04.亀裂の入った大地の上で
「──やれやれ、何とかここまでは無事に来られましたか」陽が傾きつつある空を見上げながら、ジェイドは誰に聞かせるでもなくそう呟く。
足を止めたジェイドに気づいたディルは、周囲に敵影が無い事を確認しつつ、その隣に並んだ。
「どうした?」
「今日はここまでにしましょう。欲を言えばもう少し進みたかったのですが、長距離移動に慣れていない方々には酷でしょうから。ここには敵の姿も無いようですし、暗くなる前に野営の準備をしましょう」
「わかった、皆に伝えてくる」
と、答えるなりさっさと踵を返したディルは、ここまでの道程で疲労困憊になっている人々に手を貸しつつ、野営に必要な道具を取り出しててきぱきと組み立て始める。
「大佐、何笑ってるんですかぁ?」
「いえ、彼が神託の盾の兵士やケセドニアの商人ではなく、私の部下なら良かったのにと思っただけです」
とは言えディル一人に任せる訳にもいかないので、負傷者以外の動ける人総出で本日の寝床を拵える。
数限られた資材の中では素敵なキャンプとはいかないが、何も無いよりはマシだろう。
軍幕を作り終えたディルは、休む間もなく食事の準備に取り掛かる。
味付けはともかく、問題は量。
ケセドニアまでは順調に行けばあと三日ほどだろうが、不測の事態に備えてなるべく食材は残しておきたい。
さてどうやってかさ増ししようかと考えていると、
「あの……そちらの軍人さんは、タルタロスに乗っていたそうですね」
背後でそんな声がした。
振り返れば、村人の一人がジェイドの前に立っている。
「ええ、タルタロスを指揮していました。何かありましたか?」
「乗組員にマルコという兵士はおりませんでしたか?」
どうやら自分には関係の無い話のようだと理解したディルは、話には混ざらずに手を動かし続けた。
代わりに、近くにいたアニスが答える。
「マルコって、大佐の副官さんでしたよねぇ」
「副官! そうですか! マルコはそんな出世を! あいつは私らの自慢の息子なんです、かかあも喜ぶぞ!」
「だけど……」
「それで、あいつは今どうしてますでしょうか? この戦いだ、前線に出兵させられた、なんてこともあるんでしょうか」
興奮と心配が綯い交ぜになった声色で捲し立てる男に、アニスは押し黙ってしまった。
少しの間を置いて、ジェイドが答える。
「お父様にはお気の毒ですが、息子さんは敵の襲撃を受け戦死なさいました」
かさ増し用の携帯食料を袋から取り出そうとしていたディルは、その言葉に手を止めてしまった。
男も同じ、いやそれ以上の衝撃を受けたのだろう。リアクションを返すまでにそれなりの時間がかかっていた。
「い……いつ!? いつですか! この間タルタロスがエンゲーブに来た時は、あいつも元気で……!」
「その後です。導師を狙う不逞の輩に襲われ、名誉の戦死を遂げられました」
導師と聞いて、その存在の価値を、重みを知っているのだろう男は、静かに項垂れる。
「……そうでしたか。マルコは導師イオンをお守りして……。マルコが生まれた時、ローレライ教団の預言士様に言われたんです。この子はいずれ高貴な方のお力になるって。だから軍人になるように言われて……導師イオンを守った息子は立派です。でも、納得がいきませんや。息子を……マルコを返して下さい!」
「……っ!」
殴り合いにでもなるのではと危ぶんだディルは思わず振り向いたが、その視線の先に居たジェイドは、胸ぐらを掴まれながらも、いつも通り落ち着いた様子で一言、
「残念です」
そう告げるだけだった。
「……くそぅ……!」
男はそれ以上何も言わず、とぼとぼと村人達の輪の中へ帰って行った。
男の背を見送っていたジェイドは、その向こうに居たディルの視線に気付く。
「すみません、騒がせてしまって」
「あ……いや、俺は全然。その……大丈夫か?」
「それは彼に聞いて下さい」
「いや、あっちもだけど、あんたが……」
「罵倒されるのも、親に泣かれることも、軍人としてはよくある事です」
それだけ言うと、ジェイドは「念の為に周囲を哨戒して来ます」と一人その場を後にした。
残されたアニスとディル、話を聞いていたらしいイオンは、複雑な表情で互いの顔を見遣る。
「……今の話、二人は詳しく知ってるのか?」
「うん、あたしもイオン様もその場に居たから……。ルークと出逢ってすぐの頃にね、六神将がイオン様を狙ってタルタロスを襲撃してきた事があったんだ。あたしはイオン様を逃がす為に大佐とは別行動だったけど、別れる直前にラルゴが大佐に封印術を使ってたから、かなり苦しい戦いだったと思う」
