08.嘘吐きは誰?

今後どうするかは明日決めることにして、その日は教会に泊まる事になった。
皆、落ち着いて話が出来るまたと無いチャンスだと、ガイアスや四象刃達のところへ行ってしまった様で、溢れてしまったラスヒィは一人寝室のベッドに寝転ぶ。

(断界殼……どうして私は知っていたんでしょうか)

どこかで耳にしたことがあったのだろうか。
エレンピオスの人々やアルクノアの構成員は、断界殼のことを知っている。街中でたまたまそれを耳にすることがあってもおかしくはない。

だが、もしそうなら、自分がそれを忘れている筈がない。
記憶力だけは自信がある。幼少期のことであっても、それがどんなに些細なことでも、全てハッキリと覚えている。

だから、言葉を知っているのに、それを知っている理由が分からない、なんてことは起こり得ない筈なのだ。
なのに全くその答えが出てこない。

(解離性健忘……可能性はありますが、それならば脳機能にも影響が出て、記憶力が低下していてもおかしくはありませんよね。そういった症状は見られませんし……記憶に抜けがあるようにも感じない……)

こんなことは初めてだ。モヤモヤする。
その気持ちを解消出来ずに唸っていると、突然部屋にミュゼが現れた。
壁をすり抜けてきたミュゼに、ラスヒィは驚いて飛び起きる。

「あら、申し訳ありません。驚かせてしまいましたか?」

「そ、そうですね……すみません、精霊の方に人間の感覚を求めるのも酷かとは思いますが……出来れば扉を叩くなどして貰えると助かります……」

「かしこまりました。次からはそういたします」

優雅にお辞儀をするミュゼに、ラスヒィは心臓を落ち着かせるために深呼吸。

「ええと……それで、私に何か用でしょうか?」

「いえ。ただ、彼らと居ると息苦しくて……」

「彼ら? ジュード君達ですか?」

「はい。何だか警戒されている様ですし……友好的に接しているつもりなのですが。貴方様は、どのようにして彼らと仲良くなられたのですか?」

「私も最初は距離を置かれていましたよ。出逢ってすぐの頃は、誰しもそんなものでしょう。暫く一緒に行動していれば、次第に仲良くなれると思いますが……」

「そうなのですか……では、私もそのように」

「そのようにって……一緒に来るおつもりですか?」

「はい。いけませんか?」

駄目とは言わないが、ミュゼはミュゼで何か目的があって此処へ来たのでは無いのだろうか。
ラスヒィはそう言えばと、彼女に聞こうと思っていたことを思い出す。

「貴女はマクスウェル――ミラさんから私のことを聞いていたように言っていましたが、ミラさんと話すのは初めてだとも言っていましたよね。矛盾していますが、どういう事でしょうか?」

「え?」

ミュゼはきょとんとして、少し考えるような素振りをした後、ポンと手を叩いた。

「ああ、そうでした。――申し訳ありません。私とした事が、その事を失念していました。今の貴方様は、そうでしたね」

「?」

「私の話はどうかお気になさらず。それより、貴方様のことは、今は何とお呼びすれば良いのでしょうか」

「それは……偽名と本名のどちらか、という話でしょうか?」

「はい」

こちらの本名まで知っているとなると、やはりミラから話を聞いていたという方が納得出来るが、ミラはミュゼのことは知らない様だった。
どういう事なのだろうと疑問に思いつつ、ラスヒィは答える。

「では、ラスヒィでお願いします。ミラさん達には、今もそう呼んで頂いているので」

「仰せのままに。ラスヒィ様」

「敬称も要りませんよ。今の私はただの民間人に等しいですから、貴女がそんなに畏まる必要は……」

「いいえ。今の貴方様が何であれ、貴方様はマクスウェル様の大切なご友人……礼儀を欠くわけには参りません」

「はぁ……そういうものですか」

まあ、ミラを見ていると忘れてしまいそうだが、マクスウェルと言えば精霊の主だ。彼女は人の世で言うところの王のようなものなのだろう。
許可を得たからと言って、王の友人に馴れ馴れしく接する訳にはいかない――恐らくはそういう事なのだろう。

