06.追憶の旅路
ひそひそ声や冷ややかな視線から逃げるように人目につかない路地裏へと逃げ込んだアルヴィンは、へなへなと力なく座り込む。「ったく、勘弁してくれよ……、母さんの耳に入ったらどーすんだ……」
等と愚痴を零しつつラスヒィを見ると、蹲っている相手は今度はボロボロと泣き出していた。
「……はぁ!? いや、なんで泣くんだよ、もう全然わかんねーよ、どういう心境だ?」
ラスヒィは答えず、袖口で零れる涙を拭うだけ。
これは自分が泣かせたのか? 訳もわからずただひたすらに居心地が悪くなるばかりのアルヴィンは、取り敢えず適当に慰めておくかと相手の身体を抱き締めたのだが、直ぐに両手で突き飛ばされてしまった。
「貴方のせいでこうなっているのに、どの面下げてそんな事をしているんですか」
嗚咽混じりにそんな叱責を受けたので、「じゃあ先に行ってるから、落ち着いたら来いよ」とその場から去ろうとすれば、足を掴まれる。
「貴方のせいでこうなっているのに、知らぬ顔をして立ち去るなんてどういう神経をしているんですか」
「じゃあどうすりゃいいんだよ!?」
「悪いと思っているのなら誠意を見せてください」
「誠意って……イスラみたく土下座でもしろってか?」
「謝罪より、ちゃんと説明をしてください」
「……何の」
「私への仕打ちに対する理由の説明です」
「……別に、んなもんねーよ。ただムシャクシャしたからやっただけで」
「本当にそれだけですか?」
涙に濡れた赤い目で見上げられて、アルヴィンは簡単に振り解ける筈の足を掴む手に捕らえられたまま、その場に立ち尽くす。
「レティシャさんは、貴方は優しい人だと頻りに言っていました。優しい人は、ただの八つ当たりであそこまでしません」
「……母さんが言ってるのは昔の俺の話だろ、今の俺は……」
「レティシャさんは、今の貴方の事も含めて言っているんです。貴方がそんな風になったのは自分のせいだと」
アルヴィンは目を見開いて息を飲んだ。
その動揺を悟られまいと、いつもの様な作り笑いを浮かべる。
「まさか。俺が息子だとすら分かってなかったのに、そんな事言う訳――」
「本当なんです。……貴方のことをとても心配していましたよ。自分のせいで、やりたくもない事を強いていると。一人で背負い込まずに、甘えられる誰かを見つけて欲しいと」
「…………嘘だ」
「嘘じゃないです、だから私が今こんなに必死になっているんじゃ無いですか!!」
ラスヒィは出来るのなら、彼女が余命幾ばくもない事を、アルヴィンに伝えたくて堪らなかった。
本当なら、傍で彼の過ちを叱る事も、彼を慰める事も、レティシャ自身がやりたい事の筈なのだ。
なのにそれを、今日出会ったばかりの見ず知らずの自分のような者に、息子を嫌いだとまで言った自分のような者に頼んでまで譲らなければならなかった。
それがどれ程悔しくて不安な事か、子を持たない自分でも少しは想像出来る。
残り少ない日々を息子と過ごしたい気持ちもあるだろうに、彼女はそうしない。
少しでも多くの人と出逢えるように、他の誰かと良い関係が築けるように。自分が居なくなった後、彼が寂しくならないように。
そうやって僅かでもアルヴィンが幸せになれるようにと願い、悲しみを和らげたい一心で、何も言わずに居るのだろう。
「……私は貴方の事が嫌いです、許せないし腹が立つ。でも、レティシャさんは貴方の幸せを願ってるので、私はそれを叶えてあげたいんです」
「……よくわかんねーよ」
「貴方は私の事を理解しなくてもいいですから、とにかく説明して下さい。私に対する態度だけは、どれだけ考えても話を聞いても納得する答えが出なかったんです、納得させて下さい」
「んな無茶苦茶な……、旦那が納得出来るような理由なんかねーって」
「それでも、話して下さい」
「…………」
「アルヴィン」
食い下がるラスヒィに観念して、アルヴィンはその場に座った。
「……俺は元々、いいとこのお坊ちゃんだったんだよ。旦那程じゃ無いけど、割と不自由なく裕福な暮らしをしてた。けど、ガキの頃に家族で乗った旅客船が事故に遭っちまってな。父さんは死んで、母さんはああなっちまった」
そう切り出したアルヴィンに、もう逃げないだろうと思ったラスヒィは、アルヴィンの足を掴んでいた手を離して彼の隣に座り直す。
「豪華な暮らしが一転してジリ貧生活だ。旦那が知ってる事の他にも色々と悪どい事をやって、何とかして生き延びてきた。……でも、そうしてると次第に周りの奴らが恨めしく思えてきてな。どうして俺だけがこんな目に遭わなきゃいけなかったんだろうって。そんな風に思う事も含めて、自分が惨めで情けなかったよ」
「……それで?」
「旦那を初めて見た時、ああ昔の俺みたいだなって思ったんだ。世の中の薄汚れた部分も、人の醜い感情も何にも知らずに、平和な世界で育ってきた無知な人間だなって。その後全部失って荒んじまう所まで、ものの見事に似通ってた。……それを見た時、可哀想にって思う反面、ちょっと嬉しかったんだ。ああ、俺だけじゃ無かったんだって。俺だけが特別運に見放されてる訳でも、心が弱い訳でも無くて、誰だって俺みたいになる可能性があるんだなって」
「…………」
「最初は優等生にも同じように思ってたんだけどな、あいつはどれだけ不運に見舞われても早々に受け入れて立ち直っちまうだろ? その点、旦那は割と拗らせてたからな、見てて安心するっつーか」
