05.交錯する想い
「……旦那、そんな殺気増し増しで見られると、流石に俺も無視出来ないんだけど」闘技場へ行くには川を渡る必要があるようで、船に乗った一行は暫しの船旅を満喫していた。
とはいえただの渡し舟なので優雅なクルージングとはいかないし、狭いので限界まで声を潜めなければ会話の内容は筒抜けになるような状態だったのだが。
それを理解していながらもどうしても怒りや憎しみを抑えきれないラスヒィは、アルヴィンの言う通り殺意の込もった目で睨みながら言う。
「口を開かないで下さい、私は貴方の声すらもう聞きたくありません」
「どうせさっきの落石でレイア達に怪我させた原因が俺の不在のせいって思ってるんだろうけど、あれは旦那が悪いだろ」
「そんな事は貴方に言われなくとも分かっているんですよ」
「ならそんな目で見るのやめてくれって、流石に怪しまれるぞ」
彼らが知らないだけで、ミラとローエンは二人のそんなやり取りに気付いているのだが。
あくまでもこのメンバーの中ではラスヒィと上手くやっている事にしたいらしいアルヴィンに、怒りの収まらないラスヒィは続ける。
「仮にバレたとして、貴方が困るだけでしょう。私には何の不都合もありません」
「本当にそう思ってるなら、この街で俺と本当は何してたか、ジュード達に聞かせてやればいい」
「……っ」
「ほら、言えないだろ? 旦那はそういう奴なんだよ、口ではどうこう言っても、自分が可愛くってしょーがない」
そんな事はない、そう言ってやりたいのに、ただ拳を握りしめることしか出来ない。
実際、エリーゼとの共鳴が上手くいかなかったのも、今の自分の本質を知られたくなかったからだ。
皆の事を一番に思うのなら、自分の体裁など気にせずアルヴィンがどういう人間かを知らしめるべきなのに、それも出来ない。
人間とは感覚の違うミラに知られるのはまだいい。だが、ジュードやエリーゼ、ローエンやレイアには、知られたくない。
アルヴィンの悪事を止めるどころか、ただ玩具のように弄ばれているだけの自分の現状を知られて、軽蔑されてしまうのが怖い。
「弱さを認めて、全部受け入れちまえよ。そしたら楽になれる」
悪魔のような囁きを、それでもラスヒィは拒んだ。
それは崇高な意思によるものではなく、ただ、心までこの男に屈服したくない――そんな子供染みた反抗心だった。
「その強がりがいつまでもつかね」
「……ナハティガルさえ殺せば、次は貴方の番ですよ」
「いいぜ、受けて立ってやるよ。それまで旦那が生きてればの話だけどな」
船が闘技場に接岸し、それぞれが陸へ上がる中、ラスヒィは差し出されたアルヴィンの手を払い除けて皆に続いた。
「うわー、立派な舞台だね!」
先に到着していたユルゲンスらに先導され、一行は闘技場の会場内へ足を踏み入れる。
円形に建てられた建造物は二階建てで、中心は吹き抜けになっている。その中心へ飛び出したレイアは嬉しそうに先の感想を漏らした。
待合室へ続く道と舞台の間には橋が掛けられており、その他は溝になっている。覗き込めばその先は真っ暗な闇が広がっていた。曰く、昔は敗者をここから突き落としていたらしい。
「そろそろ始めようと思うが、いいか?」
「ああ、始めてくれ」
「それじゃ、私たちは客席で見させてもらうよ」
手合わせの相手は彼らの調教した魔物が四体、こちらは総出で構わないとの事なので、皆が武器を構えた。
「……あれ? ラスヒィさん、武器変えたんだ?」
ラスヒィもそれに倣って剣を鞘から引き抜くと、隣に居たジュードに不思議そうに言われた。
ああそう言えば彼らと居た頃は連弩で戦っていたんだったかと思い出す。
「必要であれば連弩も使いますけどね、最近はこちらを使う方が多いです」
「そういえば、アルヴィンに稽古付けて貰ったって言ってたもんね」
こちらが説明せずとも武器を替えた理由に思い至ったジュードは、その稽古とやらでラスヒィが死にかけたことまでは見抜けず、何の気なしにそう言って魔物へ向かって行った。
まあでも、経緯はどうあれ、彼らと居た頃よりは強くなれたのだろう。お陰で魔物との試合はユルゲンス達の想像を遥かに上回るスピードで終了した。
「いざとなったら出て行こうと思っていたが、必要なかったか」
「あったり前だよー! えっへん!」