「人も精霊も、身分による柵は似たようなものなのですね」

「私は人の世のことはよく知りませんが、そうなのですね」

「ですが、そのミラさんの姉上様であれば、同じように敬われるべきなのではないですか? ミュゼさんもマクスウェルだという事にはならないのですか?」

「マクスウェル様はお一人だけです」

「そういうものですか……」

と、話の途中でノックの音が鳴って、扉が開いた。
ミュゼは「なるほど、こうすれば良いのですね」と、ラスヒィに言われたことを理解する。

「ラスヒィさん。ミュゼもここに居たんだね」

「ジュード君。ミュゼさんにご用ですか?」

「うん。ミュゼはこれからどうするのかなって。このまま僕達と一緒に居ると、戦いに巻き込んじゃうかもしれないし……」

「寧ろ望むところです。精霊として、黒匣を使う者達を許すわけにはいきません」

「そっか。そういう事なら、今後も頼りにさせて貰うよ。今は少しでも多く戦力が欲しいから」

「そうだな。私からも礼を言うよ、ミュゼ」

ジュードの後ろから顔を出したミラが、そう言って頷いた。
ミュゼはふわりとその傍へ移動。

「お礼なんて。姉として、無謀な妹を放っておけませんしね」

「む、随分上から目線だな」

「いいじゃない。家族ってそんなもんだよ」

「そういうものか?」

「ええ。多分ね」

確かにそのやり取りは姉妹らしく微笑ましいもので、ジュードはミュゼへの警戒を幾分緩めているように見えたが。
つい先程までマクスウェルを敬うミュゼの話を聞いていたラスヒィは、ミラと親しげに話すミュゼの態度に違和感を覚えていた。