「…………」
「この話やめるか?」
「いいです聞きます続けて下さい」
不機嫌な顔になりながらも即答するラスヒィに、アルヴィンは「頑固だねぇ」と笑う。
「これまではずーっと、俺以外の何もかもが綺麗に見えてたんだ。汚れてんのは自分だけって気がしてた。でも、旦那はもしかしたらコッチ側に来てくれるんじゃないかって、引っ張り込めるんじゃないかって思っちまった。それも昨日今日の旦那を見てると無駄だった気もするけどな。旦那に酷いことして来たのはそれが理由だよ」
「……つまり?」
「つまり……って、だから……旦那を俺の同類にしたかったんだよ」
「なんでですか?」
「なんでって……、それは……」
「それは?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………もしかして独りで寂しかったからですか?」
「そう言われるとすげーガキみたいに聞こえるからやめてくれ」
成程、やはりレティシャの言い分は正しかったらしい。
納得はしていないが理解は出来たラスヒィは、項垂れているアルヴィンに語りかける。
「アルヴィン、人はどれだけ似せようとしても、完全に同じものにはなれないんですよ。自分の気持ちと完璧に同調してくれる人なんて何処にも居ませんし、足並みを揃え続ける事だって出来ません。それは誰だって同じですよ」
「…………」
「だから、多くの人はその寂しさを紛らわせる為に、友達や恋人や家族を作るんですよ。――昔読んだ本にそう書いてありました」
「受け売りかよ……」
「ですから貴方も私に無意味な嫌がらせをするより、友達を増やしたり恋人を作ったりした方がいいです。……そういう相手居ないんですか?」
「恋人なら居たよ。けど、互いの仕事上、どうしても敵対する事になっちまうからな」
「友達は?」
「故郷には居た。あとはビジネスライクな関係の相手なら幾らでも居るんだけどな、経歴不詳の裏切りキャラとプライベートでまで仲良くしようとする奴はいねーよ」
「ならちゃんと全部話せばいいじゃないですか」
「嫌だね。どうせ脅しの種に使われるのがオチだ」
「……貴方結局ただの人間不信なんじゃないですか?」
「そうかもな。でも、それくらい疑り深くなきゃやって行けねーって」
それはそうかもしれないが。それじゃあ、いつまで経っても幸せになんてなれる筈が無い。
頭を悩ませるラスヒィに、アルヴィンは控えめに声をかける。
「……なあ、俺からも一個聞いていいか?」
「なんですか?」
「なんで急に母さんの見舞いに行く気になったんだ?」
最近のラスヒィは何を考えているのか分からない。アルヴィンはそれを少し恐ろしく思っていた。
嫌いだと言うのなら関わらなければいいのに、ローエンと話してからというもの、彼はやけに深入りして来ようとする。警戒したり弱みを握ろうとしているだけかと思いきや、こちらを気遣ったり心配する素振りまで見せる。
見舞いの件も何か裏があるのだろうと疑っていたが、結局本当にただ見舞いに行っただけだ。今こうして嫌がらせの真意を問い質している理由も、アルヴィンには分からない。
「……貴方を許したかったんです。その為の理由が欲しくて」
「……何だよそれ。俺は、別に許して欲しいだなんて思ってない」
「私が疲れるからですよ。誰かのことを恨み続けるのは疲れます。憎しみに囚われていると、いつもなら感じられる筈の喜びすら感じられなくなる」
「…………」
「貴方もそうなっているように見えます。貴方は、自分の気持ちに正直になる練習をすべきです。今のままでは、貴方の事を理解して寄り添ってくれる人すらも遠ざけてしまう。勿体ないですよ」
「……練習ったって、具体的にどーすんだよ」
ラスヒィは口に手を当ててうーんと考えた後、いい事を思いついたといった風にぱっと顔を上げた。
「なら、私が練習台という事でどうですか? 私は今日から貴方の友人という事で。仮ですけど」
「……仮?」
「あくまで練習台なので。貴方がいつか心から大切だと思える人が出来るまでの繋ぎです。いざって時に失敗しないよう、模範的な人付き合いというものを私で練習して下さい」
「……なんで旦那がそこまでするんだよ、俺の事なんか放っときゃいいだろ」
「本当に放っておいていいんですか?」
黙り込んでしまうアルヴィンに、ラスヒィは苦笑。
「どちらにせよ、私はレティシャさんに貴方を任されましたので。善処すると答えてしまいましたし、言ったからにはやれるだけの事はやります」
「……また旦那に酷いことするかもよ? 裏切ることだってあるし、都合の悪い事は黙ってるかも」
「その時は叱ります」
「それだけ?」
「それだけ」
「やめろって言わないのか?」
「そんな簡単にやめられる事なら最初からやらないでしょう、貴方は」
「……そりゃ、そうだけど」
「さて、そろそろミラさん達と合流しましょう」
立ち上がり軽く服を叩いて砂を落としたラスヒィは、座り込んだままのアルヴィンに手を差し伸べた。
「知ってて止めないなら、旦那も共犯って事になっちまうぜ」
「そうですね」
「そうですねって……」
「貴方は私にそうなって欲しかったんじゃ無いんですか」
ほら行きますよ、と催促されて、アルヴィンは躊躇いがちにラスヒィの手を掴んで立ち上がった。