02.焔に近付きすぎた鳥
ローテルロー橋に向かう途中、突如何かに座礁したような衝撃が艦内を襲った。揺れで倒れるナタリアをディルが反射的に受け止め、椅子の縁につかまる。
「大丈夫か?」
「え、ええ、有難う。ですが今の揺れは何ですの?」
「見てきます」
「俺も行く。音機関の修理なら多少手伝える」
さっさと機関室に走っていった男二人に、残された一行は沈みはしないかと不安な面持ちで窓の外を眺めたりしていた。
しばらくして伝声管からジェイドとガイの声が届き、応急処置が上手くいったことを知らせる。
『一時的なモンだ、できればどこかの港で修理したいな』
「ここからだと停泊可能な港で一番近いのはケテルブルク港です」
「じゃあそこへ行こう。いいだろジェイド」
『……まぁ……』
寄り道とは言え事情が事情なのだから是と応えるだろうと思っていたのだが、伝声管から返ってきたのはジェイドらしからぬ曖昧な言葉だった。
「何か不都合か?」
『いえ……何でもありません』
『じゃあすぐ戻るから、先に進路の確認をしておいてくれ』
そこで音は遮断され、一方的に会話は終わる。
何でもないことはないだろうジェイドの反応が皆気になったが、ぐずぐずして船が沈むのは御免なので行き先はケテルブルクに決まった。
「ケテルブルクかー、確か雪国だよなー」
「へー、俺雪国って行ったことねーや」
「私もあまり経験したことがありませんわね。このような状況でなければ、ゆっくり観光してみたいものでしたけれど……」
シブレットの発言から盛り上がるルーク達に、ディルはすっかり忘れていたその事実に早くも凍りついた。
「ディル、どうしたの? 顔色が良くないわ」
「雪国……雪……」
「雪がどうかしたの?」
不思議そうに顔を覗き込むティアに、先ほどのジェイドより力なく「何でもないよ」と返して、心の中でだけ「行きたくないなぁ」と本音を漏らした。
「うわーっ、視界真っ白!」
「さっっっっ」
ガイの修理のおかげでなんとかケテルブルク港まで海に沈むことなくやってこれた一行は、今までの光景とはまた違う白銀の世界に息を呑んだ。
「さ?」
「っっっいや、なんでもない……」
「失礼、旅券と船籍を確認したい」
船から下りた一行に気づいて、マルクト兵が旅券の確認を申し出る。
前に出たジェイドが名乗ると兵は困惑した。
「し……失礼いたしました。しかし大佐はアクゼリュスで……」
「それについては極秘事項だ。任務遂行中、船の機関部が故障したので立ち寄った。事情説明は知事のオズボーン子爵へ行う。艦内の臨検は自由にして構わない」
「了解しました。街までご案内しましょうか?」
「いや、結構だ。私はここ出身なのでな、地理はわかっている」
「えっ、大佐ってここの生まれなんですか!?」
では失礼しますと頭を下げて持ち場へ戻る兵を横目に、シブレットがジェイドに食いつく。
しかし聞かれたジェイドはあまり乗り気でない様で、軽く受け流していた。
「修理はどうするんだ?」
「それも知事に報告してみましょう」
「よし、じゃあケテルブルクへ急ごう」
珍しくジェイドを先頭にして歩く一行の中で、ディルはここよりさらに雪の量が増えていくその道程に体を震わせた。
「ディル、どうしましたの。列から離れると道がわからなくなってしまいますわよ」
「わ、わかって……っくしゅん!」
明らかに足取りの遅い自分を待とうとしてくれている皆に渋々歩き出したのだが、数十メートル進むとまたスピードが落ちる。
「っくしゅ! ……あーっ、悪い、急いで……っくしゅん!」
「ちょっとちょっと、大丈夫? カゼひーたんじゃないの?」
「まだ着いたばっかりだぞ?」
「寒いならさっさと歩いて宿か何か入ったほうがいいって。ほら頑張って歩け〜」
シブレットに背中を押され、なんとか街の入り口まで進む。
そこから更に歩いて知事の居る屋敷まで来ると、ディルは慌てて部屋の中に入ってドアを閉めた。
「助かった……」
