04.亀裂の入った大地の上で
「ご馳走様でした」「お粗末様でした。お茶のおかわりは?」
「用意してくれたのでしたら頂きましょう」
ならついでに自分の分もとコップに二人分の紅茶を淹れて、ディルはジェイドの隣に腰掛けた。
他の人々は殆どが寝静まっていて、今は人の話し声よりも環境音の方がよく聞こえる。
「……で、何が聞きたいって?」
「そうですねぇ、先に世間話でもしてからにしましょうか?」
「そんなことしてる暇があるなら交代で仮眠取った方がいいな。――俺に気を遣ってるのか、あんたが聞き難いのか知らないけど、何を聞きたがってるのかは大体分かってるつもりだぞ。……でも、俺から全部喋るほど親切にするつもりもない。進んで話したい内容じゃ無いからな。聞きたいなら、ちゃんと聞いてくれ」
「……わかりました。貴方がそう言うのでしたら、率直にお聞きしましょう。――貴方は、ディル・シブレットのレプリカですか?」
ディルは、問いかけられる内容が半分自分の予想通りで、しかし半分間違っていたことに目を瞬かせた。
ジェイドも相手のポカンとした表情に「おや?」といった顔を返す。
「間違っていましたか?」
「んー、いや、なんと言うか……、何でそう思ったのかが知りたい」
「間違っているんですね?」
「断言しにくい。あんたがそう推測したのは、それなりの理由があるからだろ? 俺の認識が間違ってるのかもしれないから、理由を教えてくれ」
「……フォミクリーによって造られたレプリカは、基本的に被験者よりも能力面で劣ります。私の知る限りでは、使える音素の数は貴方の方が少ないようでしたので」
「成程。それって逆のパターンになる事は有り得ないのか?」
「多くはありませんが、レプリカ情報採取の際に被験者に後遺症が残って、結果的にレプリカより劣ってしまうことはあります。ですが……だとしてもあちらがレプリカだとは……」
難しい顔をして頭を抱えるジェイドの様子に、ショックを受けたのだろうかと感じたディルは申し訳なさそうに謝る。
「なんか悪かったな。あんたが受け入れ難いなら、俺がレプリカって事でもいいぞ。別にそれで支障もないし」
「いえ、そういう事ではありません。ただ……驚いているんですよ。もしシブレットの方がレプリカなのだとすれば……あれで劣化している状態≠ネのだとすれば、本来の貴方の能力は恐るべきものです。まあ、だからこそフォミクリーが使われたのだとも考えられますが……」
しかしその能力が目的なのであれば、アクゼリュスでヴァンが言っていた通り、これでは――劣化したレプリカを生み出す為に、本来の目的であるオリジナルの力を潰していたのでは意味が無い。
それならばフォミクリーなど使わずに、元々の彼自身を懐柔した方が確実だ。
そもそも、単身で超振動を起こせるアッシュや、ユリアの末裔であるティアのように稀有な存在ならばともかく、ただ能力に秀でているからという理由だけで、リスクの大きいフォミクリーをわざわざ使うとも考え難い。
「貴方は何故自分にフォミクリーが使われたのか、その理由はご存知ですか?」
「いや、知らない。知りたいとも思わない」
「気にならないのですか?」
「それがどんな理由だったとしても、俺は納得出来ないだろうし、怒りがぶり返すだけな気がするからな」
「…………」
「……ああ、ごめん。別に無関係のあんたにその恨み辛みを聞かせようってつもりじゃ無いんだ、聞き流してくれ」
「別にそうして下さっても構いませんよ、私は無関係ではありませんから」
「え?」
「かつてフォミクリーという技術を生み出したのは、私です」
ディルは口を開けたまま固まった。
ジェイドは、いつも通りの無表情でただそれを見ていた。
暫く焚き火の爆ぜる音だけが響いて、衝撃から立ち直ったディルが、呆然とした顔のまま言葉を紡ぐ。
「……それ、なんでもない事のように言うなよ……」
