ・シャールに戻ろう」
「非常態勢だ! ゴーレムを起動させろ!」
「急いで!」
諦めの悪いラスヒィと怪我人のミラを確保しておいてもらった馬車の中に押し込んで、ジュード、ドロッセル、エリーゼも乗り込む。
馬の手綱はローエンが引き、アルヴィンは馬車の上に乗って追ってくる敵を銃で退ける。
そうして一行は、混乱を極める要塞の中から、命からがら逃げ出した。
人は増えても状況は変わらずで、やはり暗いままのシャール家の屋敷の部屋の隅で、ラスヒィは縮こまっていた。
ミラは今医者とジュードが処置を施しているらしいが、あの怪我ではどうなるかわからないと言っていた。
精霊の主でも死ぬことがあるのだろうか? いや、確かいつぞやの巫子さまの言う限りでは、精霊は死なないんだったか。……どちらでもいいが。
ドロッセルは予想よりも遥かに落ち着いた様子でクレインが死んだことを聞いていた。
連れ去られた際に耳にしていたらしいが、しっかりしているのか、それともまだ実感が湧かないのか。
可哀想にと、ラスヒィはどこか他人事のように思った。
疲れたからか、それとも、ナハティガルに傷一つ付けられなかったからか、何もやる気が起きない。
頭の中も、まるで記憶喪失にでもなったかのようにスッカラカンで、言葉一つ浮かばない。
故にラスヒィはただ人形のように、窓から差し込む光を眺めていた。
「……旦那」
床に座り込んでいるラスヒィの前にやって来たアルヴィンが、抜け殻のようになっているその様を見て溜息をついた。
呆れているのか何なのか。そこに含まれた意味を探ることすらも億劫で、ラスヒィは聞き流す。
「どうするんだ? ナハティガルを倒すんじゃなかったのかよ」
「…………」
「こんなとこで、そうやってぼーっとしてても、何の解決にもならねーぜ」
「…………」
また溜息。
アルヴィンはラスヒィの体を抱え上げて、近くにあった椅子に座らせた。
が、この前と同じようにそのままガターンと綺麗に後転する。ごん、と鳴った鈍い音があまりにもシュールだ。
だがそれでも顔色一つ変わらず、ラスヒィの虚ろな瞳には何も映らなかった。
笑いは起きない、悲しみも痛みも感じない。アルヴィンに抱き上げられても、触れる肌のぬくもりすら感じられず、ラスヒィは下ろされたベッドに力なく横たわる。
クレイン。音は出なかったが、唇がそう形作る。
別に何か気持ちを込めて呟いたわけではなく、無意識に出た言葉だった。
それを見ていたアルヴィンは、外に出ないかと誘う。
「ちょっとは気分転換になるだろ。放っておいたらキノコでも生えそうだ」
生えたら取ればいいんじゃないか。
全く意味のない言葉にだけは脳が反応して、どうでもいい解決策を導き出してきた。
だからといってこれっぽっちも面白くはなく、ラスヒィはアルヴィンに連れられるがままに、カラハ・シャールの名物でもある大風車の前にやって来る。
────こんな大きな風車、誰がどうやって作ったんだろう?
クレインにそう尋ねる幼い頃の自分が、ラスヒィの目には見えた気がした。
暖かい風が頬を撫でて、大風車がゆっくりと回る。
それは時が流れている何よりの証拠だったが、自分だけがその時の中から弾かれているような気がして、ラスヒィは目を伏せる。
「……ナハティガルのことは、もういいのか?」
「よくなくても……私には、どうしようもありません……言葉でも力でも、あの人を止めることが出来なかった。憎くて仕方なかった筈なのに、何も……っ」
「まあ確かに、旦那一人じゃ、出来ることなんてたがが知れてるだろうよ」
目の前を無邪気な子供達が駆けていく。
遠い昔には自分もあんな風に、クレインやドロッセルとこの街を駆け回っていたのに。
「旦那、まだナハティガルを倒したいと思うか?」
「…………」
「思うなら、俺から一個提案がある」
「…………?」
アルヴィンは真剣な顔でラスヒィに向き直って、どこかで買ってきたのか、細身の長剣を差し出した。そしてそれを握らせる。
「戦う意思があるなら、俺は旦那に手を貸す。ナハティガルと戦う為の力になってやるよ。俺と二人なら、ナハティガルを討つことだって不可能じゃない。必要なら特訓だってつけてやるさ。──どうだ、希望が見えてきたろ?」
希望はクレインが死んでしまった時点で潰えてしまっているので見えないが、勝算なら確かに見えた。
だがそれをして自分に利点はあれど、アルヴィンに何の得があるのだと、ラスヒィは目で問う。
「勿論タダで協力、なんて優等生みたいに優しいことは言わないけどな。でも、旦那の大事なもんは、もう全部なくなっちまったんだろ? なら、どんな対価を払うことになったって、何の問題もねーじゃねーか」
大事なものは、もう、全部。
アルヴィンの言葉を繰り返して、ああそうだと思い知る。
帰るべき場所も、縋れるような友も、護りたい何もかもがもう、自分の元にはない。
壊れてしまった。友も、家も、幸せな時間もなにもかも。
ここに居る自分は何も持たない、哀れなただのガラクタでしかないのだ。
「……どうせそのまま捨てちまうくらいなら、全部俺にくれよ」
周囲の目も気にせず、アルヴィンはラスヒィの体を抱き寄せた。
耳元で囁かれる言葉が、空っぽの脳に呪文のように響く。
「旦那の何もかも、俺にくれ」
一際強い風が吹いて、大風車が回る。
何も知らずにはしゃぎ回る子供達の楽しそうな笑い声を聞きながら、色を失った世界を締め出して、ラスヒィは小さく頷いた。