「すまなかった、君を見くびっていたようだ」
「ぼくだけー!?」
「ははは、誰が見たってそうだよな」
「むー……、わたしの友達、バカにしないで下さい!」
エリーゼとティポはアルヴィンにむくれて反論したが、この場に居る誰もがアルヴィンと同じ意見だろう。まさかこんな幼い少女とぬいぐるみが魔物と戦えるとは、初対面では思うまい。
ともあれ、一行の戦いぶりはユルゲンス達の期待を裏切らずに済んだようで、無事に選手として本戦に出場する運びとなった。
大会は明日なので、今日のところはユルゲンスの用意してくれていたらしい宿でゆっくりする事になり、来た時と同じく船で街へ戻る。
そうして何事もなく宿には到着出来たのだが、ラスヒィはその見覚えのある外観に硬直してしまった。
「あれ、どうしたのラスヒィさん、入らないの?」
ぞろぞろと連れ立ってロビーへ入っていくジュード達に続こうとしていたレイアが、一人入り口で足を止めたラスヒィに気付いて声をかける。
何でもない、大丈夫だと言葉を返さなければ。だが、口が震えて上手く言葉が紡げない。
だって、此処は、この宿はあの時の――
「大丈夫か旦那? 顔が真っ青だぜ」
レイアと同じくラスヒィの異変に気付いた、というより、最初から彼がこうなることを理解していてその様子を見ていたアルヴィンも、同じように言葉をかけた。
だが、レイアと違って彼の言葉に含まれるのは質の悪い悪戯心だけだ。
ここで大袈裟に反応すれば彼を喜ばせるだけだと理解していても、ラスヒィの身体は宿に入ることを拒む。
「さっきの試合で疲れたか? ならさっさと部屋で休もうぜ」
無理にでも連れて行こうとアルヴィンがラスヒィの細腕を掴むが、当然それは直ぐに振り払われた。
事情を知らないレイアは、おろおろと二人の間で視線を彷徨わせる。
一方、ロビーからその様子を見ていたミラは、流石に知らぬ振りをするのも限界かと一歩踏み出したが、その行く手をローエンが阻んだ。
「あちらは私に任せて頂けませんか、ミラさんはエリーゼさん達をお願いします」
「……お前も気付いていたのだな?」
「ラスヒィさんとはそれなりに長いお付き合いですので、様子がおかしい事くらいは」
「そうか、ならば任せよう。アルヴィンは私が見張っておく」
そんなやり取りを経て、ローエンは入り口で軽い営業妨害になっている三人の方へ。
「皆さん、どうかなさいましたか?」
「ローエン、それが、ラスヒィさんが何だか具合悪そうで……」
「おや、それは大変です」
言いながら、ローエンはラスヒィの額に手を当てる。
原因はそんなことでは無いのだろうと分かってはいるので、あくまでレイアの為のポーズだが。
「熱はありませんね。闘技場で血の匂いに酔ったのかもしれません、暫く外で様子を見ましょう。私が付き添いますから、レイアさんとアルヴィンさんは宿でお待ちください」
「それなら俺が付いてった方がいいんじゃねーか? ローエンだって疲れてるだろ」
「お気遣い有難うございます。ですがそれに甘えていては足腰が弱ってしまいますから」
アルヴィンはいつものようにそんな軽口を叩くローエンを少しだけ訝しんだが、ここで自分が食い下がるのは墓穴を掘るだけだと理解して大人しく引き下がる。
レイアも特に異存はないので、素直にアルヴィンと宿へと消えていった。
「……ラスヒィさん、とりあえず此処を離れましょう」
場にアルヴィンが居なくなったことと、ローエンが来てくれたお陰で、何とか持ち直したラスヒィが謝罪を口にする。
「すみません……、ご心配をお掛けしました。私一人で大丈夫ですから、ローエンさんも休んでいて下さい」
「そうもいきません、ミラさんに任せて欲しいと言って出てきてしまいましたから」
「ですが……」
「何かこの宿に入りたくない理由がおありなのでしょう?」
びくりと身を強張らせたラスヒィに、ローエンが思考を巡らせる。
これまでの彼の様子とアルヴィンの言動から察するに、この宿を嫌がる原因もアルヴィンにある筈だ。
カラハ・シャールで自分達と別れた後、ラスヒィと二人だけでこの街に来たことがあるとアルヴィンは言っていた。その時に何か余程の事があったのだろう。
