02.焔に近付きすぎた鳥
「今のはユリアの……」振動が収まると譜歌も終わり、譜歌の効果により皆を護ってくれていた結界も消失する。
「ユリアの譜歌か?」
「え? ええ、よく知っているわね」
「凄いな、扱える人は初めて見た」
「皆、怪我はない?」
「ああ……俺達はな」
全員の目に映っていたのは、近くで倒れ伏す人々と、果てしなく続く赤黒い海だけだった。
残った足場はタルタロスと自分たちが今乗っている場所だけのようで、それはついさっきまでここに街があったとは思えない光景だった。
「ディル、貴方はやはり……」
「ご主人様! よかったですの!」
ルークの側に寄り添っていたミュウが声をあげ、ルークが目を覚ましたことを周囲に知らせる。
「良かった……。あ、すみません、何ですか?」
それに気を取られたディルが、ジェイドが何か言おうとしていたことに気付いて再度尋ねたが、相手はなんでもないと首を振った。
「ルーク、大丈夫か?」
「……っ、なんだ、これ……、何がどうなったんだよ……?」
全く状況を掴めていないルークに、ディルは自分もまだいまいち把握出来てはいないものの見たことを説明する。
ティアや他の仲間達も呆然と立ち尽くしていたが、ナタリアはまだ生きている人は居ないのかと倒れている人々に声をかけて回っていた。
「……う……ぅ……」
「誰か居るわ!」
微かに子供の呻き声が聞こえて、皆一斉に声のした方を見る。
泥の海に浮かんでいたいくつかの木板の上に、二つの人影が見えた。
「……ジョンか!?」
「……ディル、にぃ……ちゃ……?」
意識がないのか動かない父親の隣で、怪我を負った少年が弱々しく手を伸ばす。
自分の名を呼んだことでそれが確かにジョンであると確認したディルは急いで駆け寄ろうとしたが、ティアに腕を掴まれた。
「駄目よ! この泥の海は障気を含んだ底なしの海、迂闊に入れば助からないわ!」
「ではあの子をどうしますの!?」
同じく親子を助けようとしていたナタリアが、半ば狂乱しながら叫ぶ。
ティアはここから治癒術をかけるよう言ったが、二人を乗せた板はそれから逃げるように沈み始める。
「いかん!」
「母……ちゃん……助け……て……、父ちゃん……たす……け……、にー……ちゃ……」
「――――ッ!!」
ティアの手を振り払い、ディルは恐怖に高鳴る鼓動を抑えて駆け出す。
後ろで何人かが悲鳴のように名を呼ぶのが聞こえた。
今は自分を信じるしかない。震える唇から言葉を絞り出した。
『汝は神の伊吹、願い賜ふは風の猛追』
ディルは足場を蹴り飛び降りる、迫る水面に怯える手を少年に伸ばした。
『トゥエ ヴァ ネゥ トゥエ リュオ ズェ ネゥ トゥエ』
穏やかな旋律が一帯に拡がり、何処からともなく突風が吹き付ける。
それに押されるようにディルは水面上を渡り静かに木板に着陸すると、直ぐ様少年を抱き抱え、対岸で見ていた皆を振り返った。
「ガイ! ジェイド!」
全身を使い腕を振り子のようにして二人にジョンを投げ渡す。
続けざまに父親も抱き抱え、投げるだけでは足りなかった分を来たときと同じ歌で補う。
「危ない!」
投げた時の反動で足場は更に沈み、ついにディルの足に水がかかった。
障気に犯されたその水は酸のように布を焼き皮膚を焼く。
「ッ!」
「ディル! 早く戻って!!」
ティアの譜歌とナタリアの治癒術に助けられ、ようやく陸へと舞い戻ると、皆が一斉に駆け寄る。
「全く、なんて無茶をしますの!」
「同感だ。……まぁでも、おかげで二人を助けられたんだし、今回は許してやったらどうだい?」
「それよりっ、なんかここもヤバいよう!」
「タルタロスに行きましょう。緊急用の浮標が作動して、この泥の上でも持ちこたえています」
皆で親子を背負い船に駆け込む。ジェイドが手際よく船の操作を始めると、すぐにエンジンが稼働した。
「凄いですね」
「この状況では動くか不安でしたが、流石はタルタロスといったところでしょうか」
「いや、まあ船もですが、貴方が」
「……私からすれば、先程の貴方のほうがよほど凄かったと思いますが?」
操作を終えて、こちらを見るジェイドにディルは口ごもる。
「譜歌、貴方も使えたのですね。あの譜歌はどこで学びました?」
「…………」
「答えたくありませんか。まあいいでしょう、無理に問いただすつもりもありませんので」
「……貴方は」
艦橋を進んでいくジェイドの後ろを、ディルは気まずいまま仕方なくついて行く。
「貴方は質問ばかりですね」
「そうですか? すみませんねぇ、貴方に興味があるもので」
「それはどうも……」
溜め息をついて二人はデッキに続く扉を潜る。
他の一行は外の風景を眺めながらそれぞれ思いを馳せていた。
「行けども行けども何もない…、なあ、ここは地下か?」