それから数時間後。
陽が沈み、ベッドの上で眠っていたラスヒィは、ジュードとアルヴィンの話し声で目を覚ました。

「……昼間さ、何かあったの?」

「何だよ、急に」

「ちょっと心配になって」

ジュードが言っているのは、アルヴィンが受け取っていた手紙の事だろう。

確かにあれが何だったのかは気になる。ラスヒィは二人に背を向けたまま、寝たフリをして耳を傾ける。

「アルヴィン、エレンピオスに今でも帰りたい?」

――その質問はあまり良くない。
その質問は、「ミラを殺すつもりなのか」と聞いているのと同じだ。

ラスヒィはうとうとしながら思った。
案の定アルヴィンは答えず、数秒沈黙が流れる。

「……俺の心配なんてしてないで、自分の心配でもしろって。ミラを守ってやりたいんだろ?」

――その返事も良くない。
ジュードがそれを肯定すれば、アルヴィンと敵対してでも、彼の帰郷を阻止しなければならなくなる。

ラスヒィは顔を顰めたが、ジュードはアルヴィンの心情を汲み取れていないのか――彼はミラの話になると視野が狭くなる――さして言及はせずに答える。

「ううん。ちょっと違うかな。僕、勝たせてあげたいんだ。それが、ミラの力になるって事なんじゃないかな」

「ふーん。で、ずっと一緒に居たいってか」

「なっ、アルヴィ――何言ってんのさ!」

分かりやすく狼狽えるジュードに、ラスヒィは思わず笑ってしまいそうになったが、アルヴィンはそのリアクションを揶揄いもせず、淡々と続ける。

「全部終わったら、一緒に居られる理由も無くなっちまうぞ」

成程。アルヴィンはそう考えているのか。
ラスヒィは、一緒に居るのに理由など必要無いのでは、と思ったが、ジュードはアルヴィンに同意して気落ちする。

「だよね……」

「そういうのは早く伝えないと、誰かに先を越される。運命なんて信じちゃいけないし、頼るなんて以ての外だ」

これは、彼自身の経験談なのだろうか。
或いは、単にジュードへの忠告だろうか。

「アルヴィンは大人なんだね……僕にも、そう思える時が来るかな」

素直にそれを受け取ったジュードに、アルヴィンは感慨深そうに言う。

「お前は……俺の言ったこと、信じてくれるんだな……」

「…………アルヴィン? どこ行くの?」

徐に立ち上がったアルヴィンは、何も答えずそのまま部屋を出て行った。
もういいだろうかと、ラスヒィも起き上がる。

「あれ、ラスヒィさん。起きてたの? それとも起こしちゃった?」

「お気になさらず。ちょっと私も出てきますね」

ローエンを起こさぬよう、声を潜めてそんなやり取りをしてから、ラスヒィはアルヴィンを追いかける。

だがアルヴィンの姿は見当たらず、今の一瞬でどこへ消えたのかと思えば、女性陣の部屋の中からミラの声がした。

「……そうなると、お前を殺さなければならない約束なんだが?」

随分と物騒な発言だ。
誰と話しているのだろう。行儀が悪いとは思いつつ、扉に貼り付いて耳を欹ててみると、次いで聞こえたのはアルヴィンの声。

「死んだやつが、どうやるんだよ」

まさか、今ここでミラを殺す気なのか。
ミラを殺してでも故郷に帰る――それが彼の出した答えなのか。

ラスヒィは一人焦ったが、ミラは淡々と続ける。

「昼間、連絡があったな。どのような連絡だった?」

「関係あるわけ?」

「ジランドに裏切られたショックかとも思ったが……あのタイミングでは妙だ」

同じく、アルヴィンがジランドと戦うことに決めた理由は手紙の内容にあると思っているラスヒィは、ミラの問いに対する彼の答えを待った。

暫くして、

「……母親が死んだんだとよ」

アルヴィンはそう告げた。
ラスヒィは目を見開き、息を呑む。

「人はいずれ死んでいくものだ」

「おたくらしい慰めだ。あーあ、母親は死んで、ジランドに裏切られるしよ……どうなってんだよ、俺の人生」

「……今でもエレンピオスに帰りたいのか?」

「それ以外、何が残ってるんだよ!」

ここに至るまでの彼の半生を大凡知り終えているラスヒィには、そう叫ぶ今の彼の心情が痛いほどに分かった。

彼もミラには情がある筈だ。殺すのは本意では無いだろうし、実行すればジュード達との縁も断ち切れてしまう。
だがそうしなければ故郷には帰れない。彼がこれまで良心に背いてでも積み重ねてきた日々が報われない。

沈黙の後、ミラはアルヴィンに他の答えを示す。

「……アルヴィン、この世界で生きては貰えないだろうか」

「…………!」

「私はもちろん、ジュードや他の皆も居るのだ。悪くはないだろう?」

アルヴィンがそれに返事をするまで間があった。
戸惑いと、それを選ぶべきなのかという迷い。
選んだとして、その選択は正しいのか、後悔はしないのか、先の未来は明るいのかという疑い。

「…………俺の素性を知ってて、そんなこと言うヤツなんて初めてだわ。バカじゃねぇの」

結局、「はい」でも「いいえ」でもなく、アルヴィンはそう返した。
そして、扉に向かって歩いてくる足音。

ラスヒィは慌てて扉から離れたが、身を隠せるような場所などなく、出てきたアルヴィンと鉢合わせてしまう。
アルヴィンは驚いた顔をしてから、会話を聞かれていたことを理解して苦い顔になる。

「盗み聞きなんて、いつからそんな俺みたいな真似するようになったんだよ」

アルヴィンはそれだけ言って、自分達の寝室には戻らず、足早に教会の外へ向かった。
ラスヒィは扉の向こうのミラに頭を下げつつ、彼を追いかける。

「すみませんでした」

「別にいいけど。旦那に知られて困るようなことなんて、今更もう無いしな」

アルヴィンは教会入口の階段を降りたところで、足を止め振り返った。
ラスヒィはぶつかる寸前で止まる。

「で、なんで追って来るんだよ? 今はほっといてくれよ。話聞いてたんなら、分かるだろ」

「…………レティシャさんとの約束があるんです」

「約束?」

「貴方が泣いていたら、慰めるって」

「……なんだそりゃ。泣いてねーし。大体、慰めるってどうやって。俺と寝てくれんの?」

「? 添い寝くらいなら幾らでもしますよ」

「いや、そうじゃなくて……」

はぁ、と溜息を吐いて、アルヴィンは階段の端に腰を下ろした。
ラスヒィもその隣に座る。

「抱かせてくれんのかって話」

「……………………それで貴方が元気になるのなら、いいですよ」

「はぁ? 何バカなこと言ってんだよ」

「だって、私が今の貴方に出来ることなんて……自分で考えても浮かばないんですよ」

傍に居て、励まして。それをしたところでどうなる?
彼が置かれた状況は何も変わらないし、救い出すことも出来ない。

今この場において、自分は途方もなく無力だ。
彼は自分を助けてくれたのに。共に戦ってくれたのに。

(共に戦う……私に出来ることと言えば、彼と一緒にジランドと戦うことくらいしか……でも、それで解決するような話では……)

