01.其は脱兎の如く
「ご馳走様でした。とても美味しかったです」空になったお皿を置いて両手を合わせて、作ってくれた少年に礼を言う。
ミラは空腹から開放されたかと思えば今度は机に突っ伏して寝息を立てていた。
お腹がいっぱいになって睡魔が来るとは、まるで子供だなとそれに呆れるでもなく思う。
「もしかすると、寝るのも初めてなのかな」
「さっきの、飯食べてなかったってのもそうだが……何者? この娘」
「マクスウェルなんだって。アルヴィン知ってる?」
「マクスウェルだって? そういや旦那も、船でそんなこと言ってたな」
「うん。僕なんか、実体化した精霊をちゃんと見たのも初めて」
「精霊の主、四元素の使い手、最古の精霊。色々な呼び名があるが……この娘が精霊マクスウェル? 嘘だろ……」
「俄には信じがたい話ですけどね」
「そんなに凄い精霊なの?」
「ジュード君は聞いたことはないのかい?」
マクスウェルに関する文献は幼い頃からよく読んでいた。することもなく暇つぶしに読んでいた本がそうだったのだ。
だから自分以外の人間も皆一様にそうやって育ったのだろうとラスヒィは思っていたのだが、どうやら違った様だ。
「そんなミラが壊そうとしてるものって、何なんだろう……」
「壊そうとしてる? 何を?」
「ああ、うん。確か黒匣とか言ってたかな。ラスヒィさんも見たと思うんだけど、あの研究所にあった大きな装置」
自分が全身水浸しになる原因の1つであったそれと当時の惨状を思い出して、あぁあれですか、とラスヒィは遠い目になる。
「ふーん……」
「ミラにちゃんと聞いてみようかな……」
「興味本位で首突っ込んだせいで、こっちでも追われる身になったりしてな」
アルヴィンの言葉に、自分がイル・ファンでそれをして、その言葉の通りになったことを思い出し、ジュードが言葉を無くす。
「ま、しっかり考えるんだな」
「……うん。ありがとう、アルヴィン」
「さてと、んじゃそろそろ寝るとしますか」
部屋の鍵を貰ってくると、席を立ちカウンターに居る男性に声をかけるアルヴィンを、ラスヒィが目で追う。
するとジュードが困ったような顔で、
「……あの、ラスヒィさんは、アルヴィンが嫌い……なんですか?」
と尋ねてきた。
何故いきなりそんなことを聞かれたのだろうと不思議に思っていると、自分がさっきからアルヴィンを見る目つきがミラやジュードに向けるそれとは違うものになっていたことを知らされる。
「すみません、そんな風に不安にさせてしまっていたとは気付きませんでした。嫌いな訳ではありませんよ、大丈夫です」
「でも、好きだとも言わないんだよね?」
「ええと……まだ半日一緒に居ただけですから、好き嫌いを判断出来る段階には無いというだけなのですが……」
ああでも、この少年がミラに対して抱いている感情は少なからず好感かと、今日1日を振り返って思う。
確かにミラやジュードに対して自分が抱いている情も、マイナスかプラスで言えばプラスに傾いているかもしれない。
「アルヴィンさんが嫌いな訳じゃあないんです。傭兵という職に、あまりいいイメージを持っていないだけですよ。勝手な先入観ですね。今後気をつけます」
「えっ、あ、別にそんな無理して欲しくて言った訳じゃなくて! そういうのって誰にでもあるものだし、僕にもあるし……」
自分の言動が説教染みている風に感じたのか、慌てふためくジュードにラスヒィは微笑する。
やはりこの子は心優しい子だ、人の感情によく気付く。
「……一緒にいる時間が長ければ、その先入観も無くなるのではないか、と私は思います。どこまで一緒に居られるのかは分かりませんが、その時間はそれほど短くはないと思いますし……ええとつまり、その……」
何が言いたいんだろうと、きょとんとした顔になるジュードに、ラスヒィは自分の口下手さを再認識しつつ続ける。