「すみません。今言っておかないと、永久に機会を逃しそうだったので」
「まさかそれ言うためにこの話題振ったのか?」
「それもあります。……まあ、シブレットはまだ知りませんが」
────また沈黙。
ディルは哀れみのような軽蔑のような、なんとも言えない顔をジェイドに向けた。
「……それは言いにくいからか? 言うタイミングが無かったからか?」
「どうでしょう。なんとなく、ですかね。明かすタイミングなら少し前にあったのですが……」
と、自嘲気味に笑いながら言うジェイドに、ディルは溜息を吐く。
「なんとなく、なんて曖昧な理由で大事なことを隠すような奴じゃないだろ、あんたは」
「自分でもよく分からないんですよ。頭であれこれと考えてした事では無かったんです。何となく、今彼にそれを打ち明ける気にはなれなかった。貴方やルークにはこうして普通に話せるのに、寧ろ話すべきだとすら思うのに、どうしてでしょうね」
「どうしてって……、本気で言ってるのか?」
「貴方には分かるんですか?」
「あんた頭良いのにそういうのは疎いんだな。寧ろ頭いいから理詰めでしか考えられないのか……?」
「一人で勝手に納得されても困りますが」
「感情論だよジェイド。あんたは鈍い奴じゃあ無いし、人の心が分からない訳でもない。だからあいつがあんたを慕ってることくらい分かってる筈だ。その上で後暗い事を打ち明けられないのは、あんたもあいつに入れ込んでる証拠だろ。今の関係を壊したくないんだよ、あんたは」
今度はジェイドが沈黙した。
ディルはちびちびと紅茶を飲みながら、相手が喋れるようになるのを待つ。
「……驚きました」
「何が」
「私がそう思っていたらしいことに」
「なんだそれ」
フッと笑うディルの隣で、ジェイドもカップに口を付ける。
「自覚無かったのか?」
「ええ、全く。私は元より他者との関係を重んじるタイプではありませんし、どちらかと言えば、貴方の方が好ましいと思っていましたから」
「それは単に気が合うみたいな話だろ。俺だってあんたの事は嫌いじゃないよ。でも、特別かって言われたらそうじゃない。ルークやティアや、他の皆に抱いてるのと同じ感情だ。あんたも同じだろ?」
「……まあ、そうかもしれませんね」
「でもあっちのディルに対しては違う。少なくとも俺にはそう見えたよ。まあ、自分のそっくりさんとあんたが仲良くやってるのはちょっと不思議な感覚だけど……そのお陰で、俺はあいつを自分のレプリカじゃなく、他人として受け入れられてるんだと思う」
「と言うと?」
「……あんたは理解してくれそうだから正直に言うけど、俺は元々、他人への興味関心が薄いんだ。というか、人に限らず殆どの事に興味が無い。必要最低限の道徳心くらいはあるけどな。だから、あんたに心酔してるあいつを自分のレプリカ≠セとは思えない。よく似た他人だって思えてる、今のところはな。……ただ一つだけ受け入れられない所があるとすれば、あいつの譜歌だけだ」
「譜歌……そう言えば、貴方達の譜歌は他の音律士のものとは違いますが、あれは貴方が独自に作ったものですか?」
「そうだよ。俺が作った、俺が何年も何年もかけて作った譜歌だ。世界で何より一番大切で、守りたかった俺だけの歌だ。……今はもう、あいつの歌だけど」
「…………」
「アッシュはルークに色々言ってたけど、俺は帰る場所が無くなろうが、仕事を奪われようが、名前が変わろうが、そんな事はどうだっていいんだ。でもあの譜歌は……あれだけは、他の何と引き換えにしてでも奪われたくは無かった。俺の全てだ。俺の、全てだったんだ」
皮膚に食い込む程に強く拳を握り締めるその姿を見て、ジェイドはかつて雨の中で見た光景を思い返していた。
そしてあの時の彼の感情を――自分の居場所を奪った相手の姿に怒っていた訳では無く、その口から紡がれる旋律にただ耐えていたのだという事を理解した。