「あの場には六神将のほぼ全員が揃っていました。例えジェイド達が万全の状態であったとしても、艦内に居た全員を護りきるのは不可能だったと思います。僕達が無事だったのも、タイミング良くガイが助けに来てくれたからです」
「……そうですか」
なら、彼一人が責め苦を受ける必要も無いだろうに。
イオンの為に、国のために、命を懸けて立派に戦ったのは、ジェイドも同じだろうに。
(……まあ、それも含めて大佐≠フ役割だって言われれば、それまでだけど)
ジェイドはきっとそう思っているのだろう。だからこそ多くを語らずに、村人の言葉を受け止めていたのだろう。
理解はすれど納得のいかないディルはモヤモヤとしたものを感じつつ、しかしだからと言って何かが出来る訳でも無いので、ただ黙々と夕餉を作ることで気を紛らわせるしか無かった。
「おかえり。遅かったな」
夜。皆が夕餉を食べ終えて、そろそろ眠ろうかという時間になって漸く帰ってきたジェイドの姿に、焚き火に枯れ枝をくべていたディルはホッと息を吐いた。
「何かあったのかと思って心配した」
「いえ、何事もありませんでしたよ。ただ、私が居るとせっかくの食事が不味くなるのではないかと思ったもので」
言いながら、ジェイドはマルコの父親を見た。
暫く一人で泣いていた彼は、事情を聞いたローズをはじめ、エンゲーブの皆のお陰で今は少しは落ち着いている。
「……あんたがそこまで気を回す必要も無いだろ、あんたが殺した訳じゃないんだから」
「それはどうでしょう。私はあの時の自分の選択を悔いてはいませんが、イオン様と艦内に居た部下の命を秤にかけたのは事実です。他の何もかもを捨て置いて部下達を助けようとしていれば、何名かは助けられたかもしれません」
「そんなのは現実的じゃないだろ。導師を見捨てて部下を助けていたら、より大勢に非難される事になって、あんたは職を失って、ダアトもマルクトも大混乱に陥ってた。全員助けられる方法でもない限り、結局誰かが死ぬことにはなるんだ。あんたもそれを理解してたから、導師を選ぶ決断をしたんだろ」
「ええ。そしてその結果犠牲になったのが私の副官だった、というだけの話ですね、私と貴方にとっては。……ですが、肉親である彼にとっては、マルコはイオン様と同じか、それ以上に価値ある存在だったのでしょう。それが私の一存で切り捨てられたのですから、怒るのも無理はありません」
「それは……そうだけど……」
「先刻も言いましたが、非難されるのはよくある事ですよ。私は気にしていませんし、貴方も気にしなくていい。ただ、これが原因で彼らの不興を買って、明日以降の移動に支障を来しては困りますからね、最低限の気遣いはしておこうと思っただけです。――ところで、夕食は足りましたか? 一応哨戒ついでに食材も採ってきましたが」
「え? ああ、足りたよ。そうだ、これあんたの分」
冷めたけど、と言ってディルが差し出したのは、皆に振舞ったのと同じチーズリゾットだった。
ジェイドは取り分けられたそれを受け取って、
「わざわざ残しておいてくれたのですか?」
「当たり前だろ。俺や他の皆は仮に倒れてもさして支障は無いけど、指揮官のあんたに倒れられると困る。それ食べたらちゃんと寝てくれ」
「敵の気配が無いとはいえ、流石に夜番の一人も居ないのはまずいでしょう」
「それは俺がやる。最初からそのつもりだったしな」
「それは頼もしいですが、貴方は働き過ぎですよ。私は数日寝ない程度では倒れませんから、貴方は休んで下さい」
「移送してるのはエンゲーブの人達と俺の母親だ。俺が助けに行きたいって駄々捏ねたのに、自分が出来ることまであんたに押し付ける訳にはいかない」
「別に貴方の我儘に付き合ってここへ来た訳ではありませんよ、民間人を護るのは軍人の責務ですから。そして私はその軍人かつ大佐で、貴方は護るべきエンゲーブの民の一人です。協力して頂けるのは有難いですが、責任を感じて無理をする必要はどこにもありません」
「それでも、面倒事をあんたに任せて、当事者の俺が楽をするのは納得いかない」
「頑固ですねぇ。休める時に休むことも大事ですよ?」
「それはあんたも同じだろ。……ケセドニアに着いたら休むよ」
「まあいいでしょう。それなら、見張りついでに少し話でもしましょうか」
「話?」
「アルビオールで言っていた、貴方について聞きたいこと、ですよ」
「……ああ、それか」
その前にこれを頂きましょうか、と言ってリゾットを食べ始めたジェイドに、ディルは焚き火を使ってお湯を沸かし始めた。