07.そして地獄の門が開く
「……あれ? なんだか警備が手薄じゃない?」王宮の玄関が望める場所まで来たところで、立っている兵士の数を確認したレイアがそんな感想を漏らした。
確かに、見える場所に立っているのはたった四人だけ。
研究所の騒ぎを加味しても、王宮の護りとしては心許ない数だ。
「普段からこうなの?」
「私も外の警備の数まで把握している訳では無いので、ハッキリとした事は言えませんが……平時なら、中には大勢居ますよ」
「ですが今は戦の前ですから、城に居た兵も多くはそちらへ移動しているかもしれません」
「戦いが迫ったら、王宮の護りは厚くなるんじゃないの?」
「元々イル・ファンは、南北を要害によって護られてはいますが、決戦都市としては造られていません。街の内部にまで突破されれば敗戦は濃厚です。ですから、戦時下は兵の大半が街を離れ、海上の防衛とガンダラ要塞に配置されるのです」
「成程な。つまり、それだけ開戦が迫っているという事か。時間を無駄には出来ないぞ」
「増援が来ないなら、このまま突破したいところだけど……」
「突破も何も、旦那が居るんだから、わざわざ戦う必要も無いんじゃないか?」
「……そうですね。任せて頂いても宜しいですか?」
皆の了承を得て、ラスヒィは一人堂々と兵に歩み寄る。
接近して来た人影に兵達は一瞬身構えたが、それが誰であるかに気付くとすぐに武器を下ろして敬礼。
「ラスハイルト殿下! ご無事でしたか……!」
「ああ。何も告げずに城を出て、君達にまで苦労をかけてすまなかった。父は中に?」
「はい。ア・ジュールとの決戦に備え、ジランド参謀副長と軍議の最中です」
「そうか。実はその件で、父の耳に入れておきたい話がある。中に入れて貰えるだろうか」
「勿論です、どうぞこちらへ」
「ああ、案内は要らないよ。それから、実は連れが居るんだ。彼らも一緒に」
ラスヒィはそう言って、後方で待機していた仲間達を手招き。
兵はその先頭を歩くミラとジュードを見て思案する。
「あの二人……どこかで……? 殿下のご友人ですか?」
「そうだよ。因みに、その後ろに居られるのが、かの高名な参謀総長殿だ。長く前線から退いておられたが、此度の開戦の報せを受けて、直々にいらして下さった」
兵の気を逸らす為にラスヒィがそうローエンを紹介すると、目論見に気付いたローエンも話を合わせて兵士に挨拶をする。
「ローエン・J・イルベルトと申します。殿下の要請に従い、ラ・シュガルの窮地を救うべく馳せ参じました」
「まさか、指揮者イルベルト殿……!? もしや殿下のご不在の理由は、今回の戦を見越してイルベルト殿を呼び戻す為に……!?」
ただの家出がそんな扱いになるのは心苦しいが、結果的にはそうなったのでギリギリ嘘では無いだろうと、ラスヒィは笑顔で誤魔化した。
兵はいたく感銘を受けながら、どうぞどうぞと城の中へ皆を通す。
「あっさり入れちゃいました……」
「旦那、意外とこういうの得意なんだな」
「別に得意という訳では……穏便に済ませる為に、必死に知恵を絞ったんですよ。罪のない彼らを叩きのめすのは一度で十分ですから。ローエンさんも、フォロー有難うございました」
「いえいえ。こちらも助かりましたよ」
「へーっ、お城の中ってこんな風になってるんだ〜!」
興味津々な様子のレイアと共に中を見渡したジュードは「ローエンの読みが当たってたみたいだね」と、兵の姿が殆ど無いことを皆に知らせる。
「好都合だ。今の内に槍を探すぞ」
「ナハティガルもここに居るんだよね?」
「そのようです。父は恐らく、最上層の謁見の間に居るでしょう」
「なら、そっちを優先しようぜ。槍の在り処はナハティガルに吐かせりゃいい」
「ふむ。ならばラスヒィ、案内を頼めるか」
「ええ。逸れないようについて来て下さい」
一行は三層に分かれた王宮内を、蓮華陣──各所を繋ぐ転送魔法陣──で速やかに移動する。
巡回している兵士は柱の陰などでやり過ごして、辿り着いた最上層の大きな扉を、ラスヒィが深呼吸して開ける。
予想した通り、ナハティガルはそこに居た。
玉座の前に傅いていた参謀副長のジランドは、槍の見張りを命じられて足早に退室。
ナハティガルは一人立ち上がり、一行と相見える。
「来たかマクスウェル。まさか、あの怪我から復活するとはな」
「……ナハティガル」
「イルベルト、主である儂に本気で逆らうのか?」
「私の主はクレイン様、ただお一人だけです」
「クレイン? ……ああ、あのシャール家の倅か。ラスハイルトだけでなく、お前まで手懐けるとは。末恐ろしい男よ」
「────ッ! ナハティガル!!」
ラスヒィは剣を抜いて、怒りのままに地面に叩き付けた。
だがすぐにここへ来た目的を思い出して、昂った感情を理性で静める。
「……父上。何故クレインを殺したのですか。何故、無辜の民を傷付けるのですか。何故、黒匣などという恐ろしいものに手を出してしまったのですか……」