「私がアルヴィンさんを好意的に見れる日もそのうち来ると思うので、ジュード君がそのことで頭を悩まさせる必要はないですよ」
言いたいことはなんとか伝わったのか、少し間を置いてジュードに笑顔が戻る。
鍵を持って戻ってきたアルヴィンは、そんな二人に首を傾げるしかなかった。
「旦那、まだ寝ないの?」
時計の針が頂上を通過してしばらく、ベッドの上で横になっていたアルヴィンからそんな声が上がって、ラスヒィはペンを止めた。
部屋割りは女性ということもあってミラだけ別室にしたほうがいいと思っていたのだが、ミラを一人にするのはそれはそれで不安が残るという意見から、一番人畜無害そうなジュードが相部屋をすることになり、結果残った二人もまたその隣の部屋を二人で使うことになっていた。
「すみません、先に寝ていてもらって結構ですよ。それとも、明かりがあると眠れないタイプですか?」
「そんなことはないけど、傭兵が主人より先に寝るってのもどーよ?」
「こんなところにまで魔物がやって来ることは無いと思いますよ? お望みとあらば、緊急時には叩き起こさせていただきますし」
「そりゃ有難いねぇ。で、さっきからずっと何書いてんの?」
ベッドから降りて近寄ってくるアルヴィンに、慌てるでもなく持参していたノートを閉じる。
「なんだ、見られたらマズいもん?」
「貴方は日記を人に見せられますか? 共鳴より恥ずかしいですよ」
「日記書くのにどんだけ時間かかってんの」
「今日は色々ありましたから……分かりましたよ、もう寝ます」
辞書とまではいかずとも、軽い単行本くらいの厚みのあるそれを紐で縛ってポーチにしまう。
それを枕元に置いて、ラスヒィは実家のソレよりは少し質感の悪いシーツに身を沈めた。
時計の針がさらに進み、頂上から50度ほど傾いたところで、アルヴィンが物音を立てずにと注意を払いながら起き上がる。
隣で眠る雇い主の寝息を確認してから、その枕元に置いてあったポーチに手を伸ばした。
ノートの内容は日記だと彼は言っていたが、それがどうにも信じられない。
いや仮に日記だとしてもそれはそれで読みたいという気もあったのだが、それ以上に気になっていたことがあったのだ。
船上での発言から以降、この男はずっと自分を怪しんでいる。
それは仕方がないし、怪しまれているからと言ってこちらの真意を掴まれるとも思ってはいないのだが。
さっきの食後にジュードが黒匣の話をして、自分が驚いてみせた時のラスヒィの反応が気になったのだ。
ジュードに向けていた視線を、一瞬だけこちらに向けた。
(……研究所で見てたことに気付いてたってのか? まさか、あの状況でそんな余裕があったとは思えない)
ご丁寧に巻かれた紐を解いて、窓辺から差し込む月明かりを頼りにパラパラとページをめくっていく。
新品だったのか文字が綴られていたのは、さっき書いたであろう最初の数ページだけだった。
(ええとなになに、『×月○日、天候は晴れ、今日は……』って、おいおい、マジに日記かよ)
家を出てから研究所、海停と移動し、依頼をこなしたことや今日見たものをつらつらと述べているそれは日記以外の何物でもない。
本当に日記かもしれないと予想していたとはいえその可能性をせいぜい2/10ぐらいにしか考えていなかったアルヴィンは、一気に罪悪感に襲われてしまった。
本当に日記しか書いていないのかと、せめてもの良心であまり内容を見ないように紙面に目を滑らせていく。
すると次のページに移って3行目、これまでと書き方が変わっているところを見つけて、アルヴィンは視線を止めた。
見出しのように大きな丸が3つ並んでいて、その隣にはそれぞれ名前が記されている。
ミラ、ジュード、そして最後に自分。
まるで調査書や研究書のような体裁のそれに僅かに緊張を高めながら、今度はゆっくりとその文字を読み始めた。