「……ある意味ではね。貴方達の住む場所は、ここでは外殻大地と呼ばれているの。この魔界から伸びるセフィロトツリーという柱に支えられている空中大地なのよ」
「意味が……わかりませんわ」
「昔、外殻大地はこの魔界にあったの」
地味に衝撃を受けている皆に、ティアが説明を続ける。
遠い昔、世界を原因不明の障気が包み、大地が汚染されていたこと、それによる生物の滅亡から逃れるための道筋となる7つの預言を、始祖ユリアが詠んだこと。
「ユリアは預言を元に、地殻をセフィロトで浮上させる計画を発案しました」
「それが外殻大地の始まり、か。途方もない話だな……」
「ええ、この話を知っているのは、ローレライ教団の詠師職以上と魔界出身の者だけです」
「じゃあティアは魔界の……?」
「……とにかく僕たちは崩落した。助かったのはティアの譜歌のおかげですね」
「何故こんなことになったんです? 話を聞く限り、アクゼリュスは柱に支えられていたのでしょう?」
「それは……柱が消滅したからです」
「どうしてですか?」
尋ねたアニスも含んだ全員が、自然とルークに視線を集める。
注目されたルークはそれぞれの思考を察して慌てて弁解を始めた。
「……お、俺は知らないぞ! 俺はただ障気を中和しようとしただけだ! あの場所で超振動を起こせば、障気が消えるって言われて……!」
「あなたは兄に騙されたのよ。そしてアクゼリュスを支える柱を消してしまった」
「そんな! そんな筈は……」
「……ヴァンはあなたに、パッセージリングの側へ行くよう命じましたよね。柱はパッセージリングが作り出している、だからティアの言う通りでしょう。……僕が迂闊でした、ヴァンがルークにそんなことをさせようとしていたなんて……」
「……せめてルークには、事前に相談して欲しかったですね。仮に障気を中和することが可能だったとしても、住民を避難させてからでよかった筈ですし。……今となっては言っても仕方のないことかもしれませんが」
「そうですわね、アクゼリュスは……消滅しましたわ。何千という人間が、一瞬で……」
「……お、俺が悪いってのか……?」
ルークの問いに言葉を返す者は居なかったが、その沈黙が皆の答えを反映していた。
「……俺は……俺は悪くねぇぞ、だって師匠が言ったんだ……そうだ、師匠がやれって! こんなことになるなんて知らなかった、誰も教えてくんなかっただろっ! 俺は悪くねぇっ! 俺は悪くねぇっ!!」
一息に叫んだルークに、黙ったままジェイドがその場を離れる。
「……大佐?」
「艦橋に戻ります。……ここにいると馬鹿な発言に苛々させられる」
「なんだよ! 俺はアクゼリュスを助けようとしたんだぞ!!」
ルークを無視して艦橋に消えたジェイドを皮切りに、皆ルークに思うままを告げてデッキから去っていった。
「……ど、どうしてだよ! どうしてみんな俺を責めるんだ!」
「ご主人様……元気出してですの」
「だ、黙れ! お前に何がわかる!」
一人残ったディルは、はね除けられてもルークの側を離れず元気づけようとするミュウの頭を撫でる。
「……なんだよ、お前も俺が悪いって言うんだろ! どっか行けよ! どうして俺ばっかり……俺だって、知っててやったわけじゃ……!」
「責めないよ」
ディルは頭を抱えて踞るルークの前にしゃがんで、その肩に手を置く。
「だからちょっと冷静になれ。……落ち着くまで、ここで休んでるといい」
何も返さないルークに苦笑して、ディルはデッキを出ていく。
アニスはまだ怒りが収まらないといったようにイオンに愚痴っているし、ナタリアはガイに昔はああではなかったのにと語っていた。
ティアは強く言ったもののルークが気になる様で、窓からデッキを見つめている。
「貴方はルークの味方、ですか」
それらの輪の中に入る気にもならず、ディルは一人戦艦を操るジェイドを少しでも手伝おうと隣に腰を下ろすと、ジェイドは進行方向を見つめたまま言った。
「……責任の全てがルークにあるとは思いませんし、発言に問題があったとは言え、全員でつき放すようなことをするのはどうかと思っただけです。ルークも信頼していた師に裏切られて、その上自分の手で沢山の人を殺めて傷心していると思いますし。騙されたのがたまたまルークだっただけで、あの場に居た他の者が同じことをしなかったという保証もありませんよね。無知だったという点では騙されたルークもヴァンの思惑に気付けなかった俺達も同じじゃないですか。そもそも責任の所在を問いたからと言ってこの有り様がどうなるわけでも――」
「ディル」
「なんですか」
「それは私達に怒っているんですか?」
止まることを知らず喋り続けていた口がピタリと止まり、ゴウンゴウンと船が稼働する音が虚しく室内を満たす。
しばらくの静寂の後、平静を取り戻したディルが再び口を開いた。