04.日輪を亡くした月
太陽が沈み、湿原に夜が訪れる。肌寒くなってきたなぁと感じたアルヴィンは、そろそろ潮時かと壁に預けていた体を起こした。
「じーさん、遅くまで付き合わせて悪いな。街に戻ってくれるか」
「連れがまだ来ておらんが、いいのか?」
「いーのいーの。どうせ逃げたか、どっかでくたばってるよ」
幸いなことに、宿には彼の残して行った大量の金がある。
まあ総合的に見て楽な儲け仕事だったってとこかなと、アルヴィンが一人ラスヒィとの旅を終わらせようとしていると、遠くから魔物の悲鳴が聞こえた。
振り返ってみると、そこには剣を振るう一人の男性。
「おいおい、マジかよ……」
まさか本当に戻ってくるとは。
よろめきながらこちらに向かってくるラスヒィは、生きているのが不思議なくらいに傷だらけだった。
夜ということもあって、その光景は軽くホラーだ。
「お疲れさん。やりゃあ出来るじゃねーか」
アルヴィンの近くまでたどり着いたラスヒィは、糸が切れたようにその場に倒れこんだ。
死んだか? と冗談半分本気半分でその口元に手を当ててみると、かすかにだが呼吸が届く。
「酷い怪我だ、すぐ戻って治療したほうがええぞ」
「はは、それまで生きてるかね……」
アルヴィンはボロボロになったその体を担いで船に乗せ、街に着くと適当な医者に手当てを頼んだ。
ここまで死にかけの患者となると治療費も馬鹿にならないだろうが、それこそ彼が換金した分を使えばいい。
どれだけの血を浴びたのか、はたまた流したのか、元からこの色でしたといわんばかりに真っ赤に染まっている衣服は捨てて、新しいものをこれまた彼の金で見繕って着せた。
お陰で金は殆ど無くなってしまったが、まあ元より自分の金ではないので気にはならない。
治療を終えたラスヒィを宿に運んで、アルヴィンも今日は少し疲れたと、彼と同じく寝台に横たわった。
朝。目を覚ましたラスヒィが最初に見たのは、二度目になる宿の天井だった。
起き上がろうとすると全身が痛んで、またベッドに沈む。
ふと何か物足りなさを感じて片目を手で触れば、そこにいつもあったモノクルがなくなっていた。
ああ、そういえば、昨日壊れてそのままだったかと、右目とは色の違うその瞳を隠すように手で覆う。
こんな状態になっても他人の視線を気にしてしまう自分は、神経が図太いのか何なのか。
「起きたか? おはようさん。朝食取っといたから、動けるなら食っとけよ。昼にはカン・バルクに向けて出発するからな」
優雅に朝食を楽しんでいるアルヴィンの言葉に、ラスヒィは何かを返そうとして、やめた。
目のことには気付いていないのか、はたまた興味がないのか。そこには触れてこなかった。
体には血の滲んだ包帯が幾重にも巻かれている。
昨夜のことは途中から記憶が曖昧だが、なんとか生きて帰ってこれたらしい。
「朝のうちにもっかい医者んとこ行って、包帯替えてもらっとけよ」
「…………」
「なんとか言えよ、昨日ので声帯やられたのか?」
笑って言う相手にも、何も感じなかった。
医者ってどこに居るんだろうと、何もない天井を仰ぎながらぼんやりと考える。
そうしてベッドの上で置物のようになっていたラスヒィは、結局アルヴィンに無理やり連れ出された。
医者はしばらく安静にしていた方がいいと言っていたが、アルヴィンが今日この後街を出ることを告げると、替えの包帯と痛み止めを渡される。
「移動するだけでも傷に響きます。外に出るのなら、魔物との戦闘は極力避けるようにしてください」
「わかったよ」
心配そうな医者に代金を支払って、気遣いなど一切ないアルヴィンの手がラスヒィの腕を掴む。
その後は幾分軽くなった財布代わりの袋と少量の荷物を持って、二人は街の外に続く洞窟に向かった。
それを抜けると雪原地帯に入り、凍てつく寒さの雪道を、ラスヒィはいつもと変わりないスピードで歩かされる。
ちなみに医者の言葉など最初から聞く気はなかったようで、アルヴィンは魔物から隠れて進むような配慮は見せず終いだった。
「へえ、一晩で見違えたな」
向かってくる魔物を、すっかり手に馴染んだ剣で薙ぎ払うラスヒィを見て、アルヴィンが感心したように言う。
ラスヒィはそれにもリアクションは返さずに、無言のまま斬り進んだ。
カン・バルクの街が見えた頃には、せっかく綺麗にしてもらった包帯は一部破け、塞がっていない傷口から再び出血が始まっていた。
宿に着くと気が抜けて、ラスヒィの体は休息を欲しがったが、アルヴィンは「行く場所がある」と部屋だけ確保して、またすぐに外に出る。
行く場所、というのがどういう訳か王城で。これには無感情を装っていたラスヒィの心もさすがに動揺した。
「大丈夫だよ。相手はあんたがナハティガルの息子だとは知らないって」
行かない、という選択肢は与えて貰えないらしい。
長い上り坂を歩いていくと、何やら人の行列が見えた。
城の中にまで続いているそれには並ばず、アルヴィンは脇をすり抜けてずかずかと中に踏み入る。
あちこちからの視線も、掴まれた腕や動かしっぱなしの足も痛かったが、ラスヒィは気にするなと自分に言い聞かせて耐えた。
城の前に居る兵にアルヴィンが何かを話すと、そのまま城内に招き入れられる。
いくら顔の広い傭兵だからといって、こんな場所にまでツテがあるものだろうか?
前を行く男の不信感が上乗せされたが、もとより溢れんばかりに疑っていたのであまり関係はなかった。
謁見の間の門番も難なくクリアし、進んだ先に待っていたのは一人の女性。
見覚えのある顔だった。確かニ・アケリアを目指してキジル海瀑を歩いていた頃、突然現れてミラを捕らえたあの女。
「ようプレザ、久しぶりだな」
「……馴れ馴れしく挨拶なんてしないで。今日は何の用かしら」
「ガイアスに報告があってな」
当たり前のように会話するアルヴィンに、予期していたとはいえラスヒィは僅かに衝撃を受けた。
この女性と知り合いということは、やはりアルヴィンはミラ達の────
「来たか」
低くよく通る声が部屋の奥から聞こえて、下降していたラスヒィの視線が持ち上がる。
肩まで伸びた艶のある黒髪に、紅く煌めく鋭い瞳。
王たる威厳を身に纏ったその男のオーラに、ラスヒィは息が詰まるのを感じた。