「無理に聞き出すつもりはありません、ですがその状態では今後の行動にも差し支えるでしょう。この宿に限っての話ならば私も気にはしませんが、貴方の本当の悩みの種はアルヴィンさんなのではありませんか?」
「…………」
「お二人の間に何があったのかは存じ上げませんが、アルヴィンさんとは今後も暫くの間は行動を共にする事になるでしょう。その間ずっとラスヒィさんが辛い思いをし続ける事になるのは、私もミラさん達も望んではいません。解決とまではいかずとも、少しでも貴方が楽になる為に我々が出来る事はありませんか?」
ローエンのその優しく親身な言葉にも、ラスヒィは首を縦に振ることは出来なかった。
「今の私は……、貴方や皆さんにそこまでして貰えるだけの存在では無いんです」
そこに込められた彼の想いを、ローエンはその優れた知能と持ち前の優しさで汲み取ろうと逡巡して、
「私にとってはそうではありませんよ。貴方が自らをどんな風に評しようとも、貴方がクレイン様の大切なご友人である事に変わりは無いのですから」
「……っ!」
クレインの名が出た途端、ラスヒィの表情が歪んだ。
悲しみや苦しみの入り混じった顔で、ラスヒィはそれすらも否定する。
「私はもう、クレインの友人を名乗る資格はありません……!」
一体、何がここまで彼を追い詰めてしまったのだろう。
ローエンもまた同じように悲哀の表情で相手を見ていた。
少なくとも自分の知るラスヒィは、謙虚ではあれどこんな風に過剰に自身を卑下するような発言をする事も、誰かと揉めて周囲に気を遣わせてしまうような振る舞いをする人物でも無かった筈だ。
クレインの事があったとはいえ、それだけでここまで人が変わってしまうとは思えない。
(あまり考えたくはありませんが……、やはりそういう事なのでしょうか)
幾つか可能性として考えられるものはあったが、現状最も有力なのはアルヴィンが彼を虐待していたという線だ。
虐待と言ってもただの暴力では無いだろう、それだけでどうにかなってしまうほどラスヒィはか弱くはないとローエンは知っている。
だから、もっと残虐な痛めつけ方をされたのだろう。彼の最も弱い部分を抉り、自尊心を踏み躙って、アルヴィンはラスヒィをここまで変えたのだ。その行いは虐待というよりも調教に近いのかもしれない。
そう、調教だ。その表現は酷くしっくりくるなとローエンは思った。
アルヴィンの行為はラスヒィを憎んでいるというより、純真無垢な彼にこの世の負の面を刷り込んで黒く染めようとしているかのように見える。
であれば、宿で何があったのかは想像に難くない。
アルヴィンがもしそこいらのゴロツキだったなら、ラスヒィから引き離してしまえば済む話なのだが、彼は今のメンバーにおいて貴重な戦力の要だ。それにミラや自分はともかく、他の皆にとって彼はもう大切な仲間の一人になっている筈。簡単に切り捨てる事は出来ない。
何よりアルヴィンはアルヴィンで、完全な悪人にも見えないのだ。それは長年ありとあらゆる人を見てきたローエンのカンでしかないが、それなりに人を見る目はあるという自負が彼にはある。
アルヴィンはアルヴィンで何かを抱えている、ラスヒィへの仕打ちはその鬱憤を晴らす為か、或いは……
「……ラスヒィさん、貴方は今、辛いことがあまりにも多く重なって、自分を見失っているだけなのです。嵐が過ぎればきっと本来の貴方に戻れるでしょう。ですから、クレイン様を今も大切に思っていて下さるのなら、友人を名乗る資格が無いなどと悲しいことは言わないで下さい」
肩を震わせながら、唇を噛んで必死に涙を堪えているラスヒィに、ローエンは今はもう居ないクレインの事を想う。
彼が生きていれば、こんな事にはならなかったかもしれない。だが、どれだけ嘆いても彼が死んでしまった事実はもう変えようが無い。
自分も、ラスヒィも、ドロッセルも、カラハ・シャールの民も兵も皆、もう彼に甘える訳にはいかないのだ。
「気を強く持って下さい。貴方がそんな調子では、クレイン様も安心できませんよ」
「……!」
ローエンの言葉に、それは困ると漸くラスヒィが頷いた。
それを見たローエンは穏やかに微笑む。
「人生に弊害は付き物です、ですが貴方ならきっと立ちはだかる壁を乗り越えていける筈。それでも一人では難しいと思う時は、諦める前にどうか頼って下さい。……仲間とは、その為に在るのですから」