07.そして地獄の門が開く
(……あれ? もう治療は終わったのでしょうか)ローエンとの話の後、アルヴィンの容態を伺いに彼が居るはずの部屋を訪れたラスヒィは、誰も居ない室内を見て、開けたばかりの扉を閉じた。
屋敷の中に姿が無かったので、外に出て探してみれば、街の広場にある巨大風車を一人で眺めているのを見つける。
「アルヴィン、怪我はもう良いのですか?」
「ん? ああ。あの時は、旦那とエリーゼを放って行っちまって悪かったな」
「死ぬかと思いましたよ。何とかなったから良かったものの……まあ、状況が状況でしたから、仕方が無かったのかもしれませんけど」
アルヴィンが出ていかなければ、ジュードは怪我では済まなかったかもしれない。
その点は彼の行動は褒めるべきかもしれないなと思いながら、ラスヒィは彼の隣に並ぶ。
「……で? 俺になんか用?」
「え? いえ、用というか……怪我の具合はどうかと聞きに来ただけなんですが」
本当にそれだけの理由らしい相手を、アルヴィンはしげしげと観察。
「他の奴らは、大体気まずそうにして避けてるぜ。まあ、ミラはいつも通りだが」
それが先の裏切りのせいだというのは明白で、アルヴィンはラスヒィもそうするのでは無いだろうかと思っていたのだが、予想に反して普通に話しかけてきたことに驚いたと素直に明かす。
「特にここじゃあな。俺と居ると、色々と嫌なこと思い出すんじゃねーの?」
「……クレインの事ですか?」
「それもあるし、それからの事もあるし」
確かに辛いですけど、と、かつてと同じように、ラスヒィは回る風車を見詰める。
「目を背けても、現実が変わるわけじゃありませんから」
「……耳が痛いな」
「え?」
「なんでも。まあとにかく、俺はもういつでも行けるぜ。つっても、ワイバーンの方はまだみたいだが」
ミラとジュードを乗せていたワイバーンの治療は、ドロッセルが手配してくれた調教師──しかもワイバーンではなく馬の──が行ってくれていた。
専門外の事を任されて悪戦苦闘している男の姿を遠巻きに見て、アルヴィンとラスヒィは苦笑する。
「でも、ドロッセルは頑張ってるみたいだな。領主が突然居なくなって、もっと皆混乱してるかと思ったが……」
「そうですね。私も驚きました。ローエンさんも居ない中で開戦の噂まで届いて、もっと取り乱しているのでは無いかと思っていましたが……想像よりずっと落ち着いていましたよ」
自分達の来訪も予期せぬ事であった筈なのに、医師の手配や住民の避難誘導など、とてもスムーズに行っていた。
クレインの傍で、彼の働きぶりを見てきたお陰なのかもしれないが、それ以上に、彼女自身の弛まぬ努力の賜物なのだろう。
「……人の上に立つ者というのは、斯くあって欲しいものですよね」
民を想い、民の為に戦う、優しさと強さを兼ね備えた人物。
自分やナハティガルは、遠くそれに及ばない。
そんな気持ちから出たラスヒィの言葉に、心中を慮ったアルヴィンが問う。
「旦那はどうしたいんだ?」
「……正直なところ、分からなくなっているんです。ナハティガルを討つ事が最善なのかも、自分はそれをしたいのかどうかも……」
クレインが殺されて直ぐの頃は、ナハティガルへの怒りと憎しみで頭が一杯だった。
だからこそ、彼を討つという事に迷いも無かったが、以前よりは冷静に物事を考えられるようになった今は、その覚悟が揺らいでいる。
「ナハティガルが居なくなれば、救われる者は多く居るのでしょう。ですが、それだけで全てが丸く収まる訳でも無い。王を失った後のラ・シュガルがどうなってしまうのか……考えれば考えるほどに不安になるんです」
「かと言って、ナハティガルを野放しにも出来ない、と。ミラはクルスニクの槍さえ壊せりゃそれでいいのかもしれねーが、旦那はそうもいかねーよな」
「槍を無くしても、戦争が無くなる訳ではありませんからね。攻め込んでくるア・ジュールに対して、王も兵器も失ったラ・シュガルがどこまで対抗出来るのか……」
「まあ、普通に考えりゃ負け戦になるな。んで、ガイアスがラ・シュガルも制圧して、リーゼ・マクシアの王になる、か……でも良いんじゃねえ? ガイアスはナハティガルよりはマシだろ」
「……確かに、彼は父よりは人道的な人に見えましたね。政治的手腕も人望もあるみたいですし……私としても、ガイアス陛下に任せられるのなら、その方が気が楽です」
けれど、それはただ己の成すべきことを、彼に押し付けているだけなのでは無いだろうか。
民の安全や平穏な暮らしが保証されている訳でも無いのに、抵抗もせずにラ・シュガルを明け渡してしまって、本当に良いのだろうか。
(それに、先程ローエンさんから聞いた話が本当なら……父が力に溺れるようになった原因が、大切な人の死にあるのなら……私は……)
力によって全てを奪われた彼が、今は力によって全てを奪っている。
そんな彼の行いを力で解決してしまっては、同じ事の繰り返しになるだけなのではないだろうか。