「……すみません」
「……なんであんたが謝るんだよ」
「フォミクリーを考案したのは私です。私があんな愚かな事を考えつかなければ、貴方がそんな想いをすることも無かった」
「なら聞くけど、なんでそんな技術を生み出したんだ?」
「それを説明するには、私の幼少期のつまらない話を聞かせなければならないのですが」
「幼少期って、そんな昔の話なのか」
「ええ。貴方の言う道徳心というものすら無かった頃の話です。――最初はただ、妹が壊してしまったぬいぐるみを直そうとしただけでした。まあ、そこでレプリカを作ろうという発想をしてしまった時点で、まともでは無かったのかもしれませんが……ともかく、そこで終わっていればまだ良かったのですが、残念なことに、私はその技術を人にまで使ってしまった」
「……どうして?」
「無理に第七音素を扱おうとして、恩師を死なせてしまったんです。それを生き返らせようとした」
「…………。……それで?」
「その試みは失敗しましたが、当時の諦めの悪い私は幾度もそれを繰り返しました。幸いなことに倫理観のある友人が傍に居てくれたものですから、私はそれが間違いであると気付けましたし、最終的にフォミクリーの研究は放棄したのですが……まさか私以外にも馬鹿が居るとは思いませんでした」
「…………」
「経緯については以上です。罵ってくれても構いませんよ」
「罵るつもりはないけど、一つだけいいか?」
「はい、どうぞ」
「レプリカを作る事と、死者を生き還らせる事は同じじゃない」
数秒の沈黙。
真っ直ぐに目を見つめて諭すように言うディルの視線を受け止めて、ジェイドが眉を下げる。
「……そうですね、そう言われました。けれど、私にはその違いが分からなかった。……未だに分かっていないのかもしれません」
「あんたのその考えでいくと、俺が死んでもあいつが居れば俺は死んでないって事に――」
と、そこでディルは不自然に言葉を止めた。
苦々しい表情で口を閉ざすディルに、ジェイドは敵の気配でもしたのだろうかと周囲を見渡してみたが、特に怪しい人影は無い。
「どうしました?」
「いや……今の例えだと、あんたの考えを肯定する事になるなと思って。せめて逆にすれば良かった」
「……貴方は、自分が死んでもシブレットが居れば代わりになると思っているのですか?」
「あんまり卑屈っぽい事は言いたく無いけど、実際に俺とあいつが入れ替わっても、誰も気付かなかったからな。最初はどれだけ姿形が同じでも違いはあるって思ってたけど、第三者からすればそんな些細な違いなんて分からないもんだよなぁ……」
「…………」
「……もしかして呆れられてるか? 言うことが二転三転して」
「いえ。ただ、こういう時に何と返すべきなのかが分からないだけです。恐らくは否定すべきなのでしょうが」
「そうだな、もし他の誰かが同じこと言ってたら否定するべきかもな。でも、俺に対してはそれでいい」
「……怒らないのですか?」
「あんたは俺の意見に同意しただけだろ。フォミクリーの件も、他の被害者が居る以上あんたは何も悪くない≠ニは言ってやれないけど、とりあえず俺は赦すよ。それで少しはあんたの気が楽になるといいけど」
あまりにもあっさりと言うディルに、ジェイドは殊更に戸惑った。
並々ならぬ譜歌への想いがある筈なのに、それを奪われた事への強い怒りもあると言っているのに、どうしてそう易々と戦犯を赦せるのだろう。
「貴方は……他人に興味関心が無いと言っていましたが、とてもそうは思えません。現に今もこうして、エンゲーブの皆さんを助けようとしている。アクゼリュスの時も……」
「最低限の道徳心はある≠チて言ったろ? エンゲーブの人達には恩があるんだ。義母さんには特に。アクゼリュスの時もその他の事も全部そうだ。俺がそこに居て、出来ることがあったからやっただけ。それは関心とは違うだろ。……まあ、譜歌の事ばかり考えてた頃は、恩を返すことすら殆どして無かったけど」
