07.そして地獄の門が開く
「ぐ……っ!? ああああ……!!」「なっ!?」
「父上!!」
ラスヒィとローエンが駆け寄ると、無数の氷の矢はひとりでに砕け散った。
ナハティガルの目から光が消え、玉座が彼の血で染まる。
「おいおい、どうなってんだ……!」
「何今の、どこから……!?」
「誰もいません……!」
「まさか狙いは……」
「クルスニクの槍!?」
皆は第二射を警戒して構えたが、それ以上矢が飛んでくることは無かった。
氷に塗れ、動かなくなったナハティガルの足元に、ラスヒィが力無く座り込む。
「ラスヒィ……ローエン……」
「……私は大丈夫、行きましょう」
心配するエリーゼに気丈にそう返して、ローエンはナハティガルに背を向けて皆の元へ。
一方、ナハティガルの傍を離れようとしないラスヒィを見て、アルヴィンがミラ達に言う。
「先行っててくれ、後で追いかける」
「……わかった」
「ごめん、宜しくね」
ラスヒィを気遣ってやりたいところだが、槍を奪われてはここへ来た意味が無くなってしまう。
故に彼をアルヴィンに任せて、他のメンバーは先行するミラに続き、部屋の奥にある蓮華陣に向かった。
アルヴィンはナハティガルの遺体に顔を埋めているラスヒィの傍に屈んで、その背中を撫で摩る。
(俺に言えたことじゃないが……あんまりだろ、これは)
誰より一番、ナハティガルのことを恨み憎んでいたのはラスヒィだった。
その彼が、多くの葛藤の末にナハティガルを生かすことを選んだのに。
その決意を横から踏み躙り、幸せになり得たかもしれない親子の未来を奪うとは。
かける言葉も見つからず、アルヴィンは静かにラスヒィに寄り添っていたが、不意にラスヒィが立ち上がった。
「……付き合わせてすみません、行きましょう」
「えっ、もういいのか?」
まだミラ達が出て行ってからほんの少ししか経っていないのにと、さっさと歩き始めるラスヒィをアルヴィンは困惑しつつ追いかける。
「今私がしなければならない事は、死体にしがみついて泣く事ではありませんから」
「そりゃそうだろうけど……」
そんな簡単に割り切れるものでもないだろうに。
横に並んでその顔を覗き込んでみれば、やはり平気という風には全く見えない。
(……それでもまだ、前に進もうとするんだな)
彼は使命の為に感傷を捨てられるミラとは違う。自分は、彼の弱さを知っている。
「……頑張れ、旦那」
転んだ子供が泣くのを我慢しているのを見た時の気持ちになって、アルヴィンの口からは自然とその言葉が零れた。
ラスヒィに驚いた顔を向けられて、アルヴィンは慌てて付け足す。
「あ、いやその、もう十分頑張ってるのは分かってるんだけどな。今よりもっと頑張れって意味でもなく、ただ……」
「分かってますよ、ちゃんと伝わりました」
いつもなら言葉の裏を探るところだが、今の言葉にはその必要もないとラスヒィには感じられた。
足を止めることの出来ない今の自分に、一番必要な言葉。
ありふれた言葉なのに、それは不思議と心に響いた。
「……有難う御座います、アルヴィン」
それに背を押されながら、ラスヒィは冷たくなったナハティガルを残して、アルヴィンと共に謁見の間を後にした。
「すみません、遅れました」
謁見の間から飛んだ先に隠されていたオルダ宮の奥殿、望見の間。
そこに集っていたミラ達は、予想より早くやって来たラスヒィに驚いて振り返る。
「もういいのか?」
「はい。それより、クルスニクの槍は……?」
何も無い部屋を見渡して問うラスヒィに、ジュードが首を振って答える。
「僕達が来た時には、もう無かったんだ」
「そもそも、ホントにここにあったのかな?」
「さっきの戦いで、ナハティガルは槍の力を自分に集めて使ってたんだから、ここにあった筈だよ」
「ジランドが居ない……まさかあいつが……?」
ミラの呟きを聞いて、ラスヒィも考えを巡らせる。
先程ナハティガルを殺めた氷の矢。
ハ・ミルの村長は、事切れる寸前に「皆が氷漬けにされる」と言っていた。恐らく、この二つは同一犯なのだろう。
村人が研究所に居たという事は、その犯人はプレザの言っていた通り、ラ・シュガル軍の誰かで間違いない。
そして槍の見張りを任されていたジランドごと、この部屋がもぬけの殻になっているという事は、彼が氷の大精霊の使い手であり、ナハティガルを裏切った可能性が高い。
「……あのジランドという方は父以上に、槍の力に魅入られているようですね。それほど野心が強そうには見えませんでしたが……」
「…………」
「アルヴィン? どうしたの?」
「何でもねーよ。で、これからどうすんだ?」
「既に運び出されたとなると、場所の特定が難しくなります。一先ず、宮殿の外へ出ましょう」
ローエンにそう促されて、皆は急ぎ王宮を出る。
丁度時を同じくして、街の方面から城へ慌ただしく駆けてきた兵士は、見張りの衛兵達に伝令だと叫ぶ。
「アジュール軍の進行だ! 敵兵力、およそ五万!」
「戦争が……始まった……!」
「五万……大した規模ですね。一点突破するつもりでしょうか」
「殿下!? 戻っていらしたのですか! それにそちらは……イルベルト殿!?」
「ええ、ご無沙汰しております。攻め込まれているのはサマンガン方面でしょうか?」
「いえ。戦場はイルファン北方、ファイザバード沼野です!」
「ファイザバード沼野!?」
「馬鹿な! どの様にしてあの地を攻略するつもりなのですか!?」
ファイザバード沼野は、地下で繋がり流動する沼が広がる荒野だ。
二十年前のファイザバード会戦で大津波の被害に遭って以来、環境が今のように変化してしまい、通り抜ける事もままならなくなっている。
霊勢によっては沼を避けて慎重に進む事も出来るかもしれないが、シャン・ドゥへ向かう途中に出会ったイバルの言葉を信じるなら、今季は霊勢の変化が起きていない筈。
「ア・ジュール軍がどのように進軍しているのかは、未だ不明です」
「大丈夫なの? 兵力はガンダラ要塞や海上に集中してるんでしょ?」
「今から兵を移動させて間に合うかどうか……」
「ご安心下さい。ジランド参謀副長が敵の攻撃を予期し、すでに新兵器を移送中です」
「新兵器と言うのは……」
「クルスニクの槍の事だろうな」
「貴方、この伝令は誰の命令によるものですか?」
「ジランド参謀副長ですが……それが何か?」
何も知らない様子の兵に、ローエンは詳細は語らず有難うとだけ返して、皆と顔を見合わせる。
「父を殺しておいて、素知らぬ顔で伝令を寄越すなんて……」
「何やら裏がありそうだな」
「ですが、今はファイザバード沼野へ急ぎましょう」
衛兵達に見送られて、兵は伝令を伝えに城の中へ。一行は街の外へ。
ナハティガルの死について、兵達にも話をしておくべきなのかもしれないが。
何の権限も持たず、家を出てフラフラしていただけの自分の証言を、果たして彼らは信じてくれるだろうか。
寧ろ、殺害の嫌疑をかけられて拘束されてしまうのではないか?
そんな事になってしまえば、クルスニクの槍の使用を止められる者は誰も居なくなってしまう。
そう思うと告げる勇気は出ず、ラスヒィは敬礼で見送ってくれる衛兵達に背を向けるしかなかった。