「私は……ナハティガルをただ殺すのではなく、彼を正しき道に連れ戻したい」
ラスヒィは漸く見出した己の成すべき事をアルヴィンに告げた。
そして、彼に手を差し出す。
「手伝って貰えますか? アルヴィン」
「殺さずに改心させるのを、か? 俺はそういうのは得意じゃねーんだけど」
「大丈夫ですよ。これまで通り、一緒に戦ってくれればいいんです。傭兵の契約はそれで満了、という事で」
「ふーん。ま、旦那がそれでいいんならいいけど」
「はい、宜しくお願いします」
迷いが消えて、晴れやかな顔で握手を交わすラスヒィに対し、アルヴィンは浮かない顔。
「……結局、綺麗な奴はどこまで行っても綺麗って事だな」
汚せるなどと考えた自分が馬鹿だった。
この街から始まったありとあらゆるラスヒィへの嫌がらせじみた行為を思い返しながら、アルヴィンはそう独りごちる。が、それを聞いたラスヒィは反論。
「貴方の言う綺麗がどんなものかは知りませんけど、私はもう以前の私と同じではありませんよ」
「どこがだよ。おたくは何も変わってねーよ。理想を目指してひた走る優等生達と同じ、強くてお優しい人間だよ」
自分はそうではないと言いたげなアルヴィンに、また拗ねてるとラスヒィは眉尻を下げて笑う。
「だとしても、同じでは無いんです。貴方のお陰で、私は色んな事を知りましたから」
「何だよ、嫌味か?」
「半分はそうです」
「……まあ、確かに、出会った頃の旦那は、ここまでキツくは無かったな……」
「強くなったでしょう?」
「強くなったっつーか、手強くなったっつーか……」
かつてこの場所で抜け殻になっていた男が、よくもまあここまで立ち直ったものだと、アルヴィンは感心してしまった。
彼を立ち直らせるつもりなど毛頭無かったのだが。
「あーあ。また俺一人だけ置いてかれちまうな」
「置いていかれるのが嫌なら、貴方も走ってついて来ればいいじゃないですか」
「俺は旦那達みたく根性ある人間じゃねーの」
「そうですか? 貴方は大した努力家だと私は思いますけど……」
もし自分がアルヴィンの立場だったなら、きっと早々に心が折れて、全て投げ出してしまっていただろうとラスヒィは思った。
ここ最近の嫌な出来事に対し、泣くか自暴自棄になるしか出来なかった自分に比べれば、子供の頃から死に物狂いで母親を支え続けてきたアルヴィンの頑張りは素直に尊敬出来る。
「貴方は頑張り屋さんですから、その気になればきっと大丈夫ですよ」
「頑張り屋さんって……ガキじゃねーんだから……」
そう苦笑しつつも、アルヴィンは目を閉じてラスヒィの肩に額を乗せた。
「アルヴィン?」
「ちょっと疲れた。……色々あったからな」
色々。その一言には、一体どれ程の出来事が含まれているのだろう。
疲れたという言葉が指しているのは、ただの肉体的な疲労の事では無いのだろう。
少しくらいは甘やかしてもいいかと、ラスヒィは珍しく素直な男の背をポンポンと優しく撫でる。
「……はは。そうやってすぐ絆されるから、俺みたいなのに利用されるんだぜ、旦那」
「…………」
「ほんっと、お人好しだよな。こうやって弱ってるとこ見せりゃ簡単に───」
「アルヴィン」
怒るでも呆れるでもない、冷静なラスヒィの声に呼ばれて、勝手に動いていたアルヴィンの口が止まった。
「ここには、誰も居ませんから。貴方を傷付けようとする人も、利用しようとする人も。だから……言わなくていいんですよ」
弱い自分を守る為の盾。
弱肉強食のこの世界で、生き残るために唱え続けてきた数々の言葉。
「私は何も言いませんから。貴方も、今は何も言わないで下さい」
虚勢を剥がされるのが嫌で、素顔を晒すのが怖くて、アルヴィンはそれを笑い飛ばそうとした。
けれど吸い込んだ息は、何にもならずにそのまま吐き出される。
優位に立っていなければならないのに。
弱さを知られてはいけないのに。
心の奥を覗かれるのは、恐ろしいことの筈なのに。
「……ほんと、手強くなっちまって……」
アルヴィンは自身のささくれ立った心が、少しずつ凪いでいくのを感じた。
思い通りにならなかった事は悔しいが、これはこれで、自分が求めていたものなのかもしれない。
「──なあ旦那、俺も一つ頼みがあんだけど」
暫くして、元の調子に戻ったアルヴィンは、徐にそう言った。
ラスヒィが何かと問えば、首にぶら下げていたネックレスを取り出す。
「これ、このまま俺が持ってたいんだ」
ペンダントトップになっているのは、旅の始めに報酬にと渡した、ラスヒィの名入りの指輪。
「改めて確認を取らなくても、元よりそのつもりで渡していますよ?」
どうして今更そんなことを聞くのかと不思議がるラスヒィに、アルヴィンは感謝の言葉だけを返す。
仮の関係だとしても。故郷に帰っても、ずっと忘れない。
アルヴィンは換金するつもりの無くなったその指輪を、失くさないよう大切に仕舞った。