「うわ、お前唇紫だぞ。大丈夫か?」
「ああ……大丈夫だよ……多分……」
「……仲良くなさってるところすみませんが、知事の前ですよ?」
ジェイドの言葉に二人が姿勢を正すと、注意を促した本人は笑った。
「まぁ彼女の前では、それほど畏まる必要もないと思いますが」
いや知事なんだから必要ないことないだろうとディルが小声で言い返そうとすると、女性は突然椅子から立ち上がった。
「……お兄さん!?」
ガタン、ガタン、ゴトン。
そんな感じに3つの音が上がった。
1つ目は女性が立ち上がった音、2つ目はルークがオーバーリアクションをして後ろの置物にぶつかった音、3つ目はシブレットが握っていたメイスを落とした音だ。
「お兄さん!? え!? マジ!?」
「やあネフリー、久しぶりですね。あなたの結婚式以来ですか?」
「どうなっているの!? アクゼリュスで亡くなったって……」
「実はですねぇ……」
ジェイドが事情を説明している間、その背後では小さな会議が開かれていた。
ジェイド以外のメンバーが寄り集まって円陣を組む。
「おいどういうことだ、大佐に妹がいるなんて俺は聞いてない。アニス?」
「私も知りませんでしたよぅ! 大佐ってあんまり自分のこと話さないし……」
「それにしても……アレだな」
「ああ、アレだな」
「? アレとは何ですの?」
「「似てない」」
「そうか? 似てるだろ。メガネとか」
「メガネは……似てるうちに入るんでしょうか……?」
「もう、皆してそうやって……あまり人の家庭事情に干渉するのは良くないわ」
「ティアは興味ないってさ」
「でもさっきからずーっと私たちの話聞いてるよね?」
「そっ、それは、聞こえてしまうんだから仕方ないじゃない!」
「混ざりたいなら素直にそう言えばいいのに、今なら大佐も聞いてないし大丈夫だって。なーディル? ……って、あれ、ディル?」
シブレットが隣にいると思っていた自分と似た青年の肩を叩こうとして伸ばした手が空振りする。
視線をその先に持っていくと、相手はさっきまで立っていたところでうつ伏せになって倒れていた。
「えっ!?」
「ちょ、なんで倒れてんの!?」
「どうしました? ……おや」
地面にへばりついているディルに気付いたジェイドが、皆の間を割いて傍に膝をつく。
「こんなところで寝るのは行儀が悪いですよ?」
「……起きてるよ……ちょっと身体が……」
体を転がして仰向けになり、か細い声で応えたディルの額にジェイドの手が被さる。
空いたほうの手は自分の額に当てて、しばらくして離した。
「熱がありますね、39℃くらいでしょうか」
「高っ!? この短時間でよくそんな熱が出るな」
「一種の才能じゃないの?」
「確かに……ってそーじゃないだろ! 早くどっかで休ませてやらないと……」
「それでしたら、街の中央にあるホテルの部屋をお取りしておりますので、どうぞそちらをお使いください」
「お言葉に甘えましょう。ディル、自分で歩けますか?」
ジェイドに言われて、ディルは腕に力を込め上体を起こす。
そのまま壁伝いに立ち上がりゆっくりと前進してドアノブを捻ると、開いたドアの隙間から冷たい風が流れ込んできた。室内との温度差に外に出る気が起きない。
「おい、閉めてどーする」
「でも1人じゃ無理なんじゃないか?」
「それもそうだな。じゃあ俺が送るよ」
「いや……一人で大丈夫……」
さっさと出てさっさとホテルまで行けばいいんだそうだよし行こう。
0に近い体力をフルに使うつもりで飛び出し走り出したディルの足は勢いよく雪道に沈み、足を取られた青年は前に倒れて雪に埋まり動かなくなった。
道行く人がそれを凝視しながら通り過ぎていく。
「あちゃー……」
「死んだな」
「だから送るって言っただろーに!」
ガイが飛び出してどざえもん寸前になっているディルを引き上げ、肩に腕を回してホテルに引きずっていく。
その光景にルーク達は苦笑するしかなかった。