だが他に言えるようなことも無い。
それだけでも伝えるべきかと口を開いたラスヒィを、アルヴィンが抱き竦める。

「え……アルヴィン? どうしました?」

「いいから。ちょっと、このまま。…………慰めてくれるんだろ?」

これが慰めになるのだろうか。
よく分からないが、ラスヒィは大人しくそれを受け入れた。
アルヴィンの背に腕を回し、優しく抱き締め返す。

「…………なんだよ」

「え? 私にされるのは嫌なんですか?」

「嫌じゃねーけど……勘違いするだろ」

「? 何をですか?」

アルヴィンはまた溜息を吐いた。
何やら呆れられているなと感じつつ、ラスヒィはポンポンと背を叩く。

「…………旦那」

「はい」

「まだクレインのこと好きか?」

「…………どうして今そんな話するんですか」

「…………、俺は……………………」

これまでの自分の行いと、拒絶されることへの恐怖心で、その先を言葉にすることが出来ないアルヴィンは、ただラスヒィを強く抱き締めた。

だが、その胸中が分からないラスヒィは先を促す。

「アルヴィン、私は恐らく察しが悪いので、ちゃんと言って貰えないと分かりませんよ」

「……………………また今度でいい」

「私は今知りたいんです。今の貴方の気持ちを理解して、寄り添いたいんです。こんな形だけのものじゃなく、ちゃんと貴方と――――」


耐え切れず、アルヴィンはラスヒィの口を自らの唇で塞いだ。


驚いている様子のラスヒィを見て、ああやっぱり何も分からずに言っていたのかと落胆しつつ、アルヴィンはラスヒィの頭を抱えて深く口付ける。

ラスヒィの手が背中からアルヴィンの服を引っ張ったが、アルヴィンは無視。
寒さのせいか、触れ合う場所がいつもより熱く感じる。そのぬくもりをアルヴィンは貪欲に求めたが、ラスヒィに歯を立てられて渋々中断。

「……何すんだよ」

「こっちの台詞ですよ……!」

「俺だって今こんなことするつもりじゃなかった。旦那が煽ったんだろ」

アルヴィンの真剣な目が、真っ直ぐにラスヒィを見た。
話の流れについて行けないラスヒィは只々狼狽える。

「大体、さっきはそれで元気になるなら抱いてもいい≠チて言ってたじゃねーか。嘘吐くなよ」

「それは……でも今はそんな流れじゃ無かったじゃないですか!」

「じゃあどんなつもりで言ってたんだよ」

「私はただ、貴方の気持ちを理解しようと……」

「だから、今それを教えてやってんだろ」

アルヴィンは再びラスヒィに口付けた。
ラスヒィも再度抵抗したが、アルヴィンは今度は退かなかった。
上手く息継ぎが出来ないラスヒィのくぐもった声を聞いて、やっと唇を離したアルヴィンは、そのまま彼を抱き抱えて教会の中に戻る。

礼拝堂脇の小部屋――恐らくは元々牧師館として使われていたのだろう場所に入ると、内側から施錠してラスヒィをベッドに下ろし、服を脱がし始めた。

その手つきには以前のような乱暴さは無く、それが却ってラスヒィを困惑させた。
これは八つ当たりの行為とは違う。

「……旦那」

ラスヒィの上衣を肌蹴させて、自分も同じように脱いで、アルヴィンはラスヒィを優しく押し倒した。
見下ろしてくるその表情には切なさが滲んでいる。


どうして、そんな顔をするのか。
何故、今更またこんなことをするのか。


「……言葉で言ってくれないと、分からないですよ…………」

ラスヒィは今一度そう伝えたが、アルヴィンは答えず、ラスヒィに口付けるだけだった。
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