「まだ言うか。ならば逆に問おう。貴様は、力以外に何が必要だと考える?」
「それは……無数にあると思いますが……強いて言えば、命を尊び、他者の痛みを理解し、悲しみに寄り添う人の優しき心こそが、重要なのでは無いかと思います」
「人の心? 優しさ? はっ! 貴様が外で学んだものはそんなものか、ラスハイルト」
「そんなものって……大事なことじゃない!」
思わずそう声を上げたレイアとラスヒィを見下ろして、ナハティガルは嘆息。
「それが何の役に立つ? 貴様の言うその人の心や優しさとやらで、貴様は何かを護れたのか?」
「……それは……」
「それが答えだ。貴様のように綺麗事をただ並べているだけの者は、力ある者に全てを奪われる。今の貴様がそうであるようにな」
──確かに、ナハティガルの言っている事は正しい。
自分は、何よりも大切だと思っていたクレインを護れなかった。
彼が死んだのは、己に力が無かったせいだと、今でもそう思っている。
けれど彼を死なせたのも、その力だった。
彼を護る為に自分に出来る事があったとすれば、それは力を得る事だけでは無い筈だ。
そして今、次の犠牲を出さない為に、自分に出来る事も同じ。
ラスヒィはナハティガルの目を真っ直ぐに見つめ返して答える。
「私は、力が全てであるとは思いません。己の意志を貫くことも、大切なものを護ることも……もっと別のやり方がある筈です。私は、それを貴方に示す為に来ました」
「そうか。ならばその逆上せ上がった考え、儂が力で叩き潰してやろう。──イルベルト、貴様はどうだ。今ならば許してやる、儂の元に戻って来い!」
そんな誘いを受けたローエンは、変わってしまった旧友をただ悲しげに見遣る。
「あの頃、貴方の内に見た王の器は、すっかり陰りを見せてしまった」
「ふん。儂以外に、王に相応しい者など存在せぬ」
「……まだ分かっていない様だな。人を統べる資質とは何かを」
「資質など王には無縁。王は、生まれ出ずる時より王よ」
「だから民を犠牲にしてもいいと?」
「そうだ。それが儂の権利だ。精霊も今に支配してみせよう」
「人も精霊も、貴方なんかに支配されたりしない!」
「小僧が……マクスウェルと連んで、すっかりつけ上がりおって」
「僕のことは何とでも言っていい……でも、ローエンやラスヒィさんが貴方の事でどれだけ悩んだのかも、理解してあげられないの!?」
そんな風に思ってくれていたのかと、ラスヒィはローエンと一緒にジュードを見る。
この子は本当に、他人の心の機微に鋭い子だ。
アルヴィンとの仲をずっと気にかけてくれていたのを思い返しながら、ラスヒィは微笑む。
「民が悩むなど当然、貴様らに安穏と生きる権利など無い! 儂の為に命を費やせ! それが儂の民たる者の使命だ!」
だが、ナハティガルのその言葉を聞いて、すぐに表情は曇った。
ミラも「救いようが無いな」と言って、鞘から剣を抜く。
その様を見て、ナハティガルも携えている槍を掲げた。
「……時間の無駄だった様だな。今、全てを終わらせてやる」
その言葉と共に、部屋の天井からその槍に向けて、膨大なマナが渦を巻いて流れ込み始めた。
光を放つそのマナが、霧散したハ・ミルの村長と同じであることに気付いたラスヒィは、漸く理解する。
ガンダラ要塞でジランドが言っていた、「クルスニクの槍に繋いだ者達」という言葉と、先程研究所で見た、円筒の中に閉じ込められた人々。その意味を。
「クルスニクの槍が吸収した、マナの部分転用よ」
多くの人の命を奪うその技術を誇らしげに語る父の姿を見て、ラスヒィは剣の柄を握る手に力を込めた。
やっぱり、違う。間違っている。
彼のやり方は間違っている。
「私は、貴方を同じ道を歩む友だと思って居ましたが……どうやら、もう引き返す道は無いのですね」
「お前みたいに考えられたら、どんだけ楽だろうな。──だけどよ、正直付き合ってらんねーわ。裸の王様さんよ!」
「こんな人が自分達の王様だなんて、信じらんない! 絶対、変わって貰うから!」
「ジュードやミラ……みんな……友達を、守ります!」
「やるぞー! 敵討ちだー!」
「貴方の野望も終わりだ! ううん、ここで終わりにしなきゃ!」
「覚悟しろ、ナハティガル!」
そう言って、仲間達が順に武器を構えた。
マナを帯びた武器を手に、ナハティガルはそれらを見る。
「──最後だ、ラスハイルト。貴様は、王に必要なものは何と心得る?」
ラスヒィは、この城を出た時には持っていなかった剣の切っ先を相手に向けた。
これも力だ。ナハティガルが固執し、一番だと謳うもの。
確かに、これの有難みは、身に染みて良く知っている。
だが、自分はこれ以上に大切なものを知っている。
何の為に、この剣を握ったのかを覚えている。
その想いこそが、自分をここまで連れてきたのだと知っている。
ラスヒィは息を吸い込んで、もう一度、同じ答えを返した。
「命を尊び、他者の痛みを理解し、悲しみに寄り添う──人の、優しき心です!!」