07.そして地獄の門が開く
ラ・シュガルとア・ジュールの国境にある広大な沼地、ファイバード沼野。本来であれば自然の要害として機能している筈のその場所に到着した一行は、オルダ宮に入る時と同様に適当な理由を付けて、戦況を聞く為に軍幕に入れて貰う。
「これは、リリアルオーブの反応を拾い、戦局図を見るものです」
「あれ? これだけなんか違うね」
兵の動きに合わせて盤上で動いている正規の駒に紛れて、一つだけ形の違うものがあった。
兵士曰くはクルスニクの槍を模して作った急拵えの駒らしく、ジランド率いる部隊の動きを捉えているらしい。
「詳細は聞かされていませんが、戦局の流れを一気にこちらへと向ける切り札だとか。作戦実行の際に、予定到達点へ出来るだけ部隊を集結させるよう、指示が出ています」
「ふむ……この進路だと、予定到達点はここですね?」
ローエンは地図になっている盤面の一点を指して言った。そこは沼野を一望する事のできる高台。
「は、はい、その通りです。流石ですね」
「……嫌な予感がしますね」
「ああ。クルスニクの槍を使うつもりだろうが……自軍に詳細を明かさない理由が見えない」
「ア・ジュール軍はどのようにして沼野を行進しているのでしょうか?」
「あ、はい。ア・ジュールが開発した増霊極をご存知でしょうか? 敵はその増霊極によってマナを増大させ、自分達の周囲の霊勢を変化させています」
「マナで地の微精霊を大量に召喚し、強引に地場に変えたのですか。なんという奇策……流石ウィンガルといったところですね」
「あの黒髪の方も、ローエンさんと同じ軍師なのですか?」
「ええ。私がナハティガルと共に戦場に出ていた頃から、ガイアスの片腕として名を馳せていました。武人としての実力も確かなものですが、真に恐れるべきはその頭脳です。今回も彼の智恵が遺憾無く発揮されているようですね」
「ラ・シュガル軍はどうやって抵抗してるんですか?」
「我々にも増霊極がありますから。戦場に出ている兵全員に配備し、小隊の一人に霊勢を変化させる者を充てています」
であれば自分達も同じ手を使おうと、ローエンは兵士から増霊極を一つ借り受ける。
エリーゼに任せる事も出来たが、地の術に長けたローエンの方が適任だろうというミラの判断で、それは却下された。
活躍の出番が減って少し残念そうなエリーゼと、それを励ますレイア達を見ていたラスヒィは、アルヴィンの姿が無い事に気付く。
外に出て周囲を探していると、物陰に隠れていたアルヴィンに背後から捕まえられた。
「旦那、なーにやってんの?」
「こちらの台詞です。また諜報のお仕事ですか?」
「相変わらず、聞にくいことをズバッと聞くなあ……流石に俺でも、今このタイミングでガイアス達に寝返ったりはしねーよ。そもそも、あっちも前回の山狩りのせいで、俺のこと信用出来なくなってるだろうしな」
「ならいいですけど……」
ラスヒィは肩に回されたアルヴィンの腕を控えめに掴んだ。
彼は誰のことでも簡単に裏切る人間だ。頼りにするのはリスクが高いと承知してはいるが、それでも。
「……今は、傍に居てください」
消え入りそうな声でそう言われて、軽薄な笑みを浮かべていたアルヴィンはそれを止めた。
ナハティガルを殺さずに止めるという、やっと見つけた使命を果たせず、目の前で父を亡くした彼の心は、今ギリギリの状態で保たれているのだろう。
このままこうして支えていてやりたい。彼の寄る辺になってやりたい。けれど────
アルヴィンは今彼や仲間達に内緒でやっていた事と、これから先自分がやろうとしている事を考えて、奥歯を噛んだ。
「……旦那、この世界と俺と、どちらか一つしか選べないとしたら、どっちを選ぶ?」
