04.日輪を亡くした月

朝。二人はカン・バルクを後にして、モン高原、シャン・ドゥ、ラコルム街道を渡り歩く。

アルヴィンはいつも通りの調子で喋っていたが、海停に着くまでの道中、ラスヒィが口を開くことは一切なかった。

「次はル・ロンドだ。それが終わればイル・ファンに向かってやるよ。実力もそれなりにはついたみたいだしな」

カン・バルクの宿屋でそう言われ、まだ寄るところがあるのかと辟易したことを思い出しながら、ラスヒィは受付でル・ロンド行きの乗船券を受け取る。
船に揺られている間は、他に客の居ない甲板で、一心不乱に剣を振り回した。

「自主練か? なんなら相手してやろうか」

飄々とした態度を崩さないアルヴィンに、ラスヒィは無言のまま剣の切っ先を向ける。
完全に殺気立っている相手の目に、アルヴィンは「怖いねぇ」とおどけた。

「人一人殺せそうになかった旦那も、そんな顔するようになったか」

「ええ、お陰様で」

「皮肉なこと言えるようにもなったみてーだな。ジュード君が見たら吃驚するぞ?」

なんでここで彼の名前が出てくるんだ。
もう二度と会うこともないだろう少年の優しい微笑みを目蓋の裏に浮かべたラスヒィは、感傷に浸りそうになる己を心中で罵った。

船を下りて街に出てみれば、そこは温かみのある心地よい風景だった。
空は夜域と混ざり合い幻想的な色になっている。

「宿行って休もうぜ、飯もまだだし」

「……用事があるのでは?」

「夜になってからでいーんだよ」

二人はとりあえず街にある小さな宿屋にお邪魔して部屋を確保する。
アルヴィンは宣言通り夜までどこかに行く予定はないらしく、昼食を済ませると部屋でくつろぎ始めた。

「ん? どこ行くんだ?」

「別に。ここに居てもする事がありませんから」

「ふーん。ま、好きにすりゃいーけど? 今はあんまり出歩かない方がいいと思うぜ」

「……どうしてですか?」

アルヴィンはそれには答えずに、部屋に置いてあった雑誌をパラパラと捲るだけ。

そんな忠告をされては行くに行けないではないか。
ラスヒィは悩んだ末にドアの取っ手を放して、ベッドに腰を下ろす。

「あれ、行かねーの?」

「……どっちなんですか」

「俺は別に、行くなとは言ってないけど?」

「そうですか……」

やっぱり出よう。この男と居ると苛々してしまう。

そうして再び立ち上がったラスヒィの腕を、アルヴィンが掴んで引っ張った。
体勢を崩して前のめりになるその体を抱きしめて、耳元で囁く。

「行くなって言って欲しかったのか?」

「誰もそんなことは言ってません」

「行くなよ」

「……知りませんよ、そんなの」

唇が触れ合って、舌で弄ばれてもラスヒィは無抵抗。
もういちいち反応してやることすら煩わしい。

ただあまりに長くしつこいので、横腹に拳を叩き込む。

「昼間から盛らないで頂けますか」

「旦那をどうしようが俺の勝手だろ?」

「私は貴方のそのふざけた時間潰しに付き合ってあげられるほど優しくはないので。どうぞこれでご自由に遊んで来てください」

すっかり量の減った金袋を投げつけて部屋を出ようとするラスヒィの背に、アルヴィンが声をかける。

「そんなに俺と居るのが嫌なら、一人で先に行ってくれてもいーんだぜ? 俺は別に困らないしな」

「────ッ」

バタンッ! と後ろ手にドアを強く閉めると、ロビーに居た何人かが驚き振り返った。
ドアの向こうからはアルヴィンの笑い声がかすかに漏れ聞こえる。

ふざけるな、どこまでも人を馬鹿にして!
ラスヒィはズカズカと大股で歩き港に出て、潮風に当たりながら隅に蹲る。

海の向こうには目的地。すぐそこには船。手には戦うための剣もある。
ナハティガルを殺しに行くためのものなら揃っている、のに。

「……っ、くそ……ッ! なんで……っ!」

押し殺しても嗚咽が口から漏れて、瞳から熱い水が流れ落ちる。

あんな男、すぐにでも殺してやりたいのに。
そう思って浮かんだ顔は二つ。

それでも彼らが居なければ、自分は何も────

「…………っ!!」

なんて、無力で惨めな人間。

壁に拳を打ち付けて、何度も何度も怒りをぶつける。
皮膚が切れて血が流れようとも、硬い壁には傷一つ付けられない。

なんて、無力で惨めな人間。

吹き付ける風がとても冷たく感じて、ラスヒィは己の体を抱き締めた。
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