今はもう、没頭する対象は無くなったから。
そう言って過去に思いを馳せるように瞳を伏せた彼の横顔は、言葉とは裏腹に穏やかだった。
「……譜歌、全く歌えない訳では無いのでしょう? アクゼリュスでも使っていましたし」
「ああ。第五音素までの属性の譜歌は使える。でも第六と第七が駄目だ、そもそも音が出なくて歌えない。これじゃ意味が無い」
「全ての音素を扱える者は少ないですよ。一部が使えずともそれほど支障は無い筈ですが、第六と第七の譜歌がそれほどまでに重要なのですか? そもそもフォンスロットが壊れた訳では無いのなら、譜歌に固執せず譜術を極めれば――」
「それじゃ駄目なんだ。理解出来ないかもしれないけど、俺は何も凄腕の音律士になりたかった訳じゃない。ただ、自分の譜歌を完成させたかっただけなんだ」
言われた通り理解を示せないジェイドが難しい顔をするのを見て、ディルが続ける。
「ユリアの譜歌は知ってるか?」
「ええ。ティアの使っていたアレですね」
「そう。あれは他の譜歌と違って、一つ一つの歌に製作者の意志が込められているんだ。それを理解して歌うことで初めて効果を発揮する。全ての歌を読み解いた者だけが、その真価を得られる大譜歌――俺の作りたかったものはそれなんだ」
「それは……壮大な夢ですね。ですが何の為に?」
「特に目的がある訳じゃないんだ。敢えて言うなら、大譜歌を完成させることが目的、かな」
ジェイドは益々分からないといった顔になった。
ディルは「他の人に理解されたい訳じゃないんだ」と苦笑する。
「自己満足だよ。子供の頃、ユリアの譜歌を聞いて感動したんだ。ユリアはもう居ないけど、彼女の存在は、想いは、歌として今もずっと残ってる。それって凄いことだと思わないか? だから、俺も自分の歌を作りたいと思ったんだ」
ユリアの譜歌ほどのものは作れなくても、自身の生涯をかけて、生きた証として、自分の大譜歌を作る。
己がこの人生で何を感じ、何を思っていたのかを、歌として遺す。
その夢はあらゆる原動力になった。
神託の盾の音律士という肩書きは、その副産物に過ぎない。
「俺が歌えなくなった事で、困ってるのは多分俺だけだ。音律士は他にも居るし、それこそディル・シブレット≠セってまだ教団に居る。世間的には何も問題は無い。でも俺は……」
ディルはその先に続く言葉を飲み込んで、代わりに、
「……だからあんたは気にしなくていい。俺以外にとっては、全然大したことじゃない」
と、眉を下げて笑った。
ジェイドはかけるべき言葉を頭の中で探して――結局、見つけられずに肩を落とした。
「……いけませんね、こういった事はいつまで経っても不得手なままで」
「こういう事って?」
「慰めたり励ましたり、人の心に纏わる事柄全般です」
「いいんじゃないか? 苦手なことの一つや二つ誰にだってあるだろ。完璧よりもそっちの方が愛嬌あっていいと思うぞ」
「およそ私とは無縁の言葉が出ましたねぇ。私に対してそんな事を言うのは貴方ぐらいのものですよ」
「そうか? ピオニー陛下辺りは言いそうだ」
「それは……、まあ、確かに言いそうですが」
不服そうに言うジェイドに、ディルは屈託なく笑う。
本来ならそんな風に笑える筈は無いだろうに、まるでさっきまでの話が他人事であるかの様に、抱えているものなど何も無いかのように、彼は平然としている。
(……これを単に心が強い≠ニ表現するのは、きっと間違っているのでしょうね)
けれど今の自分は、適切な対応を知らない自分は、彼のその強さでは無い何か――恐らくは諦めと呼ぶ感情に、ただ甘えることしか出来ない。
どこか申し訳なさそうにするジェイドを、ディルは不思議そうに見つめた。