悩みに悩んだ末にアルヴィンが発したその言葉の意味は、ラスヒィには分からなかった。
ただの例え話だろうと思ったが、彼の声色はとても真剣なものに聞こえる。
「今の居場所を捨てることになっても……ミラ達と別れる事になっても……俺と一緒に来てくれるか?」
「随分物騒な質問ですね」
「答えてくれ」
余裕が無さそうに、間髪入れずにアルヴィンは言った。肩を抱く腕に力が籠る。
「俺を選んでくれるなら、隠してること全部話す。もう二度と、旦那に嘘も隠し事もしない。一生大事にする。だから……」
一緒に来てくれ、とまでは言えず、アルヴィンはラスヒィを抱き締めた。
クレインを亡くしてすぐの頃にも似たようなことを言われたなと、ラスヒィは思った。
だがあの時と違って、今のアルヴィンからは相手を縛りつけようとする意思も、悪意のようなものも感じない。
弱っているのは自分の筈なのに、アルヴィンの方が何かに耐えているように見える。
「……ずるいですよ、そんなの。どちらかなんて、選べるわけないじゃないですか……」
ラスヒィが落とした視線の先に、ぽたりと雫が零れた。
ポツポツと降り出した雨が、泥濘んだ地面の上で跳ねる。
「逆に貴方はどうなんですか。私の為に、全て捨てる覚悟があるんですか?」
「……それは……」
言い淀むアルヴィンに、ラスヒィは苦笑して、自身を捕らえている腕から逃れた。
「私は貴方に、そこまでの事は望みませんよ。そんな権利もありませんし。でも……」
ラスヒィは肩から下ろしたばかりのアルヴィンの手を両手で掬った。そのまま、強く握り込む。
「せめて今、この戦いが終わるまでは、どうか一緒に居てください」
「……傭兵期間は、ナハティガルとの決着がつくまで、じゃなかったか?」
「はい。ですからこれは、友人としてのただのお願いです。断ってくれても構いませんよ」
「仮の友人の、だろ?」
「それも貴方が決めてください」
アルヴィンは目を丸くして、困ったような顔をしてから、参ったと言わんばかりの顔で笑った。
「旦那の方がよっぽどズルいな」
「そうですか?」
「そうだよ。俺の弱点ばっか突きやがって」
そう言いながらも、アルヴィンはラスヒィの手を握り返した。
「付き合うよ、ラスヒィ」
「あ、その呼び方にします?」
「なんだよ、友達なら別にいいだろ?」
「良いんですけど、実は結構気に入っていたんです、旦那って呼ばれるの」
「ああそう……なら今まで通り呼ぶけど……」
せっかくジュード達と同じ位に上がれたと思ったのにと肩を落とすアルヴィンに、ラスヒィはくすりと笑う。
「まあ、ジュード君達と同じでは無いですね。彼らは貴方のように裏切ったりはしていませんし、私を傷付けたりもしていないので」
「分かった、分かったから。調子乗ってすみませんでした」
「そうじゃなくて。だから貴方は特別って事ですよ」
「……ん? え?」
「あ、居た居た。二人とも、今は勝手に動いちゃダメだよ。声くらいかけてくれないと」
「すみません、すぐ戻ります」
「旦那、今のどっちの意味?」
「はい? 特別という言葉に複数の意味合いは無い筈ですが」
──わざと逸らかしてんのか、マジの天然なのかわからねぇ。
呼びに来たジュードと話すラスヒィを見ながら、アルヴィンは期待に浮ついた心を溜息として吐き出した。
そして、一人曇天の空を仰ぎ見る。
(……出来ることなら、もう少しくらい、こいつらと一緒に居たかったな)
けれど、故郷に帰れる最初で最後のチャンスを、みすみす逃す訳にもいかない。
二十年、今日この時の為にこそ、悪夢のような日々を生きてきたのだから。
アルヴィンは心の中にそんな思いを秘めたまま、目的を遂げる為に、皆と共にクルスニクの槍目指して歩き始めた。